【写真】奇跡のスタイルでグラビア界を席巻中、NMB48本郷柚巴の撮り下ろしカット【5点】
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2021年春、グラビアの世界に新星が現われた。本郷柚巴だ。
大阪を拠点とするアイドルグループ・NMB48のメンバーである彼女は、グラビアを解禁すると、あっという間に各誌から声がかかるようになり、表紙を席巻している。昨年のグラビア業界の新人王だ。
愛くるしい表情に心がくすぐられ、157.4㎝の身長には安心感を覚える。けらけらとよく笑い、日常の嫌なことを忘れさせてくれる。もちろんプロポーションも完璧だ。グラビアアイドルに必要なものをすべて持っている。
彼女がNMB48に加入したのは2015年のこと。グラビアを解禁する6年も前のことだった。この時はまだ12歳。
当時のNMB48には圧倒的な存在だった山本彩がいた。渡辺美優紀もいた。1期生は人気も知名度もすさまじいものがあり、一介の新人が太刀打ちできるレベルにはなかった。先輩にはすでにファンがついている。新しいもの好きのファンもいるにはいるが、振り向いてもらうだけの力を12歳の少女が持ち合わせているはずもなかった。
こうして彼女は、厚い層を誇るグループの馬群に沈んでいった。
自分を見てもらいたい。そう思って、もがいた。
本郷「グループって、とにかく上に行かないとファンの方に見てもらえないんです。
小説に挑戦したこともあった。ギターの弾き語り動画を上げてもみた。しかし、固定のファンにしか届かなかった。自分だけの武器が見つからなかった。
もがくことに疲れた。選抜メンバーにも入れない。それどころか、後輩は自分より先に選抜入りしていた。辞めようと思ったことは一度や二度ではなかった。
本郷「いつもは親に相談してきました。親に相談せず、いきなりマネージャーさんに『卒業しようと思ってます』とメールを送ったこともあります」
ここでマネージャーは引き留めた。いま思えば、MVP級の仕事ぶりだ。
本郷「『卒業するにはまだ若い。
去年の春、ようやくチャンスが回ってきた。アイドルになって6年近くが経っていた。
本郷「マネージャーさんから言われたんです。『もしグラビアやってほしいって言われたら、どうする?』って。私は『お願いします』と答えました」
グラビアは本郷にとって最後の手段だったのかもしれない。これで火が点かなかったら、マイクを置いていたはずだ。
ところが、『BUBKA』(白夜書房)に掲載された初のグラビアは絶大なインパクトを残した。まだこんな子がいたのか。NMB48のファンは言うまでもなく、その外側に届くだけの飛距離があった。
初打席はアイドル誌だったが、週刊マンガ誌も黙ってはいなかった。『ヤングマガジン』(講談社)『ヤングチャンピオン』(秋田書店)『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)と、表紙を何度も飾るようになった。引く手あまたとはこのことだ。逆転満塁ホームランである。
本郷「ツイッターのフォロワーが一気に増えました。グラビアを始める前は2.5万人くらいだったけど、その年の終わりには7万人ちょっと。今では9万人以上にまで伸びました。大阪の街を歩いていると、声をかけられることが増えました」
こうして、アイドル人生で一度も手にできなかった自信を得た。昨年末、聞いたインタビューではこんなことを話してくれた。
本郷「自信は人を変えるって言うじゃないですか。まさにその通りだなと思って。『2022年は私の年にしたいです』って言えるようになりました。
中身は普通の子である。音楽の趣味はあいみょんから昭和歌謡まで。
本郷「『壊れかけのRadio』が大好きです。(渋谷)凪咲さんみたいに詳しくないけど、昔の曲はお母さんが教えてくれます」
暇な時間にはキッチンに立つ。
本郷「最近はなかなか作る時間はないけど、この間はトマトのパスタを作りました」
実家で飼っている猫が忙しさを癒してくれる。
本郷「2匹飼っているんですけど、暇さえあれば遊んでいます。無理やり捕まえて、だっこするんです。めちゃくちゃ嫌がって、噛まれるんですけど(笑)」
今後の目標を問うと、答えは決まっている。
本郷「グループの顔になること。もうひとつは十代のうちに写真集を出すこと! そうすれば、もっともっと外のファンの方を引っ張ってこられると思うので。とにかくNMB48のファンを増やしたいんです!」
あの時、辞めなくてよかった。
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