【あの人は今こうしている】


 三沢あけみさん(歌手/80歳)


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 1963年に歌った「島のブルース」が大ヒットし、デビュー1年目でNHK紅白歌合戦に出場した三沢あけみさん。クリクリした目とぷっくりした頬がかわいらしく、情感たっぷりの優しい歌声でその後もヒット連発。

多くのファンに愛された。長く歌謡番組などで活躍してきた三沢さん、今どうしているのか。


 三沢さんに会ったのは、東京・白金台にある「シェラトン都ホテル東京」のロビーラウンジ「バンブー」。


「以前は、運転手の車でこのホテルのジムに通っていたんですよ。懐かしい(笑)。今は自宅近所のジムに通い、週2回、プールで水中ウオーキングをしています。健康のために、ほかに街をウオーキングし、夜寝る前にストレッチを45分。30、40代から毎日欠かしません。1日3食いただき、規則正しく暮らしています」


 三沢さん、まずはこう言ってほほ笑んだ。こうした努力のおかげもあり、傘寿とは思えない若々しさ。まさに“奇跡の80歳”だ。


「独身で、家庭や子育ての苦労を経験していないからかもしれません。

25歳のときに一度お嫁に行き、31歳で帰ってきて、その後はいつもマネジャーらに守られ、男性が近づいてくることはありませんでした。再婚願望もありませんでした。ひとりは楽でいいですよ(笑)」


 昨年秋、10年間司会を続けた音楽番組「三沢あけみのお茶会・歌謡界」(BS12)が終了。今は“これまでできなかった”生活を楽しんでいるのだそうだ。


「14歳でデビューしてから、今日のスケジュール、来週のスケジュール……と、ずっと忙しく前だけを見てきました。だから、今ようやく、フツーの生活を楽しんでいます。ひとりでパスモを使いバスや電車に乗れるようになり、セブン-イレブンや成城石井でサラダを買って食べたり、時代劇専門チャンネルを見たり。ハンディがあるから、思いっきり仕事ができないのは悔しいけれど、この6月の誕生日には、ファンの方が全国から集まって新宿のレストランでお祝いしてくれました。振り返れば、みなさんにずっと支えていただいたんだなあと胸がいっぱいになり、お返しに歌手になって初めて、アカペラで『エンドレスソング』を歌ってお贈りしました。今が人生で一番幸せです」


 ハンディというのは、13年前に乳がん、6年前に肺腺がんを患い手術したことだ。



“奇跡の80歳”の若々しさ。ヒケツは?

「どちらも早期発見で、乳がんはもう卒業(寛解)しました。

肺腺がんもこの秋には卒業予定です。肺の手術をしても歌への影響はなく、体調はとてもいいのですが、もう無理はしないで、やりたいな、と思う仕事だけやっていこうと思っています」


 3年前には、111枚目のシングル「与論島慕情」をリリース。歌手デビュー60周年記念曲というから長い芸歴だ。


「歌手になりたくてなったとはいえ、デビュー当初は高校に通いながらだったので、睡眠は3時間で、毎日スケジュールがぎっしり。息苦しくて楽屋の窓から脱走したり、『早く結婚しちゃいたい』と思ったり(笑)。20歳を越えてからも、私はお酒が飲めないから、地方公演に行くと、夜はひとりでルームサービスをいただくことが多かったですね。だから、日本中を回ったのに、まだ見ていないところ、経験していないことばかり。プライベートで楽しかった思い出といえば、友だちと欧州や香港でショッピングをしたことぐらい。人生の残り時間はそんなにないので、これからはもっといろいろ楽しみたいですね」


 トイプードルのミッキーくんと暮らす。


「人生で一番つらかったこと? 両親をがんで亡くしたことですね。仕事が忙しく、衣装のまま病院へお見舞いに行き、亡くなった知らせを聞いてもスケジュールをこなさなければなりませんでしたから。ただ、母が亡くなる5年前に4階建ての家を建ててあげられたので、親孝行に何とか間に合ったかな、と思います」


 (取材・文=中野裕子)


▽三沢あけみ(みさわ・あけみ)1945年長野県伊那市生まれ、東京育ち。

14歳で第7期東映ニューフェイス合格。60年、連続テレビドラマ「笛吹童子」(NET=現テレビ朝日系)でデビュー。63年「ふられ上手にほれ上手」で歌手デビュー。「島のブルース」「アリューシャン小唄」「木曽節」などで紅白歌合戦5回出場。


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