【増田俊也 口述クロニクル】


 写真家・加納典明氏(第9回)


 小説、ノンフィクションの両ジャンルで活躍する作家・増田俊也氏による新連載がスタートしました。各界レジェンドの一代記をディープなロングインタビューによって届ける口述クロニクル。

第1弾は写真家の加納典明氏です。


  ◇  ◇  ◇


加納「さっきも言ったように俺は大抵見切るんだよ。相手を見て『こんな感じかな』『こういうところが勘どころだな』とか、見切りを持ってカメラのシャッターを押す。その感応能力っていうか、感知能力というか、俺の感性ってのは、やっぱり写真で育てたわけだよな。そこで判断をしていくと、あの人はちょっと俺、わかんなかったわけだよ。俺にしては非常に珍しいんだけど。女性も含めて、俺は写真家としての感応能力で見切ってやってきた。写真においては文句なしの世界をやってきたと思ってる。それなのにムツゴロウさんというのは俺の能力で、よくわからなかったんだ。内面的にいえばそれが大きなきっかけだった」


増田「最初のその雑誌取材は加納さんの単独の撮影仕事で王国へ行った?」


加納「いや。誰か文筆家、あなたみたいな人がいて、一緒に王国へ行って取材してくれっていう雑誌の企画だった。俺が撮影で。

そこでいろいろ話をして、要するに見切りができなかった部分とか、興味が非常に湧いたというか、もっと知ってみたいなというのがあった。そして彼が住んでるその世界っていうか、動物王国っていうエリアに対して、ここで1回暮らしてみたいなって、もうそん時に思ったんだよな」


増田「それで、よし、行こうと。最初北海道で対談した時は冬だったんですか」


加納「いやじゃないな、秋の終わりか、そんな感じだったと思うよ」


増田「で、移住された時の季節は」


加納「4月。子供たちの学校のタイミングに合わせたのかな。学年が変わるというか」


増田「それまでの半年で準備をしていったと」


加納「仕事を切ったりもしなきゃいけませんし、そういった準備に半年かかった。それと同時に畑正憲なるものはどんな人間かってんで、彼の著作も全部読んだり、俺なりのリサーチをした。こっちの整理整頓もしなきゃいけないじゃない。で、家族を連れてくかうんぬんも迷ったけど、とにかく連れてこうと、はい、子供たちにとっていい環境だろうと」


増田「他に準備というと?」


加納「まずアラスカに行ったんだよ。アンカレジに」


増田「極寒地の予行演習として」


加納「そうだけどそれだけじゃない。北海道で本格的に着る衣服っていうのが、ファッション的に言うと、日本にはろくなものもまだなかったからね。だから、かっこつけ人間としてはかっこよくそのアウトドアライフをやりたかったわけだよ。で、衣類とか道具とかをアラスカまで買いに行った。

まだ日本で買えなかったザ・ノース・フェイスやラルフ・ローレンなんかをどっさり買った」


増田「豪快ですね(笑)。アラスカにはどれぐらい滞在されたんですか」


加納「買い物だけだから、10日ぐらいじゃないかな。全部揃えた」


増田「たしか横浜港から船で王国へと移住されるんですよね。飛行機や鉄路ではなく船というのは理由があったんですか」


加納「バイクだよ。ハーレーダビッドソンを、俺、2台ぐらい持ってたの。それを持ってくためだった」


増田「ポルシェとか何台も車を持ってたと読んだことがあるんですが、車は北海道行く前に売っちゃったんですか」


加納「うん。東京の車は売っぱらっちゃって、北海道用の車を買ったんだよ」


増田「どんな車を?」


(第10回につづく=火・木曜掲載)


▽かのう・てんめい 1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が好評発売中。


編集部おすすめ