今回はそのオーディションで上位に位置付けた3名が、立候補の瞬間からバトルを振り返る。さらに、ラストアイドルがこの先目指す場所についても語ってもらった。(2回連載の1回目)
【写真】ラストアイドルのスタイルが際立つ全身カット
──8thシングル表題曲の歌唱メンバー18人をオーディションバトルで決めると発表されたのが昨年12月の「2周年記念コンサート」。それを聞いたときの率直な気持ちは?
長月 「やったー!」って思いました。ラストアイドルファミリー全員で何かに取り組むことで得られることもたくさんあったんですけど、「そろそろ空気を入れ替えないと」と思っていたんですよね。そもそも個人でのバトルはみんな1~2年ぶりで、その間にみんながどれだけスキルアップしたのかを見たいという気持ちもありました。
阿部 私もずっと刺激を求めていたので、バトルと聞いてうれしかったです。私個人としても「いつかはラストアイドルも選抜制にしないといけないな」と思っていて。選抜制にすることで1人ひとりにスポットが当たる機会も増えるはずだし、これはチャンスだと思いました。
──前向きなお2人に対して、間島さんは複雑な心境だったそうですね。
間島 はい。
──今回のバトルは立候補制。間島さんも最終的にはバトルへの参加を表明しました。
間島 ずっと迷っていていろんな人にも相談したんですけど、ここで立候補しないのは自分にとって“卒業”を意味するんじゃないか、と。でも私にはまだまだラストアイドルでやり残したことがあると思ったので、立候補することにしました。
──バトルに挑むに当たって、それぞれ目標はありましたか? それこそ阿部さんは「何でも1番目指します!」と宣言されていましたが。
阿部 確かに「1番目指します!」とは言いましたけど、あれは勢いで言っただけで(笑)。実際は立ち位置にこだわりはありませんでした。もし後ろの位置になったら前の子を引き立たせる役に回ろうと思っていたし。
長月 私が目指したのは立ち位置2番を獲得すること! 自分はセンター(1番)の重圧には耐えられないだろうけど、3番手以降にはなりたくなくて。センターの隣に立つことを目標にしてバトルに挑みました。
間島 私は、立候補したもののやっぱりバトルが嫌で。順位よりも「ただ歌うだけでは終わらせないぞ」みたいなことばかり考えていました。
──オーディションバトル立候補者は41名。審査員の前でダンス・歌唱・一言パフォーマンスを披露し、その結果阿部さんが1位に輝きました。振り返ってみていかがですか?
阿部 オーディションまでの期間ずっと(地元の)山形にいて、スタジオを1週間借りて毎日ダンスの自主練に取り組みました。あと歌は、私が普段よく歌うような曲ではなく意外性を感じていただきたかったので欅坂46さんの『サイレントマジョリティー』を選曲したんですけど、上手く歌えなくて。だから自分が1位と聞いてびっくりしました。安心感とプレッシャーで複雑な気持ちになりましたね。
──長月さんは、バトルの感想は?
長月 久々に震えましたねぇ~! 今回私は技術的なことより「自分に何が求められているか」を意識して、歌唱審査ではあえて現代のアイドルソングではなく、上の世代の方の心に刺さる松田聖子さんの『青い珊瑚礁』を歌いました。
──ヤバい!? キャラ的に自主練していることを知られたくなかった?
長月 はい、「みーたん(長月)も練習するんだ」って思われるのが恥ずかしくて(笑)。でも結局バレて「頑張って!」って言われました。
──(笑)。でもその成果もあって、希望通りの2位となりました。
長月 2位で呼ばれた瞬間は「良かった~!」って。でも選抜全員が発表されて、私が「絶対に入る」と思っていた子が入っていなかったんですよ。だから心苦しかったです。
──間島さんは歌唱審査で涙ながらに『バンドワゴン』を歌い3位に。
間島 先ほども言った通りただのバトルでは終わらせたくなかったし、「これはラストアイドルをひと回り大きくするためのバトルなんだよ」という自分なりの意志をメンバーにもファンの皆さんにも伝えたくて、あえてこの選曲にしました。とはいえ、実力的には絶対に私は3位じゃなかったと思います。
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(取材・文/左藤 豊)
▽阿部菜々実(あべ・ななみ)
2002年5月17日生まれ、山形県出身。O型。ラストアイドルファミリー内のユニット「LaLuce」メンバー。
▽長月翠(ながつき・みどり)
2000年5月17日生まれ、愛媛県出身。O型。ラストアイドルファミリー内のユニット「LaLuce」「シュークリームロケッツ」のメンバー。
▽間島和奏(まじま・わかな)
2000年4月26日生まれ、北海道出身。B型。ラストアイドルファミリー内ユニット「Someday Somewhere」のメンバー。