【写真】スタイルの良さも丸わかり、森咲智美の私服撮り下ろしカット
今年に入ってからは『マツコ会議』(日本テレビ)『ゴッドタン』(テレビ東京)といったバラエティ番組でも活躍、先月27日に発売した3rd写真集『Utopia』(ワニブックス)は今月2日には早くも増刷が決まるなど話題を呼んでいる。そんな森咲に改めて芸能界に入ったきっかけからSNS、グラビア戦略までを聞いた。(3回連載の1回目)
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――芸能界に入ったきっかけを教えてください。
森咲 高校2年生のときに何かバイトをしたくて、たまたまドラマのエキストラに応募したら、そこの会社の社長さんが気に入ってくれて、レースクイーンのお仕事を紹介されたんです。
――それまで芸能界に憧れはなかったんですか?
森咲 全くなかったです。自分に自信がなかったので、キラキラした芸能界の世界なんて入れると思っていなかったです。その頃の将来の夢は保母さんでしたからね。
――レースクイーンの衣装は、なかなかの露出度ですけど戸惑いはなかったですか?
森咲 脱ぐことに対して抵抗感はなかったかもしれない。当時はぽっちゃり体型だったので、ファンの方から「痩せたほうがいいんじゃない?」と言われていたのが気になったぐらいで(笑)。
――その後、名古屋が拠点のアイドルグループ「OS☆U(オーエスユー)」に1期生として加入します。
森咲 レースクイーンで一緒に活動した子たちを中心にアイドルグループを作るという話をいただいて。
――それまでアイドルに興味を持ったことは?
森咲 モーニング娘。さんは好きでしたけど、流行っていたからテレビで見ていたぐらいで、ライブやイベントにも行ったことがなかったです。
――集団行動はいかがでしたか?
森咲 苦手でしたね。一匹狼タイプでしたし、メンバー同士で競い合ったり、順位をつけられたりするのが辛かったです。ただ、どうせやるならちゃんとやりたかったので、自分の色を出そうと、当時から自分で衣装を切って、縫ったり貼ったりしてグラマラス体型を強調するようにしていました。スタッフさんに許可をいただいてやっていたんですけど、メンバーからは「何で森咲だけ勝手にやってるの?」って嫌われていたかもしれません(笑)。
――グラビア活動もOS☆U在籍中から始めていますが何かきっかけはあったんですか。
森咲 手島優さんや森下悠里さんのグラビアを見てキレイだなと思って憧れていたのと、芸能活動を始めた頃から撮られたり、写真で自分を表現したりするのが好きだったんです。でも、私の体型的にモデルは難しいから、「グラビアをやりたい」って3年間ぐらい事務所に言い続けていたんですよ。
――OS☆Uを卒業して、グラビアに力を入れるようになったきっかけは何だったんですか?
森咲 「名古屋にグラビアをやりたがっている子がいる」という噂を聞きつけたみたいで、今の事務所の社長が名古屋まで来て声をかけてくださったんです。最初は業務提携という形で始めたんですけど、そのうち寮も作ってくれるというお話をいただいて上京しました。それが24歳のときです。
――グラビアアイドルとしては遅めのスタートですよね。
森咲 親からも心配されて、「上京して2年で売れなかったら名古屋に帰ってきなさい」と言われました。それで絶対に2年で売れなきゃって気持ちを切り替えて頑張りました。私は三人姉妹の次女なんですけど、姉も妹も一般のお仕事に就いているので、親は私にも安定した職業を望んでいたんです。でも上京して2年後に「グラビア・オブ・ザ・イヤー」(※キネマ旬報社が主催する、もっともショップに貢献したグラビアアイドルを表彰する賞で2018年に創設)のグランプリをいただいて、ようやく親も認めてくれました。
――2018年、2019年と2年連続で「グラビア・オブ・ザ・イヤー」のグランプリに選ばれましたが、手ごたえは感じていましたか?
森咲 1年目は自覚がなくて、自分なんかでいいのかなと思いました。でもがむしゃらに突っ走っていたのを認めてもらえたのは嬉しかったですね。
※インタビュー2<「#これがこう」誕生のきっかけ>はこちらから。
▽森咲智美
もりさき・ともみ。1992年8月12日生まれ、愛知県出身。高校2年生のときに、アルバイトをしようとドラマのエキストラに応募。その会社からレースクイーンの仕事を紹介され、レースクイーンに。2010年8月には1期生としてOS☆U(オーエスユー)に加入。2016年3月の卒業まで愛知県名古屋市大須を拠点に活動。卒業後は拠点を東京に移し、本格的にグラビア活動を開始。自身が考案したハッシュタグ「#これがこう」とともに投稿するグラビア写真で人気に火が付き、300万人を超えるフォロワー数を誇る。最もショップに貢献したグラビアアイドルに送られる「グラビア・オブ・ザ・イヤー」で2018年、2019年と2年連続でグランプリに輝く。