>>前編はこちら
【写真】振付師として活躍・槙田紗子の撮りおろしカット【10点】
──PASSPO☆卒業後、事務所に籍は残しながら女優業やライターなどいろいろトライしていましたけど、正直なところ、あまり順風満帆という感じではないように見えたんですよね。
槙田 完全にくすぶっていました(苦笑)。アイドルを辞めたはいいけど、これから何をしていいのか全然わからなかったんですよ。グループにいたときから振り付けやライブ演出をさせていただいていたこともあって、基本的にはそっちの裏方方面に進みたいという考えがあったんですね。だけど、私が振付師になりたいと言ったところで、事務所的にはメリットが少ないんです。
──振付師の竹中夏海先生も同じ事務所所属でしたよね?
槙田 竹中先生はあれだけ売れている方だから例外ですよ。でも私に関しては、できれば裏方じゃなくて表舞台に立ってもらいたいというと考えがスタッフさんからもヒシヒシと伝わってくるんです。それで「ここは『女優になりたいです』って言ってもらいたいのかな? そう言ったほうが収まりはいいよね?」とか変に私も妙に気を遣っちゃって(笑)。普通、アイドル卒業後の進路としてよくあるのは「女優」「モデル」「バラエティタレント」の3つなんですね。私はモデル体型でもないしトーク力も高くないから、強いて言えば女優しかできることがない。それで「女優になりたいです」とか言っていたんですけど、これってめちゃくちゃ消極的な理由じゃないですか。
──真摯に役者業に取り組んでいなかった?
槙田 こんなナメた考えだと他の役者さんたちに失礼だと気づいたんです。私は元アイドルということで、規模が小さいながらも舞台で主演とかをやらせていただく機会が多かったんですね。でもその場には主役になりたくてもなれなかった、必死でオーディションを受けているような本気の役者さんたちが大勢いるわけです。お金にはならなくてもまっすぐ夢を見ながら、稽古場で真剣に演技論を戦わせている他の出演者たち。本当にお芝居が好きな人じゃないと続けられない道だし、私なんてその場にいること自体がいたたまれなかったです。他の方たちに申し訳なかった。
──女優業で挫折してからは、どのような道を?
槙田 そこからはいよいよ迷走していましたね。まさに暗中模索という感じで。その頃の私って自己肯定感がゼロだったんですよ。「どうせ私なんて……」みたいなモードにハマっちゃって、顔もどんどんブスになっていくし(笑)。今見返しても「誰?」って思うくらい本当にひどい顔をしていますから。
──「槙田紗子よ、お前は何がやりたいんだ!」って自分で自分に問いかけるような?
槙田 本当にそんな感じです。人間っていろんなバランスを取りながら生きていると思うんですけど、当時の私はアンバランスもいいところでした。それでバイトをしながら自堕落な生活を送っていましたね。最初はアイドル時代の貯金を切り崩して生活していたんですけど、そのうちお金がなくなってきたからヤバいなと思いまして。
──バイトは何をやっていたんですか?
槙田 税理士事務所です。学校の先輩の紹介だったんですけど。ところがこれが自分でも呆れるくらい向いていなかったんですよ。マジで無理でした。
──業務内容が自分と合わなかったということですか?
槙田 いや、それ以前の問題です。
──でも、中学や高校だって決まった時間に登校するじゃないですか。
槙田 学校も仕事と同時並行で通っていたから惰性でどうにか卒業できたけど、「なんで時間割なんて勝手に決められなきゃいけないの?」って不満タラタラでした。嫌で嫌で仕方なかった。どこか人間として欠落しているんでしょうね。
──集団行動が苦手ということなんでしょうか?
槙田 税理士事務所では、お昼休みになるとみんな誰かを誘ってごはんを食べに行くんですよ。私もパートのおばさま方から誘われるんですけど、それが本当に意味がわからなくて……。だって、バイト中はお昼しか1人になれる時間がないんですよ? なのに何で他の人と一緒にいなくちゃいけないのか。「もう本当に無理!」と思ったし、バイトの前日になると眠れなくなるんです。よく学校をサボりたい小学生が「お腹が痛い!」とか言うじゃないですか。私の場合はリアルに身体が拒否反応を示すんですね。
──大袈裟に感じますけど、本人としては切実でしょうね。
槙田 自分はダメ人間なんだとそこで思い知りました。バイトですら満足にできないんだから、ちゃんとした社会人にはなれないんだなって。普通の社会生活を営むことを完全に諦めました。でも、結果的に税理士事務所でバイトしたことはよかったと思うんですよね。自分の適性に気づくきっかけになったので。私は女優にはなれなかった。会社で働くこともできなかった。そうやってどんどん選択肢が削ぎ落されていく中で、「じゃあ自分は何ができるんだろう?」「何をやりたいんだろう?」と真剣に考えるようになったんです。そういった中で出した決断が、事務所を離れるということ。これもPASSPO☆を辞めたときと一緒で、そろそろ次のステップに進むべきだなと感じたんですよね。
──事務所を辞めたのは、振付師として上を目指すためですか?
槙田 う~ん、結果的にはそうなりましたね。事務所にいた後半は振り付けの仕事は全然なかったけど、写真集とかの個人仕事が少しずつ増えるようにはなっていたんです。そういう中で独立したところ、なぜか私が事務所を辞めたことがネットニュースになって広まったんですよね。その記事がきっかけとなり、一気に振り付けのお仕事で声をかけていただくようになりまして。フリーで活動しているほうが、声をかけるほうからすると気楽なのかもしれません。
──そう考えると、事務所を辞めたことは人生の一大転機でしたね。
槙田 それは間違いないです。私は事務所に甘えていたんですよ。マネージャーさんたちは私が小さい頃から面倒を見てくれているし、なんでも相談できるような間柄でしたし。すごく安心感があって心地いい場所だったけど、そこから一歩踏み出せたのは私の中での大きな変化。あそこで勇気を出してアクションが起こせたことが今に繋がっているんだと思います。
──ただ、槙田さんの場合は事務所を離れてからも事務所からの仕事をこなしていましたよね。
槙田 そうなんですよ。特にPINKYCASEという今は解散してしまったグループに関しては立ち上げ段階からがっつり関わっていたので、辞めたのに毎日のように事務所に通うことになりまして(笑)。PINKYCASEは私からしたら同じ事務所の後輩でもあるし、教えることが最高にうれしかったんですよ。そういうところはすごく理解があるというか、懐の広い会社だと思いますね。本当に感謝しています。
(取材・文/小野田衛)
>>後編はこちら
▽槙田紗子(まきた・さこ)
1993年11月10日生まれ、神奈川県出身。元PASSPO☆であり、現在は振付師や、アイドルプロデュースプロジェクト「SACO PROJECT!」にて、約1,000名の応募者から選ばれた7名で結成したHey!Mommy!のプロデューサーとしても活躍している。
Twitter:@sacomakita
Instagram:saco_makita