このほど亡くなった中尾彬さん(享年81)は衣食住にこだわり、己のスタイルを持っていた。ネクタイ嫌いで、マフラーやストールをねじって首に巻くトレードマークの「ねじねじ」を夏でも通した。
酒は毎日欠かさず、日刊ゲンダイのインタビュー連載「今だから語れる涙と笑いの私の酒人生」(2018年)ではこう語った。
「木更津の酒屋の長男だから、酒には早くから親しんできました。家にある樽からちょこっといただいて(笑)。高校時代には芸者もあげてました」
おしどり夫婦として知られた池波志乃(69)は「私たち夫婦が付き合うきっかけもお酒でした」と隣でほほ笑んでいた。
テレビの時代劇で共演した1977年のこと。当時は日本酒ブームで、幻の酒とされた「越乃寒梅」が手に入って飲んだ。
「そんなの私、毎晩飲んでる」
それが縁となり、ふたりで一献、「もう一軒行きましょう」と池波が言い、神田で芸者のいる店にあがったのだそうだ。
■大病した後も夫婦で晩酌を
飲んでも、泥酔したり乱れたりはしないのが中尾さん。大病した後も「人生の楽しみを半分知らないようなもの」と、夫婦で晩酌を楽しんだ。池波がその様子を語ってくれた。
「毎日お品書きを書くんです。
とんかつならここ、蕎麦ならここと、行きつけを持っていた。東大の正門前にある「喫茶ルオー」もそのひとつ。美大中退の油絵描きとあってか、画廊喫茶として1952(昭和27)年からある老舗に30年以上通っていた。
「寿司店では、つまみを味わうときは日本酒などを傾けるのですが、握りになると、あがりにしていた。酔っぱらって食べたら職人に失礼だというのです。寿司は職人の手仕事が詰まっているからと、手づかみで召し上がっていました」
そう中尾さんを知る業界関係者は振り返った。
「一食一食を丁寧に楽しみたい」と、自宅でも外でも夫婦で食事し、1日3食を「食日記」として記録していった。
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