井上 小野寺さんは2009年の自民党総裁選のとき、出馬する方向で準備を進められていたと聞きました。
小野寺 そうですね。どういうことかと言うと、当時は旧民主党政権で自民党は野党になっていました。政権奪取に向け、党内の若手の間ではかなり危機感が高まっていたんですね。そこで、当選1回、2回、3回の若手議員で政策をしっかりとゼロから考えようという動きが起きました。私は3期生だったこともあり、その会の会長を務めていたんです。その流れで総裁選出馬の話にもなったんですが、最終的に若手の代表として河野太郎が出ることになり、だったらいいじゃないか、と。
井上 実際、その総裁選では所属する宏池会が推していた谷垣禎一さんではなく、麻生派の河野さんを支持されたんですよね?
小野寺 そうです。野党になった以上、チャレンジャーですからね。当時、なぜそうしたかをこういう例えで話したことがあります。井上さんは分からないと思うんですが、巨人がV9といって9年続けてリーグ優勝を果たしたことがあります。
井上 宏池会からの反感や批判はなかったんですか?
小野寺 当時はあれだけ選挙で大敗した後でしたから、党内は呆然としていました。派閥の中でも、経験のある先輩方の方が一気に変わった風景に戸惑っていたと思います。実際、こういうこと言っていた方がいましたから。「今までずっと各役所の次官が来て、説明をしていた。それが急に課長以下が来るようになった」と。経験があり、それなりの立場にいた先輩方ほど、野党になったことのショックが大きかったんでしょうね。逆に経験が浅い私たちは、そこまで役所との深い付き合いもなく、フラットな感覚でいられたのだと思います。
井上 なるほど。
小野寺 でも、あの時期の経験は貴重でした。野党暮らしは、毎日政府を攻撃するしかないわけです。そこで、何が分かったかというと、野党が与党をどうやって攻撃してくるか。そのやり方が身につきましたし、見えるようにもなりました。
井上 逆の立場になったからこそ、ですね。
小野寺 与党だった旧民主党のミスで、自民党は予想以上に早く政権復帰しました。その安倍内閣で、私は防衛大臣として入閣しましたが、「たぶん俺が野党だったら、ここを突いてくるな」というのが分かる。つまり、攻め方が分かるんですよ。ですから、役所と事前に打ち合わせる大臣レクでも、こちらから役人に「必ずこことここを相手が攻めてくるから、準備して欲しい」と伝えることができました。この勘所は、役人には分かりません。彼らは法案についての説明能力は長けています。その分、政治家が国会審議の場で野党がどこを攻められるかを見抜き、対処できるよう準備する。
井上 ひるがえって、今の野党の攻め方はどうですか?
小野寺 こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、自分たちのときはかなり厳しくやっていたな、と。次々と大臣が代わっていましたし、自民党は強力な野党だったと思います。
井上 今年7月に行われた参院選。私は全国あちこちを取材して、特に広島選挙区に注目していました。
小野寺 本当に政治がお好きなんですね。
井上 大好きです! 小野寺さんの属する宏池会の現職議員である溝手顕正さんが出馬しているところに、官邸主導という形で河井案里さんが擁立されました。改選2議席を自民党が独占できればよかったのかもしれませんが、結局、溝手さんが落選。宏池会の方からしたら思うところがあるのでは?
小野寺 答えにくいところを聞いてきますね(笑)。まず、最終的に県民が判断する選挙ですからね。県民の皆さんがそう判断されたんだということだと受け止めています。
井上 選挙期間中、小野寺さんは溝手さんの応援に入られましたよね。
小野寺 はい、入りました。宏池会の先輩ですから。
井上 そのときの地元の方の反応はどうでしたか?
小野寺 やはり名前の通っている実績のあるベテランですから、陣営には安心をされている方もいたと思います。ただ、私は宮城県の県連会長のとき、逆の形で若手を出した経験があったので、危機感を抱いていました。
井上 広島選挙区のことも踏まえて、前回の参院選の宏池会としての評価は?
小野寺 確かに、私は政策集団の宏池会に属しています。ただ、私もそうなんですが、最終的にすべての議員は有権者の方の判断を受けます。よく言われる通り、政治家は誰に選んでもらっているか。派閥の会長に選んでもらっているわけではありません。総理大臣にも選んでもらっているわけでもありません。選んでくれるのは、有権者、地元の有権者です。ですから、誰を向いて仕事をするかと言えば、地元の有権者の皆さんであり、国会議員として国のためになる仕事がしたい。
井上 派閥は関係ない?
小野寺 もちろん、国会でお世話になった派閥の先輩はいます。
井上 永田町以外の地元での活動が大切なんですね
小野寺 私どもは代議士ですから、地域の声を代弁して国政に届けるのが大きな役目です。私がずっと農林水産を政策的にやらせてもらっているのは、地元が水産業、農業、林業を主体とする地域だからです。震災で影響を受けた地域でもありますし、過疎地域でもあります。「何で小野寺さん、『TPPから国益を守る会』の会長をしているの?」「自由な通商貿易に反対なの?」と聞かれることもあります。それは地元の声を国政に向けて代弁するためです。逆に国として決まった方針に関して、地元の皆さんに説明して、「今度、アメリカの牛肉が入ってくるかもしれないけれど、国はこうするから安心してください」と説明するのも私の仕事。両輪なんですよね。
井上 大臣経験者の小野寺さんにぜひ聞いてみたいことがありました。大臣の仕事に必要な資質ってなんですか?
小野寺 閣僚になると、チームで仕事をすることになります。組織を動かして政策を前に進めていくためには、信頼関係を作ることが欠かせません。なぜ、皆さんがこういうことをしなくてはいけないのか。その理由をはっきりと述べて組織に対する説得をして、初めて改革をしようと物事が前に動いていくわけです。そんなことを私が具体的に感じたのは、防衛大臣時代。自衛隊には、戦車がありますよね?
井上 はい。
小野寺 それもとても優秀な戦車を持っています。しかし、今、自衛隊は本州から戦車をなくすという方針を決め、改革を進めています。
井上 どうしてですか?
小野寺 防衛大臣時代、部隊挨拶に行ったとき、戦車の機敏な動きを説明してもらいました。そこで、疑問に感じたのが仮に日本海側で緊張感が高まったとき、太平洋側に配備されている戦車を移動させることができるのか。すぐに再配備して日本海沿岸を監視できるのか。私は「どのくらいの時間でいけるんですか?」と聞きました。すると、「この戦車の重量ではアスファルトを傷めてしまうため、道路を自走することができません。ですから、まずこの戦車の下の部分と砲塔部分を分けます。そのうえで、トレーラーで輸送するのが現実的です。ただし、太平洋側から日本海側への大きな移動となると、自衛隊の保有するトレーラーでは足りません。民間のトレーラーを借り、一般道を通って日本海側に運び、そこで組み立て直す必要があります」と。
井上 大変ですね。
小野寺 「結局、どのくらいかかるんだ?」ともう一度、聞くと「トレーラーの手配がつけば3日で」と。え? となりましたよね。重ねて、「戦車は実際どんな状況下で使う想定なんですか?」と聞いたら、部隊の専門家は「戦車で攻められとき、戦車対戦車が一番有効な対抗手段です」と言う。それはそうなのかもしれないですが、日本は島国です。太平洋側から本州に戦車が上陸してくることは想定されるかと言うと、「おおよそ想定されません」と。結果、現実に即した形で装備を変えることになったわけです。
井上 そのきっかけを作ったのが、防衛大臣時代の小野寺さんなんですね。
小野寺 今、戦車を減らし、機動戦車というタイヤで自走する車両に入れ替えています。これは高速道路を自走できるので、有事にもわずかな時間で各地に展開できます。太平洋側から日本海側へも半日あれば大丈夫。そういう改革を勧められたのは、信頼関係をしっかりと築くことができたから。彼らにしたら戦車は自分たちの魂のようなものですから。それでも理を説き、納得してもらえれば動いてくれる。信頼感のもとに組織を動かしていくのは、どんな役所を相手にしたときにも必要なことだと思います。
井上 今回の組閣で防衛大臣に河野太郎さんが就任されましたが。
小野寺 友人ですから、大臣になってすぐここに来ましたよ。そこで、「大変なことはなんですか?」と言うから、「率直に言います。防衛大臣は頭を下げる仕事です」と伝えました。外務大臣は、「けしからんっ」と言う仕事なのに対して、防衛大臣は「すみません」と言うことの多い仕事。自衛隊が事故を起こした。新しい基地を作りたい。何とかご了解いただけないでしょうか、と。頭を下げる河野太郎大臣を見てみたい。彼は将来もっと大物になるであろう政治家ですから、今回の経験がとても大事なものになると思って、応援しています。
▽井上咲楽(いのうえ・さくら)
1999年10月2日生まれ、栃木県出身。A型。現在は『アッコにおまかせ』(TBS)などバラエティ番組を中心に活躍。
Twitter:@bling2sakura
▽小野寺五典(おのでら・いつのり)
1960年5月5日生まれ、宮城県出身。自由民主党所属衆議院議員。東京水産大学水産学部海洋環境工学科卒。宮城県職員を経て、97年に初当選。外務大臣政務官、外務副大臣、防衛大臣を歴任。