人気絶頂期の1986年、当時、所属事務所のサンミュージックプロダクションが入居していた四谷4丁目交差点にあるビルの屋上から飛び降り自殺を図ってから、4月8日で38回目の命日を迎えたのがアイドル歌手だった故・岡田有希子さん(享年18)。命日当日、岡田さんを偲ぶファンの姿は後を絶たず、当時を知らない若者の姿もあったという。


「4月8日の命日になると岡田さんが飛び降りた現場には、いまだにたくさんの花が手向けられ、多くの写真が飾られ、黙祷するファンの姿が絶えない。岡田さんの死後、若い人の自殺が相次いだことから“ユッコシンドローム”と言われ、社会現象まで起こりました。岡田さんの死の衝撃は計り知れないものがありました」(スポーツ紙記者)


 岡田さんは日本テレビ系の「スター誕生」の第46回決勝戦で優勝。当時、桜田淳子松田聖子らが所属していたサンミュージックにスカウトされ、アイドル歌手としてデビュー。あっという間にスターの座に上り詰めた。


「自殺の原因はTBS系のドラマ『禁じられたマリコ』で共演したかなり年齢が離れた故・峰岸徹さん(享年65)に弄ばれたとか、彼の子供を妊娠したとか、無責任な噂や憶測が飛び交いました」(芸能ライター)


 筆者は当時、峰岸さんが住んでいた自宅周辺の取材をすると、峰岸さんは離婚して、引き取った子供を溺愛。

可愛がる姿が頻繁に目撃されていた。近所の住民からは「峰岸さんは若い女性を弄ぶような無責任な人ではない」という声が圧倒的だった。



プラトニックな愛に悩み続けた様子が…

「有希子はデビュー前から僕の自宅で下宿していたんですが、デビューして売れ始めたんで一人暮らしを許した。その3日後に有希子が住んでいた部屋に酒井法子が入ってきたんです」


 当時こう話した、岡田さんの“育ての親”であるサンミュージックの会長だった故・相澤秀禎氏(2013年に83歳で没)は、「自殺する3日前に僕のうちに有希子が食事に来たんです。なんとなく元気がないから、“お前がこれからうちの会社を背負って行くんだから、頑張らなきゃだめだよ”と言うと“私なんかもう、ダメだから、後にいい子(酒井法子のこと)がいるじゃない”と暗い話になったんです」と、自殺前の様子を筆者に語ってくれた。


 岡田さんは4月8日の早朝、自宅でガス自殺とリストカットを図ったが未遂に。

危険を察した事務所は岡田さんを事務所に連れて来た。前出の相澤会長は、「僕が歯医者から戻ると事務所のビルの下が大騒ぎしていました。僕を持っている間、朝の自殺未遂について僕に何か言われるのが嫌で、屋上から衝動的に飛び降りたんだと思ったんです。理由は分かりませんでした。しかし、有希子が残した1冊の日記風のノートが発見された。それを読んで、自殺の真相が理解できました」と話している。


 その日記風のノートには相手男性(峰岸さん)の名前が書かれてあり、岡田さんが思い焦がれ、そのことが嬉しくて喜ぶさま。一方で、その恋は成就することはないと判断。真綿で首を絞められるような苦しみが克明に綴られていたと言う。


「峰岸さんは岡田さんの自殺の真相を知って“正直、ものすごく、ショックです、僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます”とコメントしたんです」(前出のスポーツ紙記者)


 一途なプラトニックな愛に悩んだ末の自殺だっただけに、岡田さんの死は38年経った今でも、偲ぶファンが後を絶たないのかもしれない。


(本多圭/芸能ジャーナリスト)


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