『やんごとなき一族』での怪演、『復讐の未亡人』でのクールな姿と、多彩な演技で魅了する女優・松本若菜。自身の誕生日に発売される“彼女のすべて”が詰まった初フォトエッセイ集『松の素』(KADOKAWA)発売を前に、芸歴17年・これまでの紆余曲折の日々から、この先に踏みしめる一歩について聞いた。


【写真】多彩な演技で話題、松本若菜の撮りおろしカット【10点】

高校時代に地元でスカウトされ、この世界への憧れを抱くも、その時は断念した。卒業後に4年ほど社会人生活を送る中、芸能の夢が再燃し、22歳で単身上京。この世界で生きていくと決心してから、17年の歳月が流れようとしている。

当時の松本が今の松本を見たら、今の活況は想像できただろうか? と問うと、「全くできません」と、まるで一文字ずつ噛みしめるように答えた。

「もちろんなりたい将来の自分の像はありましたが、それが実現しているとは想像もできなかった。32歳の時に『愚行録』という作品で、ヨコハマ映画祭助演女優賞をいただくまでの私は、『この世界にいてもいいの?』、『誰も見てくれないじゃん』と腐っていくばかりの日々を送っていました」

上京間もない2007年、『仮面ライダー電王』で佐藤健演じる主人公の姉・愛理役で華々しくデビューを飾った。2009年には初主演映画『腐女子彼女。』も公開され、順風満帆とも言える歩み。その後も想像できないことが待ち受ける日々。慣れない世界に戸惑うこともあったが、芯がブレることはなかった。

「地元で4年間、社会勉強していましたので、『自分はもういっぱしの大人だ』という感情を持っていましたし、これが自分の今の年齢で訪れる最後のチャンスだろうと飛び込んだので、『大変だ』とは思いつつも、決して焦ることはありませんでした」

それでも中々思うような結果は出ず、オーディションとアルバイトを往復しながらの雌伏の日々。松本曰く「暗黒期」が待ち構えていた。
活動も気づけば10年目を迎え、「もう辞めようか」という言葉が頭をよぎる。その最中に出会ったのが『愚行録』だった。華やかで貞淑な表の顔の裏にひそむ高慢でどす黒い裏顔の両方を使い分ける、見事な演技が大いに評価された。自分の演技での達成感が、やっと結果に結びついたことが一筋の光明となった。

「やっとこの時に、『私を見てくれる人はちゃんといたんだ。やっぱり、自分の生きる道はここだ。これからは、この道で生きていけるよね』と、今の仕事を自分の居場所として初めて認識できて、やっと前向きになれました。同時に『腐っていた時期、もったいなかったな』と後悔もしました(笑)。それからも紆余曲折はたくさんありました。これからの人生、自分は明日どうなるかもわからないけれど、自分がいただいた役に今まで通り真摯に向き合い続けて、真面目にコツコツやっていけば、誰かは見てくれていると信じています」

松本の歩みほど「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が似合うものはない。そう告げると、笑みを浮かべ、「その言葉、実は母からずっと言われ続けてきまして、昔から胸の中にその言葉を秘めているんです」と答えてくれた。

これまでの歩みを見れば一見地道に映る、だが堅実な一歩が松本の足元を強く固めていった。
そのおかげか、これまでの自分の歩みも冷静に振り返られるようになった。

「中々仕事をいただけない時期について『暗黒期』と呼んでいたのは、今は少し違うかなと思うようになってきました。確かにオーディションに落ちまくって、バイトを両立しながらの仕事の日々は、『こんなはずじゃなかった!』とギャップに引き裂かれそうでした。ただありがたいことにその頃も、経験を積まなければできないだろうという役を演じられ、仕事場に行けばやはり成長していく瞬間を実感できて。何より素晴らしい役や脚本、監督、キャストの方たちには恵まれてきたんですよね。

つらいながらも、仕事は楽しいという感情が消えなかったことが、私がこれまで歩き続けられた要因だろうなって。今も不安ではあります。ただ、しっかりと自分らしくいられるように、常にスタッフが見守ってくれていたことがすごく大きいんです」

遠くで松本を見つめる家族の存在もまた、松本の大きな背中を支えた。

「両親は過保護とは遠い人たちで。普通何かあれば『大変だね』と心配の一言でもくれるものですが、一切なにもない(笑)。その距離感が嬉しかった。心配の言葉がないのは、私を信用してくれている証拠ですから。
ああ、この家族で良かった。だから私は私のままいられるんだって。松本若菜という人間は一人では完成していない。まさに色々な人が『松の素』になっている。支えてくれる人がいての私なんです」

紆余曲折を経た今、過去に抱いた焦りは一切ない。

「38歳でやっと、世間の皆さまに注目していただけた。この世界では“遅咲き”と言われていますが、この速度が私にとってすごく良かったんです。きっと20代前半の勢いのまま進んでいたら、どこかで調子に乗った挙句に後悔していたでしょうから。

それに昔から、人生経験を重ねないと絶対に出てこない表情や感情の置き方があるはずと考えているので、常に早く大人になりたくて仕方なかった。30代になったら早く40代、40代を迎えたら50代……そうして歳を重ねる事で、演じられる役の幅って広がっていくもの。昔は可愛らしい役が多かったですが、今では母親役もやりますし、バリキャリの役をいただく機会も増えてきました。そうした生きていくことでの変化が、仕事にも活きていくのって、この仕事ならでは。
今の歳で新しい経験ができるのが嬉しいですね」

近年は年齢からくる体型の変化すら前向きに捉えている。

「もちろんいつまでも20代の肌と体型でいられるなら、いたいですよ(笑)。だけど、いつまでも若々しいことが女優という職業に果たして向いているのか?って思うんです。歳を重ねてできる笑いシワや、体型の変化という“崩れ”も役に活きるはず。何より“崩れ”だって自分の生きてきた道、証じゃないですか。経験も齢も重ね続けていく自分を大切にしたい」

自分の人生全てを受け入れて、「一歩、一歩、進む」を大切にする日々。だからこそ今の自分が歩むべき道を手繰り寄せたのだ。30代最後の歳を迎え、この先々どのような一歩を踏みしめていくのだろうか?

「一歩の歩幅が、昨年はすごく大きかった。けれど自分がやってきた一歩目の出し方は、デビューの頃から何一つ変わっていません。この歩き出し方、踏み出し方さえ変わらなければ、その一歩の形が変わってもいいと思っているんです。例えば『松の素』の発売がそう。今まで『女優、頑張ろう!』と活動する中で、フォトエッセイ集を出すとは思ってもみなかったことでした。
そうした新たなチャレンジというスキップがあってもいい。たまには垂直に飛んでみてもいい(笑)。何なら、後ろに進んだとしても、それもきっと新しい私を形作ってくれるはず。

私は大きく自分に約束事を持ってしまうと、疲れてしまうタイプでして。一歩を踏みしめ続けることは変わらず、その歩み方を自分なりの歩幅で進み続けていけたら、きっとステキな自分でいられると思っています」

(取材・文/田口俊輔)
▽松本若菜(まつもと・わかな)
1984年2月25日生まれ、鳥取県出身。2007年に『仮面ライダー電王』で女優デビュー、以降『愚行録』『復讐の未亡人』『やんごとなき一族』などに出演。
Twitter:@wakana_ma
Instagram:matsumoto_wakana
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