2008年にAKB48に加入し、みちゃの愛称で親しまれていた野中美郷。2014年にグループを卒業し、現在、元AKB48の岡田彩花、鈴木まりやらが所属する1年間限定アイドルユニットSAISONに加入している。
なぜ、再びアイドルとしてステージに立とうと思ったのか、そしてAKB48卒業後どんなふうに過ごしていたのか、話を聞いた。(前中後編の中編)

【前編はこちら】元AKB48 野中美郷が8年ぶりにアイドル復帰「レッスン終腰が痛くて、超ブランクを感じた」

【写真】アイドルユニットSAISONに加入した野中美郷の撮り下ろしカット【6点】

──野中さんは2014年4月22日にAKB48を卒業して、同年5月31日で所属事務所との契約も終了して、芸能界を引退します。卒業を決心した理由は何だったのでしょうか。

野中 今だから言えるんですけど……。2008年に研究生としてAKB48に入って、2010年に昇格したのがチームKで。次の組閣でチームBに入れ替わったんですが、その時に違和感があったんですよね。というのも、AKB48はチームによって色があるんですけど、チームBはアイドルチームのイメージがあったので、私はここじゃないだろうと(笑)。

チームKはかっこいい路線で、曲調も衣装も大人な雰囲気が多かったですからね。私は背が高いからブリブリの衣装も似合わないし、ちゃんと意味があってチームBに振り分けられたのかなって疑問を感じたんです。チームBで活動していた2年弱、その気持ちは変わらなくて、次の組閣があるって発表された時に、このタイミングで辞めようと。もちろんチームBでの活動も楽しかったんですけど、すっきりしない気持ちのままいるのも違うなと思ったし、私がいることで昇格できない後輩もいる。

誰かがポジションを開けないと入れないですからね。
だったら、AKB48を好きなまま辞めたほうがいいなと思って卒業を決めました。私は芸能人になりたい訳じゃなくて、AKB48になりたくて入ったから、十分アイドル活動も楽しんだし、それで芸能事務所も辞めたんです。

──そもそもアイドルはいつ頃から好きだったんですか?

野中 私はモーニング娘。世代で、小学生の頃からハロプロが大好きでした。小学6年生の時にモーニング娘。の6期生オーディション(モーニング娘。LOVEオーディション2002)を受けたこともあったんです。でもハロプロのオーディションって中学1年生からしか受けられないんですよね。でもママが、私があまりにもハロプロのことを好きだから、ダメ元でも受けてみたほうがいいと。

私からしたら、応募資格もないのに受けるのが嫌で、泣きながら歌っている動画を撮影しました(笑)。それで応募したんですが、はがきで返信があって、「年齢が応募資格に達した時にぜひ受けてください」と。
でも、そこからハロプロ熱は落ち着いたんです。

──ハロプロの次に好きになったのが、AKB48だったんですか?

野中 そうです。私が中学3年生の時、まだAKB48はアイドルファンしか知らないような存在で、「アキバ系」というイメージが強かったんですが、その頃から劇場に通っていました。当時は抽選とかじゃなくて、並ばなくてもチケットを買えたので、握手会にも普通に参加していました。高校は女子高に通っていたんですが、どう見ても私がアイドル好きだから、一人の友達が「受けてみたら? 絶対に受かるよ」と言ってくれて。その子が履歴書を用意してくれて、写真も撮ってくれたんです。当の本人は自信がなかったんですけど、受けるだけ受けてみたら、まさかの合格でした。

──ファンからメンバーになると、表では見えない部分も見えるから、大変だと感じることも多かったのではないでしょうか。

野中 加入直後はくじけそうでした。もともと自分は応援する側だったから、メンバー格差みたいな部分は気にしなかったんですけど、個人で握手会をやるようになってからは明確に人気の差が見えて。同期の子も、すぐに推されて選抜メンバーになったし、心が折れそうになりました。毎日、ママが迎えに来てくれていたんですが、車の中で「このまま続けるのは無理かもしれない」と泣きながら言ってたんです。
その時にママが「せっかく、ちっちゃい時から好きだったアイドルになれたんだから頑張りなさい」と励ましてくれたおかげで続けることができました。

──卒業後、AKB48の活動はチェックしていましたか?

野中 卒業してからはパッと離れちゃって、ほとんどチェックしていなかったです。卒業後にIWA(内田眞由美プロデュースの焼肉店)で働いていたので、ファンの方との交流はありましたけどね。最近またAKB48のことを見るようになりましたが、私がいた頃のAKB48とは別物というイメージです。当時とは雰囲気も違うし、今のメンバーで一緒に活動したのは、ゆきりん(柏木由紀)ぐらいですからね。

──どういう経緯で、IWAで働くようになったんですか?

野中 卒業して3ヶ月ぐらいお休みして、そろそろ働かなきゃヤバいなと思っていたんですが、特に夢もなかったんです。そんな時に眞由美が声をかけてくれて、働くことになりました。今でこそIWAは元AKB48のメンバーや現役のアイドルの子が働いていますけど、当時はアイドルが働くお店という感じではなくて、普通にAKBファンが集うお店だったんです。元AKB48メンバーが店員という前例もなかったので、そういう形でファンの方と会うのも珍しいし、面白いかなと思って働くことにしました。最初は次の夢が見つかるまでやるぐらいの軽い気持ちで始めたら、ハマっちゃって3年ぐらい働きました。その期間は、たまにトークショーやお誕生日会も開催していました。

──接客は好きなほうなんですか?

野中 AKB48時代の私は静かなイメージだったと思うんですが、実はおしゃべりなんですよ。
IWAで夜働きながら、昼はアパレルブランドで働いていた時期もあって。そこの会社では当初、事務職で、パソコンに向き合っていたんですけど、じっとしているのが耐えられなくなって(笑)。そこは店舗もあったから、「店舗に行きたい」と言ったら移してくれて。それぐらい人と接するのは好きですね。休みの日も家で一日ボーっとするよりも、誰かを誘ってゴハンに行くことが多いです。

【後編はこちら】元AKB48野中美郷のセカンドキャリア「福岡で代表取締役に就任して、エステサロンを任された」
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