大手芸能プロ「ケイダッシュ」会長で、7月30日に死去した川村龍夫氏(享年84)の告別式が6日、東京・護国寺桂昌殿で営まれ、数多くのタレント、業界関係者が焼香の長い列をつくった。読経に木魚、蝉の鳴く炎暑の中、弔辞に立った俳優の高橋克典(60)は同事務所の第1号タレントで知られ、川村氏が田辺エージェンシーからの暖簾分けで1993年にケイダッシュを設立した当初をこう振り返った。


「私は今から約30年前、売れない歌手時代に突然、ある方から『何月何日何時に、西麻布のキャンティに行け』と言われ、何ごとかと向かうと、そこにパンチパーマにくりっと上がったまつげの、眼光鋭い方がひとり、こちらを見据えておりました。これがザ・芸能界のマネジャーかと思いながら、目をそらしたら負けだとばかりに挨拶すると、『おお、川村だ。事務所を立ち上げてな、おまえは俺がやるから』って。有無を言わさず、僕の役者人生が始まりました」


■笑顔でいつも優しく、ギャラのときは恐ろしく…


 その日からはじまった川村氏との日々を「笑顔でいつも優しく、ギャラの話のときには恐ろしく」などとし、列席した関係者たちが懐かしそうに聞き入っていた。そんな関係者からは、こんな感想が聞かれた。


「契約書がどうのとか、一切なく、『俺がやるから』の一言で所属が決まるなんて、今では到底考えられない。ギャラも、どんぶり勘定とまではいかないまでも、それに近いような話しぶりで、当時のことを思い出しました。懐かしがっている列席者たちも誰もが年を重ねていて、気が付けば昔の話になっている。(川村)会長のような、いわゆる剛腕プロモーターが業界を牽引してきた時代は過去になりつつあるのでしょうね」


 出棺の際、川村氏が応援していたアントニオ猪木さんのテーマ曲「イノキボンバイエ」が流れ、高橋克典らのかついだ棺が霊柩車に乗って護国寺を後にするとき、クラクションが高らかに、夏空へと響き渡った。


  ◇  ◇  ◇


 川村龍夫氏の死去によって芸能界の勢力図はどう変わっていくのか。関連記事【もっと読む】“芸能界のドン”逝去で変わりゆく業界勢力図…取り巻きや御用マスコミが消えた後に現れるモノ…では、今後予想される“地殻変動”について予想している。


編集部おすすめ