【写真】永野芽郁が、髪ボサボサでたばこをふかしたやさぐれキャラに、映画場面カット【8点】
平庫ワカ原作の同名マンガを『浜の朝日の嘘つきどもと』(2021)のタナダユキが映画化した本作では、永野は髪がボサボサでたばこをふかしたやさぐれキャラを演じている。今までにも『ピーチガール』(2017)や『地獄の花園』(2021)などで、ヤンキー気質を持ったキャラクターを演じたことはあったものの、ここまでやさぐれているのは、初めてではないだろうか。
正に新境地といったところだ。
物語は、主人公トモヨの親友マリコが突然、この世を去ったところからはじまる。そもそも親友に提議など存在しないが、トモヨとマリコの関係性は、いわゆる一般的な”親友”のかたちとは少し違っている。なんならトモヨはマリコのことを少しめんどくさい存在と思っていて、長い間、連絡をとっていなかったり、一緒に行こうと約束した旅行も結局行かないままだった。そんな少し距離のある関係でもある。
互いの認識の仕方や形は違っていても、確実にトモヨもマリコも互いを親友だと思っていたことは間違いないのだが、親友であったはずなのに……という後悔が尽きない。もっと寄り添って、もっと親身になっていてあげれば今もマリコは生きていたかもしれない。
死んだ理由さえ知らない自分へのイラ立ち、何も言わず死んだマリコへのイラ立ち、喪失感、後悔、悲しみ。そんな複雑な感情が混ざり合って、トモヨは思わずマリコの遺骨を握りしめ、最初で最後の旅に出る。つまりマリコという人間の存在、記憶を探求するロードムービーでもあるのだ。
また観客の視点としてもマリコがどんな人物なのかが、よくわからない状態からスタートすることもあって、トモヨの視点とリンクする部分が多くある。
何気ないことや、見た風景がトリガーとなって、学生時代と大人になってからの記憶が断片的にフラッシュバックされていく演出が、観客もマリコという、どこか不思議な女性の存在を知っていくことになる。
過去を掘り返したところで死んだ者が蘇るわけではない、世界は何事もなかったように動いていく。
結局、自分の中で折り合いをつけることは、自己満足に過ぎないのかもしれない。行き場のなく、静かでシンプルな物語ではあるが、トモヨがマリコの死に対して、自分なりの折り合いをつけていく上質な物語だ。
『半分、青い』で共演してから、プライベートでも親友になった奈緒がマリコを演じるというのも注目すべき点であり、実際に親友同士だからのこその説得力というのが作中に反映されているのだ。
同じタナダユキ監督作品としては、『浜の朝日の嘘つきどもと』も残された者の生き方とは……というテーマが描かれており、悲しんでいるだけでは、生きていくことができない現実と、時間の流れにどう折り合いをつけていくかという点において共通点もあったように思える。そういった作家性なのだろう。
▼ストーリー
ある日、ブラック企業勤めのシイノトモヨ(永野芽郁)を襲った衝撃的な事件。それは、親友のイカガワマリコ(奈緒)がマンションから転落死したという報せだった――。彼女の死を受け入れられないまま茫然自失とするシイノだったが、大切な親友の遺骨が毒親の手に渡ったと知り、居ても立っても居られず行動を開始。包丁を片手に単身“敵地”へと乗り込み、マリコの遺骨を奪取する。
『マイ・ブロークン・マリコ』
9月30日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
配給:ハピネットファントム・スタジオ/KADOKAWA
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