──東京女子流も今年で活動10年目に突入します。結成時と比べればいろいろと変化もあったと思いますが、例えば今、メンバーの意見はどれぐらい取り入れられるようになってるんでしょうか?
庄司 セットリストはほぼ私たちがやらせていただいています。その時の女子流が伝えたいことを伝えるにはどんなセットリストがいいかを、それまでのライブで感じた反応を含めてメンバー同士で話し合います。ただ、それだけだと一方通行になっちゃう可能性もあるので、第三者であるスタッフさんの意見も聞いて、その2つを上手いバランスで取り入れるようにしています。
──いつぐらいからその形になったんでしょう?
庄司 アーティスト宣言をした頃(2015年)ですかね。それまでは目の前のこと、与えられたことをやるので精一杯で。与えられたことすらもちゃんとできているか危うい状況だったんですけど(苦笑)、アーティスト宣言があってから自覚が芽生えたというか、一人ひとり東京女子流としてのあり方とかをもっと深く考えるようになりましたし、自分たちがこうしたいっていう意思が芽生えたのもその頃だと思います。
──結成時は11歳~13歳だった皆さんも、アーティスト宣言の頃には16歳~18歳です。その年齢も大きかったですか?
庄司 正直、それはすごく大きいと思います。思春期というか、大きく変わる時期も女子流であったことで今までよりも責任感が芽生えたし、重く考えるようになりました。
──楽曲に対する理解はどうでしょう? この10年で変わりました?
山邊 変わったよね。
中江 めちゃめちゃ変わりました。
新井 入った当時は11歳とか12歳とかだったので、ホントに難しい歌詞があって。
中江 大人の恋愛の歌詞が多かったんですよ、失恋とか。『Limited addiction』とか『Liar』とか、12歳ぐらいの私たちにはとても理解できない感情があって。あと、『運命』っていう曲があるんですけど、あの曲の歌詞は当時の私たちには重すぎて。今でも「……おっ、おう」って感じですけど(笑)。『運命』ってちょっと歪んだ愛をテーマにした曲なので、当時の私たちにはその感情になれなくて。愛しすぎておかしくなるみたいな感情も経験したことないし分かんないよって。すごく好きな曲なんですけど当時はすごく苦戦しましたね。どういう表情で歌えばいいんだろうって。
山邊 レコーディング前に世界観を教えていただいたんですけど、正直説明されてもあまり分かってないんです。
中江 無機質な感じだったよね。
山邊 今はあの頃より歌詞が理解できるようになったから、ここで不敵な笑みを浮かべてとか、ちょっとたくらんでる顔だったりができるようになりました。
──逆に年を重ねることで、フレッシュさが必要な『おんなじキモチ』が歌いづらくなったりは?
山邊 それはないですね。今の私たちだから伝えられるこの曲の楽しさとかもすごく感じてるので、女子流の曲で今やりづらい曲は1曲もないですね。当時から10年先、20年先も歌えるようってスタッフさんが先のことも考えて作ってくださったので。当時はあまり分かってなかったですけど、今になってみるとスタッフさんからの愛も感じるし、そうやってずっと女子流が続くようにという思いが込められているのがホントにすごいことだなって思います。
──10年経って10年歌い続けられる曲のすごさが分かったと。
山邊 分かりましたね。10年前の曲でもあまり色あせて聞こえないっていうのがすごいと思います。音楽番組で昔の曲とかが流れると、あっ、昭和っぽいなって思ったりするじゃないですか。
新井 女子流っていう1つの軸があって、そこに何か加わるイメージというか、常に新しいものは取り入れてるけど、軸がぶれないっていうのがすごく素晴らしいことだなって思います。
──この10年でメンバー自身はどうでしょう、変わりました?
山邊 じゃあ私、(庄司)芽生のを言います。
庄司 え~、なに?
山邊 芽生は昔、すごい人見知りだったんですよ。話しかけてもそっけなくて。あまり人とふざけたりもしなかったんですけど、いつ頃からかそれが吹っ切れたのかあまり人見知りしなくなりましたね。芽生自身からおちゃらけてくることもあるし。
中江 あか抜けた?
庄司 元々はそうだったんですよ、はっちゃけるのも好きだし。なんですけど、ちょっと心を開くの遅いがタイプで。
新井 時間かかりましたよ~。
──どれぐらい時間かかったんですか?
中江 やっと最近ですよ、9年かけてようやく。
庄司 それは言いすぎだよ~。
中江 それは言いすぎですね(笑)。でも、5周年とか6周年迎えたぐらいですよ。
山邊 それでも十分遅いな~(笑)。
中江 でも、芽生が全てを出してきたのがそれぐらいでした。やっと出たじゃん芽生、みたいな(笑)。だから嬉しかったですよ。
──他の3人はどうですか?
新井 ベエさん(山邊)は最初はすごくクールで。
山邊 やめてよ~、恥ずかしい(苦笑)。でも、たしかに可愛い服とか絶対に着なかったです。
新井 そう。
中江 革ジャンとか着てるイメージ。
山邊 ピンクとか絶対に着なかったです。
新井 だけど今は可愛い系も着てます。
──ピンクも……。
山邊 着ますね(笑)。
新井 あと、すごく物事をはっきり言ってました。今もはっきりは言うんですけど、言い方が柔らかくなりましたね。
庄司 丸くなりました。
山邊 いいことですよね。
──当時はなんでそんなに尖ってたんですか?
山邊 え~、なんでだろう。そういう大人に憧れてたんですかね。
──新井さんは変わった部分はありますか?
山邊 ひとみは根本的な部分はあまり変わってないんですけど、食の面では変わったかも。昔はあまり食に興味があるイメージがなくて、好きなもの、例えばサラダが好きだったらもうホントにサラダしか食べないっていう時期があったんですけど、今はなんでも食べますスタイルで、色んなものを、しかもいっぱい食べるんですよ。なのにこのスタイルを保ってる。
中江 健康にも気を使っているので、身体にこれがいいとかいろいろ調べてそれを食べるのは意識高いなって思いますし。
──なぜ変わったんですか?
新井 なぜだろう。でも、入った頃はサラダがすごく好きで、たしかにサラダをよく食べてた記憶はあります。でも、東京に来てから、韓国料理とかいろんな国の料理があるのを知って、それに触れたからっていうのは大きいと思います。あとはスーパーフード。キヌアとかチアシードとか、海外のモデルさんたちが食べてるものが日本に上陸して、美容にすごく興味を持って。じゃあ、ビタミンCは何から摂れるんだろう、とか自分で調べたりして、それからですね。
中江 自分で興味を持ったことを追求するのがすごいなって。
新井 でも、「食」って終わりが見えないので……。
中江 終わりが見えないほうがいいじゃん。ずっと追い続けられるから。
──たしかに。中江さんはどうですか?
庄司 (中江)友梨は変わったというより、いいところが伸びたなって思います。友梨は昔から人と話すのが好きだったんですけど、最近は周りの人の良さも引き出してくれるようになりました。この人はどんな話をしたら心をひらいてくれるかなとか、この人のこんなところを知ってもらったらみんな好きになってくれるかなって考えたり。人のことをちゃんと見て理解して、その人の良さを引き出す力がいつの間にか身についてて。それは他のメンバーが持っていない力だから、そこは友梨にすごく助けられてます。
──すごいですね。
中江 自分ではよく分からないですけどね。お話しするのは昔からものすごく好きなので。でも、今はこの子のここを引き出したらみんな好きになるとか、昔より見えるようになったのですごく楽しいですね。パフォーマンス以外で皆さんにお見せられるのってそういう部分だと思うので。クールで格好いいところとか、キラキラしてるところだけじゃなく、21歳、22歳の私たちの素顔も素直に伝えたいなって。
──21歳、22歳の素顔という話が出ましたが、世間では大学を卒業して社会に出る年だったりします。皆さんは10代前半に東京女子流に入りましたが、芸能界以外の地元の友達って連絡とってます?
山邊 とってますね。私の代はちょうど今年で大学卒業なんです。なので、みんな就職活動が終わって、就職先が決まっていて。こういう仕事につくとかって話をよく聞くんです。そういう話を聞くと、自分も負けてられないなっていう気持ちになるし。友達の力はやっぱり偉大だなって思います。ただ、逆に焦りもしますね。みんなは大学を卒業して、仕事を始めて、今までよりも安定すると思うんです。そこで、「あ~、自分やばいやばい」っていう気持ちにもなるから複雑ですね。
──そういう話を女子流内でしたりは?
中江 う~ん、女子流内ではしないですね。それぞれ地元の友達とする感じで。女子流はずっと一緒にいるので、それぞれの地元の友達の名前を出すと「あ、あの子ね」ってなんとなく分かるんです。
──あ、お互いの友達もだいたい知ってますか。
中江 知ってますよ。「あ、○○ちゃんね」って名前は覚えてます。
──ホント家族ですね、それ。
中江 ですね(笑)。でも、その地元の子と会うと、やっぱり昔から一緒に育ってきた仲だから、励みにはなりますよ。向こうが頑張ってるから私も頑張ろうって。会えばすごく支えになります。
新井 この間、成人式を迎えて久しぶりに中学の時の友達と会ったんですけど、私のみんなのイメージは中学の時で止まってたんです。それが警察官や消防士、学校の先生を目指して今大学に通っている友達がいて。自分たちもそういう年代になったんだっていうのを改めて感じて、すごく微笑ましい気持ちと、ここまで大人になってしまったんだっていう気持ちがあってちょっと複雑でした。時が経つのって早いなって改めて思って。
中江 私が東京に来て地元の友達はちょっと離れていたじゃないですか。だから気づいたら二十歳っていう感じはあるけど、メンバーはこの9年ずっとここにいてくれて、隣で一緒に年をとってきたので安心感がありますね。いてくれて心強いです。
──アイドル界では同時期にデビューしたPASSPO☆やSUPER☆GiRLSの1期生など”同級生”が卒業や解散を選んでいます。アンジュルムの和田彩花さんが卒業を発表した時、庄司さんがブログで「仲間がいて心強かった」と書いていましたが、やはりデビューが近い人たちには仲間意識がありますか?
庄司 すごくありますね。女子流は元々ぜんぜん違う夢を見ていたメンバーが集まって、ほぼゼロからのスタートで不安だった中、同時期にデビューされた皆さんの存在は仲間というか心強い存在で。自分たちも頑張ろうって気持ちに自然とさせてくれる存在だったので。去年は特に多かったですけど、みんなが卒業していっちゃうのが正直めちゃくちゃ寂しくて。でも、その分2010年からのその時代を一緒に活動してこれたっていう誇りが私たちにもあるので、それを私たちが終わらせるんじゃなくて、その時代の歴史をこの先も続けていくために私たちはより頑張らなきゃなっていう気持ちにもなりました。
山邊 今は毎月すごい数のアイドルさんが結成されてますけど、2010年頃ってホント1年通しても数えるぐらいしかなかったので、ステージ上ではライバルだけど、ステージ降りたら仲間、このブームを一緒に盛り上げていきたいっていう意識の方が強かったですね。ライバル同士というより、みんなでブームを盛り上げようっていう方が強かったから、ホントあの時の絆ってすごいなって思いますね。
庄司 あの時代から活動できて本当に有り難いなって今改めて思います。女性アイドルブームがスタートしたあの時期を知ってるからこそ、辛いことがあっても挫けちゃダメだって思うし、より新しく、もっともっと進化していかなきゃなって思います。
──特にデビュー時期が近い、ももクロとスマイレージ(現・アンジュルム)は別格ですか?
山邊 違う!
庄司 特別!
山邊 今でも(百田)夏菜子ちゃんが女子流のことをラジオで話してくれたりとか、(高城)れにちゃんが、同じ4人グループなんで女子流と一緒に騎馬戦やりたいって言ってくれたりとか。あーりん(佐々木彩夏)は同級生ってこともあってたまに遊びに行くんですよ。そうすると当時の思い出とか話したりすので、その3組は特別っていうかホント同志って感じですね。
庄司 年齢的にも少しお姉さんで、当時からキラキラされてた方たちなんで。同時期にデビューさせていただいたけど、私たちからしたら憧れですね。ずっと輝いていてほしいし、そこを目指して私たちも追いかけていきますっていう気持ちでいます。
──昨年末にパシフィコ横浜で開催された「ももいろ歌合戦」では共演もしました。
中江 2011年に女子流はももクロさんと五番勝負っていうのをやらせてもらったことがあって、その時も『おんなじキモチ』をやらせてもらったんですけど、今回も「ももいろ歌合戦」で『おんなじキモチ』を一緒にやらせてもらうことになって、その時、ももクロさんはみんな「身体が覚えてるもん」って言って踊って下っさって、それがすごく嬉しくて。またコラボできることがあるって思ってなかったし特別な時間でしたね。
新井 あと、ももクリ(ももいろクリスマス2018・12月24日にさいたまスーパーアリーナで開催)にも出演させていただいたんですけど、その時も少しお話する時間があって、10周年ライブの素敵なDVDもいただいて、ずっと変わらずに接してくださるももクロさんたちに温かい気持ちになりました。
──五番勝負もあって女子流とももクロは一緒にやっているイメージがありますが、スマイレージは?
山邊 イベントでよく会ってました。また雑誌でも、ももクロさん、スマーレージさんと女子流の3組が同時期にデビューっていうのもあって、よくその3組がセットになってたんですよ。
新井 『MUSIC JAPN』(NHK)も一緒だったしね。
庄司 あとスマイレージさんの『夢見る15歳』のMV、YouTubeでめっちゃ観てたよね。
山邊 みんなで観て歌って踊ってた(笑)。
庄司 大好き!
山邊 女子流はその当時『キラリ☆』を出してたんですけど、『キラリ☆』は当時の私たちからしたらちょっと大人びてて、衣装も白と黒だったんです。『夢見る15歳』はMVがすごくキラキラしてて、ミニスカートで。当時の私たちにはないものが詰まってたから「いいなぁ」って言ってました。
──さて、これまでここ10年の話をしてきましたが、最後は10年後の話で締められると、皆さん10年後のイメージってあります?
中江 10年後は31歳ですね。
──まず女子流はやってますかね?
山邊 やってたい。
新井 うん、やってたい。
中江 『私がオバさんになっても』とかを歌ってたい(笑)。
庄司 女子流をベースに、それぞれがやりたいことを少しずつ叶えられてたらいいなって思います。例えば(山邊)未夢だったらファッションのブランドを作るとか、友梨だったらお芝居をやるとか。女子流はあるけど、個人としても花を咲かせられたら、すごく輝いている30歳になれるんじゃないかなって思いますね。「なんか4人揃ったらやっぱり最強だよね~」っていうグループになれたないいなって。
山邊 たしかにそれいいね。1人でも100%の力を出せるけど、4人集まると500%の力が出せるみたいな。
──『ラストロマンス』のリリース時(2018年2月28日)に、新井さんが「ずっと女子流でいられるために頑張る」と語っていたのが印象的です。
新井 やっぱり歌が好きで、元々好きになったのはおばあちゃんがきっかけで(※1)、女子流に入れたのも歌がきっかけなので、歌は自分の中では極めたいなって思っています。
──女子流でやっていくことへのこだわりはありますか?
新井 女子流でいるからこそいろんなことに挑戦できたりするので、そのこだわりは強いですね。
中江 女子流はホントに人生で大きなことだなって思ってます。女子流がなかったら今も大阪にいましたもん。
新井 私も宮城にいたよ。
山邊 私なんて女子流っていう名前がとれたら、ただの人になっちゃうから。
中江 みんな人なんだけどね(笑)。
山邊 東京女子流の山邊未夢で1つのセットになってるから。女子流じゃなかったら絶対にここまでこれなかったと思うから。ホントこれからも東京女子流に恩を返す気持ちでどんどんやっていけたらすごく良いグループになるんじゃないかなって思ってます。
庄司 私も「おんなじキモチ」です。
中江 あ~、いいな。そのセリフ、私が言いたかった。
※1 小さい頃、おばあちゃんが童謡とかをたくさん聞かせてくれて、すごく歌を歌わせてくれたんです。それから1人でもホントにうるさいぐらい歌ってたんですよ。小学校の時に後ろの席の男の子に「うるさい!」って言われるぐらい授業中も勝手に歌っちゃってたみたいです。

東京女子流
(写真左から)庄司芽生、新井ひとみ、山邊未夢、中江友梨、の4人組ダンス&ボーカルグループ。2010年に活動を開始し、5月に『キラリ☆』でデビュー。2012年には日本武道館単独公演も開催。

26thシングル『光るよ/Reborn』2月27日(水)発売
「見ちゃいけない東京女子流」をテーマに今までの路線から一線を画す両A面シングル。『光るよ』は24thシングル『ラストロマンス』から歌詞を担当しているシンガーソングライターの春ねむりが歌詞を担当、『Reborn』はラッパーのSEAMOが作詞を担当している。