亡くなった中尾彬さん(享年81)の晩年は、沖縄の別荘や千葉のアトリエを処分し、窓からスカイツリーや不忍池の見えるマンション高層階の自宅で過ごした。そして上野界隈を散歩し、ふたりで思い出の地を振り返るような旅行に出掛けたそうだ。
芸能リポーターの平野早苗氏はこう言う。
「囲み取材では、ひとつ質問すると、2つも3つも答えてくださる方でした。取材者がどんな答えを欲しいのか、いろいろと考えてくださったのだと思います。低音の響く通る声がすてきなダンディーで、トレードマークのねじねじスカーフをどのように巻かれているのか、気になったものでした。
同じく芸能リポーターの川内天子氏も「話の枕は必ず、『ウチの志乃が……』だった」として、こう続けた。
「本当に無意識に、奥さんを嫌みなく褒めるところが昭和世代には珍しく、“おしどり夫婦”と呼ばれたゆえんだと思います。実際は夫婦べったりでもなく、いい距離感の夫婦のお手本のようでした。志乃さんのお父さまの金原亭馬生師匠に相当頭を下げて結婚を許してもらったことも背景にあったと思います。
妻の池波は「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。かないますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」とコメント。映画やドラマでは重厚感ある役柄で存在感を発揮。己の流儀を貫いた粋人は大好きな眺望のなか、自宅での最期も愛妻に看取られた。