HKT48からの卒業を発表している田島芽瑠。3月14日に卒業公演を行い、4月4日には芸能事務所「Mama&Son」に移籍し、女優業など活動の幅を広げる。
また、4月からスタートする連続ドラマ『吉祥寺ルーザーズ』(テレビ東京)に出演するというビッグニュースも飛び込み、これからの活躍に大きな期待が寄せられる。今回、長年HKT48を取材する小島和宏記者が、田島芽瑠のラストインタビューを行い、約9年にわたりグループを牽引してきた田島に、卒業への思いや、これからの覚悟について話を聞いた(前後編の前編)。

【写真】HKT48を卒業する田島芽瑠のステージ姿

田島芽瑠へのアイドルとしては最後となるインタビューは3月1日にリモートで収録された。

この日付を聞いたとき、なにかひっかかるものがあった。そして取材前に過去のインタビュー記事を遡っていくうちに、その謎が解けた。僕が最初に田島芽瑠を取材した記事の最後に書かれていた日付が「2013年3月2日」。
あぁ、この日付がひっかかっていたのか。ちょうど9年前のあの日。旧・HKT48劇場の“でべそ”ステージのところで写真を撮って、1期生の兒玉遥宮脇咲良と一緒に話を聞いた。

2期生の田島芽瑠がHKT48初のシングル曲でセンターになったことが悔しくて、取材中に兒玉遥が号泣し、それを見ていた宮脇咲良までもがもらい泣きするという修羅場の中で、ひとり、淡々とインタビューを受ける田島芽瑠。とんでもない修羅場が僕にとって初のHKT48取材であり、この3人、そして、のちに田島芽瑠とWセンターを務めることになる朝長美桜を含めた4人が卒業するまでは、HKT48をしっかりと追いかけていこう、と心に決めた瞬間だった。

「そんなこと、ありましたねぇ。
なつかしいなぁ……。当時、私は13歳ぐらいだったと思うんですけど、毎日、悩んでいましたね。私がセンターに立つことを応援してくださる方よりも『嫌だなぁ~』と思っている方のほうが圧倒的に多かったので、どうすればいいんだろうって、日々、考えていました」

あれから9年。もうHKT48に残っているのは田島芽瑠しかいなくなった。

はっきり書いてしまうと、9年前の時点では、もっとも意外な結果である。

まだ研究生だった田島芽瑠がいきなりデビュー曲の『スキ!スキ!スキップ!』でセンターに立ち、いきなりオリコンチャートで1位を獲得。
リリースの1か月後に開催された初の単独コンサートの舞台はなんと日本武道館! 普通のアイドルであれば何年もかけて、そのステップをあがっていく過程を、彼女は加入からほんの数か月で一瞬にして昇りつめてしまったのだ。アイドルブーム最高潮だった時代ならではの現象であるが、このロケットスタートは田島芽瑠のアイドル人生に大きな影を落とす。

てっぺんからのスタートになってしまったので、その先に待っているのは現状維持か後退しかない。もちろんグループ全体としては、翌年にNHK紅白歌合戦へ初出場したり、大箱でのコンサートを連発するようになるなど、どんどん上昇気流に乗っていくのだが、田島芽瑠は4曲目でセンターの座を明け渡し、その後、徐々にポジションを下げ、9曲目でついに選抜メンバーから外れる。この間、約4年。

センター経験者が選抜落ちする、という衝撃的な展開はアイドルとしての道を諦めても不思議ではなかった。
そう、最初に名前を挙げた4人の中で、最初に卒業するのは田島芽瑠ではないのか、とうっすら考えていたのだ。

「そうですね、何度も『もう諦めよう……』と思ったことはありました。そんなとき、秋元(康)先生から『目の前の結果を見すぎて焦っていないか? 人生はマラソンのようなもの。もっと長い目で見て、まっすぐ走っていけば、きっと先が見えてくるよ」と言っていただいて、考え方が変わりました。

でも、ひとりではどうすることもできなかったと思います。ファンのみなさんが支えてくださったからこそ、私はHKT48のメンバーとして活動を続けていくことができたんですよ。
私はとにかく目標を掲げて、常にそれを発信していくようにしているんですけど、ファンの方もその目標に向かって一緒に走ってくれる。だから目標に到達したときの達成感がものすごく大きいんですよ! 一緒に乗り越えて、一緒にその先にある景色を見ましょうねって感じで。本当に何物にも代えられない日々でした。

いまだからこそ言えるのは『あぁ、あのときに諦めないで、辞めないで本当によかった!』ですよね。こうやって、いい形で卒業を迎えることができたからこそ、余計にそう思うんでしょうけど、もし、途中で辞めていたら、そのときは楽な気持ちになれたかもしれないですけど、あとあと『なんで辞めちゃったんだろう』って後悔したと思うし、テレビにHKT48が出ていたら、めちゃくちゃ複雑な心境になっていたんだろうなって。これはもう後輩たちにも伝えたいです。
辞めよう、諦めようと思っても、一度、じっくり考えたほうがいいよって」

センターとしての栄光と苦労も、選抜落ちの屈辱も、すべて知っている唯一無二の存在。ファンの後押しもあって2018年の選抜総選挙では自己最高の第26位をマークし、選抜にも復帰した。そして、2021年には「HKT48栄光のラビリンスCM選抜」で見事1位に輝いて、CM曲『SNS WORLD』でセンターに立つことに。

「カップリング曲などでセンターに立つことはありましたけど、この楽曲はMVまで撮ってもらえて。MVがあるセンター曲って、それこそ『桜、みんなで食べた』(2014年)以来じゃないですか? 最初はファンの方になかなか認めていただけないセンターからはじまって、最後はファンのみなさんの投票で、ファンのみなさんの力でセンターに立たせていただいた。これって、すごい10年間のドラマじゃないですか? 

それと同時に『あぁ、いよいよ締めくくりなんだな』って。まだ発表はしていませんでしたけど、もう卒業を決めていたタイミングでのMV撮影だったので、私のアイドル人生のすべてをこの撮影にぶつけよう、と。帰りのバスの中では、いままでのことを思い出して、ひとりで泣きました」

卒業についてはここ数年、じっくりと考えてきた、という。

「最初に意識したのはさしこちゃん(指原莉乃)を見送ったときですね(2019年4月)。そのときはすぐに卒業を考えるというよりも、卒業するための道をしっかりと作っていかなくちゃいけないな、と。実際に卒業を視野に入れはじめたのは2021年に入ってからです。ちゃんと順序立てて、筋道を作ってきました。ちょうど『SNS WOELD』のMV撮影の前後で事務所移籍の話も正式にいただいて。だから、11月の10周年記念公演のときには、もう『これが最後の周年公演だな』と思ってステージに立っていました。まだ発表の時期は決まっていなかったんですけど、やっぱりこみあげてくるものはありましたね。あの2日間で超思い出作りをやらせていただきました、アハハハ!」

10周年記念公演は2日間に渡って、全100曲を披露する、というダイナミックな構成となっていたが、全メンバーが揃って、10年間の歴史をたどっていくセットリストは卒業を決めていたメンバーにとっては、これ以上ない思い出となった。

「さっきのMV撮影の話もそうなんですけど、本当にいい“節目”というか“区切り”が続いたんですよ。こういう時期なので、なかなか思うように活動ができなかったりもしたんですけど、ちゃんと“区切り”があったから、後悔なく卒業の日を迎えられます!」(後編へつづく)

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