『戦術リストランテVI』発売記念!西部謙司のTACTICAL LIBRARY特別掲載#4
フットボリスタ初期から続く人気シリーズの書籍化最新作『戦術リストランテⅥ ストーミングvsポジショナルプレー』 発売を記念して、書籍に収録できなかった西部謙司さんの戦術コラムを特別掲載。「サッカー戦術を物語にする」西部ワールドの一端を味わってほしい。
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パリ・サンジェルマンは作られたクラブだった。
「プロジェクト・PSG」のなれの果て
パリは言わずとしれたヨーロッパを代表する大都市だ。ところが、強力なサッカークラブがなかった。パリFC(合併後も存続)、クレテイユ、レッドスターなどクラブ自体はあるのだが、1部リーグのクラブはラシンが撤退してから存在していなかった。そこで政界、財界、芸能界を巻き込んでのプロジェクトとしてPSGが誕生している。ジャック・シラクやジャンポール・ベルモンドなどの著名人のバックアップを受けて急成長していった。
1985-86にリーグ1初優勝、91年にはケーブルテレビ局の『カナル・プリュス』が買収して90年代に黄金期を迎える。ミシェル・デニソ会長は有名なキャスターで、日本で言えば久米宏のような存在。大型補強が敢行され、ジョージ・ウェア、ダビド・ジノラ、ライー、ユーリ・ジョルカエフ、レオナルドなどがプレーしている。
しかし、PSGは依然としてプラスティックなチームだった。当時、プレスルームにはスチュワーデスのような衣装を着たレディが入口付近にずらりと並んでいたものだ。彼女たちの役割は、ただ記者たちにサンドウィッチの入ったランチボックスを渡すだけだった。ハーフタイムにはレオタード姿の「ユーロガールズ」が登場、酷寒の中でダンスを披露していた。
国内ではマルセイユに次ぐ人気クラブだが、パリ市民の日常でPSGが話題になることはほとんどなかった。そこまで強くもないし華もなかったからだ。パリには演劇も音楽も映画もある。サッカーが娯楽として、それらに対抗するには無力過ぎた。毎年オフには豪華な移籍リストが新聞を賑わすが、来た試しはなかった。ルイ・コスタ、ジダン、ロナウドという名は夏の終わりに近づくとリストから消えていた。ウェア、ジョルカエフ、レオナルド、ロナウジーニョは短期間在籍しただけ。PSGの柱となっていたのはライーやペドロ・パウレタである。スターではあるけれどもスーパースターとまではいかない選手たちだった。国内のスターをかき集めながら、国際的スターにジャンプアップした選手も少なく、多くはPSGで潰れていった。

バルセロナ時代のブラジルのロナウドとマッチアップするライー。1993年から98年までPSGでプレーした
大都市パリには豊かで華やかな顔とは別の面がある。貧富の差が大き過ぎて、都市周辺部が荒廃し、大きな社会問題になっている。パルク・デ・プランスのゴール裏を埋めているのは移民系など貧富の「貧」の方の人々だった。花の都パリの影の部分だ。パルク・デ・プランスは芸術性や豊かさの象徴ではなく、影の部分の吹きだまりのようになっていたのだ。サポーターは20近い団体に分裂していて、政治的にも極右から極左までそろっていた。投石、座席の破壊、ペットボトルを改造したミサイル弾発射、警察官殺害など、パルクの事件簿は限りがない。
お金はかけた。しかしそれはどこか上滑りで、ボスマン判決以後のヨーロッパ再編の流れに乗り遅れてしまった。成績不振とサポーターの鬱屈が重なり、PSGはパリの富裕層にしてみれば目にしたくないもの、足を踏み入れたくない場所だったかもしれない。
カタールのクラブなのにパリらしい
2011年、カタール投資庁の子会社がPSGを買収。

カタール資本の買収後はイブラヒモビッチ(左)だけでなく、ベッカム(左から2番目)を連れて来るなど華やかな補強が目立った。ここ7、8年でクラブをめぐる状況は一変している
そこから怒濤の補強が始まり、ネイマールもキリアン・ムバッペも来た。パリはその都市にふさわしい華やかなでリッチなクラブに変貌した。マンチェスター・ユナイテッドのオールドトラッフォードが「シアター・オブ・ドリームス」と呼ばれ、マンチェスター・シティがカルト的な街クラブから世界有数の金満クラブになったように、フーリガンのメッカだったチェルシーが現在の姿になったように、PSGも見事に変貌を遂げたわけだ。

ネイマールとムバッペ。現チームの看板選手だ
そこから導き出される教訓はたぶんこうだ。お金で良い選手は買えても、良いクラブを買うことはできない。しかし、もの凄いお金があれば良いクラブを買うこともできる。PSGはパリの、というよりカタールのクラブである。けれども、カタールのクラブになることで、よりパリに似合うクラブになった。とても華やかで、同時に極めてプラスティックだ。
Photos: Getty Images