今月4日に肺炎で亡くなった橋幸夫さん(享年82)の訃報後、同じ御三家として活躍してきた歌手、舟木一夫(80)の動向に注目が集まっている。


 スポニチによると、舟木について「一緒に戦った仲間ですし、ショックを受けているのは間違いない」と関係者が語ったという。

本人のコメントが7日時点出ないのは、熊本での公演中だったからと見られているらしい。


 スポーツ紙芸能デスクがこう語る。


「2022年に西郷輝彦さんが前立腺がんで亡くなり、橋さんが続いて、御三家は舟木ただ一人となってしまいました。その舟木も、肺に持病があることを公表しており、今年5月には新型コロナウイルスに感染して入院。退院後も後遺症が続いて一部コンサートの延期を事務所が発表しています。ご本人はできる限り活動を続ける意欲をもっており、その後復帰しファンの応援を受けましたけど、今も体調管理に気をつけ、長距離移動には慎重に判断するなどして調整しているようです」


「潮来笠」でデビューした橋さんに続き、「高校三年生」で1963年にデビューした舟木は西郷輝彦さんとの御三家でアイドル歌手の草分け的存在となり、切磋琢磨してきた。2000年には「G3K」というユニットを組んで翌01年まで期間限定で活動したものだ。言わずと知れた青春スターだが、


「3人のうち、舟木は心身の不調で活動休止を余儀なくされたりしてきました。傷だらけの人生といえるかも」
 
 と、本人を知る芸能関係者はこう続ける。


「1970年代にはヒットに恵まれなかったり、失恋などで2度、『自殺未遂』と報じられています。ホテルから失踪し、睡眠薬などを服用した状態で発見される事態となって、芸能マスコミに追いかけられたのも一度や二度じゃない。復帰後も、親族の事故死や事務所トラブル、経済的問題が取り沙汰されてきたんです。

それでも地方イベントや舞台などでカムバックし地道に取り組んで、ここまでたどり着いた。舟木は自らの艱難辛苦を『芸人の業』と呼んで、華々しく見える芸能界が極限の精神力を必要とする仕事だったと振り返っています」


 御三家では橋さんが年上で、兄貴分とされていたのはファンならお馴染みの話。


「もともと『舟木一夫』は橋さんが日本コロムビアからデビューするときに、つけられることになっていた芸名で、日本ビクターからデビューすることになって、本名の『橋幸男』から『橋幸夫』と命名されました。そうした経緯からも、橋さんは舟木を『一緒に時代を戦った仲間』と言っていた。そして何度も立ち上がる姿を称えてきた。今も天国から、御三家の生き残りとなった舟木のことを心配しつつ、応援していると思いますよ」(同)


 幾多の困難を乗り越えて、現役を続ける舟木のサバイバル術も今後、注目されるかも知れない。


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