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再び令和の時代にやってきた市郎(阿部サダヲ)。
…って、その設定だと「市郎だけでなく普通の乗客も全員タイムスリップしちゃうだろ!」と思わずツッコミたくなるが、これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する車型タイムマシン、デロリアンのオマージュなのだろう。
そういえば第1話で、井上という名前の生徒が、将来の夢について作文を読み上げるシーンがあった。いかにも勉強ができそうな雰囲気を漂わせる井上は、デロリアンの例を用いてタイムマシンは理論上は開発可能であることを熱弁。将来は科学者になりたいと語っていた。
そして路線バス型タイムマシン開発者は、サカエの夫であり、キヨシ(坂元愛登)の父である井上昌和教授(三宅弘城)。おそらく同一人物だ。となると市郎は、自分の教え子が作ったタイムマシンによって令和にやってきたということになる。ひょっとしたら、この物語のキーパーソンは井上かもしれない。
また今回のエピソードでは、渚(仲里依紗)はもともとテレビ局のAP(アシスタント・プロデューサー)として働いており、フリージャーナリストの夫・谷口龍介(柿澤勇人)との間に子供をもうけ、産休に入っていたことが明かされる。会社の託児室に子供を預けて仕事に復帰したばかりなのだが、“働き方改革”の名の下に、どうにもこうにもやることがうまくいかない。
新人はシフト制のために教える手間が二倍になるし、上司は企画書を読む時間も作ってくれないし、やる気がすっかり削がれてしまう。夫に相談しようにも、分刻みのハードスケジュールでまともに話ができる時間もない。ほとほと疲れてしまった渚は、夫に離婚届を突きつけ、テレビ局には辞表を提出したことを明かす。
昭和おじさん・宮藤官九郎は、自分にとって身近な職場であるテレビ局を舞台にして、「面白いテレビ番組がなくなってきた」危機を軽やかなタッチで描き出す。
第1話では、令和的価値観と昭和的価値観の中間的なポジションにいる秋津睦実(磯村勇斗)に、「だから話し合いましょう、今日は話し合いましょう」とミュージカル的演出で歌わせて、真の多様性は何なのだろうと問いかけた。そして今回の第2話でも、現場で奮闘する渚の本音がミュージカル風に語られる。
ひとつ:仕事は一人でやらせて欲しい、ふたつ:シンプルに給料をあげて欲しい、みっつ:託児所は別館ではなく本館に設置して欲しい、よっつ:ペーパーレス化は急がないで欲しい、いつつ:ランチは最低一時間保証して欲しい(以下省略)。働き方改革という建前だけを信奉する会社と、実際に働く人間たちの偽らざる想いのギャップが、鮮やかに示される。
人間は、正論だけでは生きていけない。正論は正論であるが故に、知らず知らずに人を追い込んでしまう。渚が夫に向かって叫ぶ「あんたAIなんすか、夫GPTなんすか?」という言葉は、それだけに切実に迫ってくる。コンプライアンスとは何なのかを、改めて突きつけてくる。
おそらく宮藤官九郎の意図は、昭和的価値観を称揚することではない。昭和おじさん・市郎というキャラクターを中心に据えることで、令和の常識を改めて相対化させ、本当に我々にとっての幸福とは何なのか、その思考を促すことにある。
『不適切にもほどがある!』は、破格の風刺性と実験性に富んだ、とんでもない作品なのではないか。放送されているのはまだ2エピソードだけだが、早くも筆者は2024年最重要ドラマであることを確信しております。
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