2021年5月にグラビアデビューを果たすと、“令和最強のメリハリボディ”“奇跡の砂時計ボディ”と呼ばれるほど圧倒的なプロポーションを武器にグラビアを席巻、11月13日に発売した1st写真集『TRIKOT』(KADOKAWA)も好評の辻りりさ。15年間、クラシック・バレエに打ち込み、学生時代は子役としても活動していたという彼女の半生に迫る。


【写真】奇跡の砂時計ボディが話題に、辻りりさの撮り下ろしカット【13点】

小さい頃からテレビっ子でドラマを観るのが好きだった。5歳の誕生日に母親が、熊川哲也が主催するKバレエカンパニーの「くるみ割り人形」のチケットをプレゼントしてくれた。その舞台を観たとき、芝居はもちろん、きらびやかな衣装、舞台演出、オーケストラの演奏に魅せられた。

「それまでも母は舞台に連れて行ってくれていたんですけど、『くるみ割り人形』を観て、私もバレエをやるしかないんだと運命を感じて、5歳でバレエを始めて、15年間続けました。毎年、舞台に出ていましたし、コンクールにも参加していました。

中学1年生のときに、バレエを始めるきっかけになった『くるみ割り人形』で、念願だった主人公のクララ役をやらせてもらって。
これで、ひと区切りついたなと自分の中で燃え尽きちゃったところもあったんですが、バレエの先生が『それじゃもったいない』と言ってくださって。

高校1年生からは東京のバレエスクールに通い始めました。千葉の高校に通っていたので、学校が終わって、そのままバレエスクールに行って、終電でおうちに帰るみたいな生活を3年間続けていました」

バレエに打ち込む一方で、小学4年生から中学2年生まで子役としての活動も行った。

「ありがちなんですけど母親が勝手にオーディションに応募していて、最終審査のときに『何だこれは……』と思いながら舞台上でスピーチをした結果、合格して。事務所に所属してお芝居やCMのお仕事をしていました。

でも、たくさんお仕事がいただけたわけじゃないし、現場はすごく楽しかったんですけど、もっと煌びやかな世界だと思っていたので、こんなものなのかと思って。
やっぱり当時はバレエのほうが好きで、バレエの舞台に出たときの快感のほうが大きかったので、バレエ一本に戻りました」

このままプロのバレエダンサーになろうと考えていたが、怪我をしたことで目標を見失ってしまう。

「すぐに治るような怪我だったんですけど、ちょうどバレエ団に入団しようかなと考えていたタイミングだったので、『この道じゃないと神様が言っているのかもしれない』と思っちゃって、バレエをやめました。それから一、二ヶ月で焦って受験勉強をして、大学に入学して。大学在学中は、いろいろなバイトをしながらやりたいことを探していました」

大学時代はキャンパスライフを謳歌するというよりも、ストイックに勉強とバイトに励む日々だった。

「大学1年生のときは斜に構えちゃって、サークルに入るなんてチャラチャラしている人たちのすることだと思って、真面目に講義を受けていました。大学2年生になって、いろんな大学が集まるインカレなら面白そうだなと思って、イベントを企画するサークルに入ったんです。
でも2、3回行って、やっぱり『イエーイ!』みたいなノリに馴染めなくて、結局行かなくなっちゃいました。

大学では真面目に講義を受けて、あとはバイトばかりしていました。家庭教師、塾の先生、理科の実験教室の先生、バレエの先生など、先生ばかりやっていたんですけど、SHIBUYA109のショップ店員もやりました。バイトに打ち込んでいたのは、大好きなお洋服を買うためもあったんですが、ほとんどは貯金。将来に対する漠然とした不安があったんですよね」

社会学部に通っていたのもあり、将来はジャーナリストになりたいという気持ちもあったが、小さい頃から身近にあったエンタメへの思いも断ち切りがたかった。

「高校時代は女子校に通っていたんですが、オタク趣味の子が多くて。
それに影響を受けて、高校3年生で急にアニメを観始めたんです。それで声優さんのお芝居に興味が出始めて。杉田智和さん、中村悠一さん、石田彰さん、神谷浩史さん、津田健次郎さんといった、渋めの声優さんに惹かれて、その方々が出ているアニメを数珠繋ぎで観ていました。

そのうち自分も声のお仕事をしたいと思って、21歳のときに声優さんのオーディションを受けたんです。大きなコンテンツの一大プロジェクトで、声優のアイドルグループを作って、アニメもやって、ライブもやって、ゲームコンテンツにも繋がるという作品のオーディションでした。それに1位通過して、グループも結成して、私は主演の役をいただき、役名も決まっていたんです。
ところが合格通知をいただいた2週間後ぐらいに、『やっぱり十代だけで組みたいです』と言われて……」

就活もして、内定ももらっていたが、オーディションをに合格したことで辞退していた。声優の話が白紙になって、宙ぶらりんの状態になった辻に救いの手を差し伸べてくれたのが、声優オーディションの審査員を務めていた作家の中村航氏だった。

「中村航先生が、あまりにも私がかわいそうだということで、ご自身が代表を務める小説投稿サイトを運営する会社で働かないかと声をかけてくださったんです。私は高校時代に小説を書いていたぐらい書くことが好きだったので、それに関わるお仕事はうれしいなと思って新入社員として入社して。広報みたいなことをやりながら、その会社がやっているYouTubeチャンネルで、小説のレビューや朗読をやらせていただきました」

正社員として働きながらも、いつかは芸能の仕事をやりたかった。声の仕事も諦められなかった。


「年齢的に今からアイドルをやるのも難しいだろうし、今の自分を最大限発揮できるのはどこだろうと考えて、中村航先生に相談した上で、グラビアを始めました。そこから徐々に芸能活動へとシフトしていったんです。グラビアに抵抗は一切なかったですね。

それもバレエをやっていたのが大きくて、バレエをやっていた頃から自分なりの体型管理と見せ方で、観る人にいいなと思ってもらうことへの喜びが軸にあったんです。だからグラビア活動を始めて、よりストイックに頑張らなきゃなと気が引き締まりました」

グラビア活動を始めて約2年半。モデルとしての表現欲は日々増している。

「首の角度一つ、指先の表現一つで印象が違って見えますし、元気なイメージなときもあれば、セクシーなお姉さんのときもあって、いろんな人になれるのがグラビアの魅力です。連続ドラマみたいに長く一つの役をやるのも素敵ですけど、ワンカットワンカットで雰囲気を変えることができるのはやりがいがあります。

今後もグラビアは続けていきたいですし、いずれはお芝居や声のお仕事も絶対にやりたいです。先日、とある声優オーディションに合格したんですが、スケジュールの都合で参加できなくて……。でも定期的にそういう場に行くことによって、自分に自信をつけておきたいんですよね」

【後編はこちらから】“令和最強のメリハリボディ”辻りりさ「コンスタントに水着を着ていないと駄目だと思いました」