以前からビーチクリーンに関心があり、参加経験もあるというラジオDJのnicoさん。
しかし多くは週末に催され、近年土日は早朝からFMラジオ局J−WAVEでの生放送番組「MORNING VOYAGE」があるため参加できずにいた。
そこでなんと「ならば自分で催してしまおう」と思い、すでに3回も開催したのだという。その経緯を詳しく伺った。
開催への第一歩は、海のある自治体への電話
ビーチクリーン開催の決断を後押しした理由はいくつかある。
自分のように仕事や私用で週末は海に行きづらい人がいるだろうし、最近ワークスタイルに多様性が生まれたことで、平日参加が可能となった人も増えたに違いない。
そのようなnicoさん自身が少数派であることから得た気付きに加えて、開催する場所への思いもあった。
その海は高校時代から足を運んでいる千葉県の御宿海岸。透明度の高い海と白砂のビーチが広がる光景は東京近郊と思えない美しさがある。海で過ごす楽しさを最初に教えてくれた場所であることからも、きれいな姿を保つ手伝いが少しでもできればという思いと、御宿の海が持つポテンシャルを広く伝えたいという思いがあった。
とはいえ主催者としては初心者。何から始めていいのかわからない。まずは役場に電話をすることにした。
「ビーチクリーンについていろいろと調べて情報を集めたのですが、開催するためのステップはわかりませんでした。そこで御宿町に電話をして、“ビーチクリーンを行いたいのですが、どうすればよいですか?”と聞いたんです。
すると応対してくれた方は、行政からの許可等は不要だと教えてくれて。集めたゴミに関しても、実施した翌日に町のほうで回収しますということでした。
煩雑なことは何もないので、あとは行動するだけ。ならばやってみようと、今年の5月31日に初開催したんです」。
事前告知は先述した番組内と自身のSNSで。集合は朝10時。開催は正午までとして、その間にいつ来ても、いつ帰っても自由というゆるさのある設定にした。
「初回は20名近くも参加してくれました。自分がひとりだけで行うより、はるかに心強いし、実際に多くのゴミが拾えました。
そしてクリーンアップする意識を持って歩いた御宿のビーチは、遠目には美しく見えるけれども汚れていましたね。特に漂着した小さなプラスチック片が目について……。改めて僕みたいなアプローチをする人が増えるといいなと感じました。
週末に多くの人数を集めて行うビーチクリーンに加えて、少人数でも平日にビーチを清掃する人たちが増えれば、それだけ海はきれいになると思うんですよね」。
そんなnicoさんによるビーチクリーンはこれまで3回開催され、3回目に参加者は40名を超えた。
番組のリスナー、純粋にビーチクリーンをしたい人、サーファー、噂を耳にした地元の人など、回を重ねるに連れて顔触れに多様性が生まれ、なかには東京から電車で来て、“本数があまりないので40分だけ参加して次の電車で帰ります”という女性や、“御宿は思い出の場所なんだけれど久しく来るきっかけがなかった”という初老の男性がいた。御宿の海の美しさに声を失う若者の姿もあった。
ビーチクリーンは海と縁遠い人に、海と接する機会を生むのか!行動したことで考えもしなかったビーチクリーンの効果を目の当たりにし、nicoさんは今、とてもうれしく、楽しいのだという。
サーフィンが好きすぎて20代は波乗り遊学へ
ラジオDJ nicoさん●1976年、東京都生まれ。FMラジオ局のJ−WAVEで番組「MORNING VOYAGE」(土・日曜の5:00から)のナビゲーターを務め、ABEMAをはじめとして国内外のサーフィンコンテストの実況を担当するなど多方面で活躍。またラジオDJが増えてほしいことから、志す人には「SNSからDMをください」とのメッセージ。今後も2カ月に1回のペースで行っていきたい。東京・六本木にステーションのあるJ−WAVEでレギュラー番組を持つラジオDJ がそう考えるのは自身がサーファーであるためだ。
nicoさんは東京・中野の出身。高校時代にサーフィンを始め、好きが高じて20代前半を豪州シドニーと米国サンディエゴに“波乗り遊学”することで過ごした。
ワーキングホリデーを利用して向かった豪州では、コーストラインに沿って国を一周するロードトリップも経験。
米国へは学生ビザを取得して。働きに働いて貯めた軍資金を手に海を渡り、ラグジュアリーなビーチリゾートで知られるラホヤをベースに、日中は学校、それ以外の時間はサーフィンという日々を過ごした。
「海外に行ったのは“サーフィンをきちんとやりたい”と思ったからです。英語も覚えられるかなと思いつつ、でもそれは二の次で(笑)。
豪州には身寄りもなくひとりで向かったんですが、今思えば“とにかくサーフィンがしたい”という情熱があったから行けたんでしょうね。
長期間に及ぶ気ままなロードトリップも、目先のことを優先できる年頃だからこそ実行できたこと。今はもうそんな時間を持てませんし、とても貴重な時間を過ごせました」。
本場のサーフカルチャーに触れられたのもいい経験だった。当時の日本はショートボード全盛、コンペティション全盛という時代。nicoさんもショートボーダーだった。
しかし海の向こうにはロングボードの文化があり、日中に時間をつくり出した主婦や、夕方に仕事を終えた会社員がパドルアウトをするといった光景が日常的にあった。
そんなサーフィンが社会に根付いていることを感じさせる光景に出会うたび、視野が広がっていくことを実感していた。
サーフィンが背中を押したラジオDJへの道
波とともにあった青春の日々は帰国と同時に終焉を迎えることになる。26歳になっていたこともあり、そろそろ腰を落ち着かせたらどうかと、飲食業を営む兄から共同経営に誘われた。うれしい申し出ではあった。ただ、捨てられない思いがあった。それがラジオDJという職業だ。
職業にしたいと思った最初の衝動はラジオのデジタル化がきっかけだった。それは中学生の頃の出来事で、耳に届く音声の質がガラリと変わったことに大きな感銘を受け、スピーカーの向こう側で話す人への関心を抱くことになったのだ。
もうひとつの決め手が、1980年代から毎年のように日本で開催されていたプロサーフィンの国際大会が、ある年に地上波の深夜枠で放送されたことだった。その放送では千葉の海を舞台に世界のトップサーファーたちが華麗なライディングを見せ、その模様をよく聴くラジオのナビゲーターが伝えていたのだ。
「それはクリス・ペプラーさんです。トーンが低くスイートな語り口調は耳に心地良く響きましたし、シンプルな言葉で伝えていたところも特徴的でした。
クリスさんが発するフレーズにもいくつか印象深いものがあって、たとえば豪州出身のシェーン・パウエルが負けたときに『シェーン、波のリズムに合わず惜しくも敗退』と言ったのですが、そのフレーズはサーフィン大会の実況仕事の際に使わせてもらっています(笑)」。
大好きなサーフィンとラジオがクロスする稀少な番組を観てからというもの、ラジオDJへの思いを温めていたnicoさん。
既にサーフィンへの熱い思いは“遊学”で満たしたこともあり、次は残された夢をかなえるためJ−WAVEの一般公募オーディションに挑戦。すると、しゃべりのノウハウを学んだことのない未経験者ながらファイナリストに。
合格とはならなかったが、人生初のオーディションで最終審査に残ったこと自体に希望を見いだし、ほかのアプローチを模索していった。
そして事務所に所属し、半年後にはJ−WAVEでデビュー。バンジージャンプを飛んだり、サソリを口に入れるといった元気印の若手レポーターの任を経て、もう5年以上、朝の顔のひとりとして爽やかな話題をリスナーに提供し続けている。
nicoさんらしいのは、大都会から発信されるものながら、携わってきた番組のほぼすべてで海感が漂っていることだろう。先述した現在のレギュラー番組にはバーチャルトリップというコーナーがあり、先日はインド洋上に浮かぶレユニオン島を紹介していたように。
そして今春からは局のブースを飛び出しビーチというリアルな場へ進出。リスナーや初めて出会う人と一緒にビーチを清掃にしながら、海の魅力を伝えていこうとしている。
Y’s Air=写真 小山内 隆=編集・文
