【あの人は今こうしている】
ルビー・モレノさん
(フィリピン出身女優/60歳)
◇ ◇ ◇
「もうかりまっかー?」「ボチボチでんなー」の片言のセリフが鮮烈だった。崔洋一監督の映画「月はどっちに出ている」で数々の主演女優賞をかっさらったルビー・モレノさん。
ルビーさんに会ったのは、東京メトロ・六本木駅から徒歩8分の「稲川素子事務所」。ルビーさんは昔も今もこの事務所に所属しているのだが、ルビーさんの才能を見いだした稲川素子社長は昨年5月、心不全で他界した。
「素子さんとは、ちょこちょこランチを一緒に食べたりしていました。最後に会ったのは、亡くなる10日くらい前。素子さんの自宅兼事務所で両手をつなぎ、素子さんの好きなフィリピンのラブソングを歌ったりしました。元気だったので、亡くなるとは思わなかった。素子さんは、私のすべてを受け入れてくれた“日本のお母さん”。亡くなって寂しいけど、私たちはクリスチャン。素子さんはイエス様のそばで生きている。また会えると思っています」
こう語ったルビーさんはもう60歳だという。
「コロナのとき、1日3箱吸っていたたばこをやめたら、女優ができないくらい太りました(笑)。素子さんに『痩せなさい』と言われ、これでも結構痩せたんです。それで、23年に映画『宮古島物語ふたたヴィラ』、24年はその続編に出演しました。あとは、たまにゲストで映画に出たり。月2、3回、老人ホームで料理のボランティアもしています」
有名になった反動で常にスキャンダラスな話題に追いかけられ…
2000年、35歳のとき、大手商社に勤める日本人の商社マンと結婚。4度目(?)とされるが、ともかく余裕のある生活を送っているようだ。
「結婚は実は3回目。20歳のときに産んだ男の子のお父さんとは籍を入れていませんでした。その子はお父さんの元で育ちましたが、ときどき連絡をとっています。40歳になり、会社員として働き、独身です。2番目の子は女の子で、フィリピンで私のお母さんや妹が育ててくれました。
その子育ての苦労や次の結婚などで、事務所に無断で帰国してしまったり消息不明になったり。一躍有名になった反動で常にスキャンダラスな話題に追いかけられたルビーさんの半生はまさに波瀾万丈だった。
「でも、今のパパと出会って、落ち着きました。今が一番幸せ。パパは真面目すぎるけど優しい人(笑)。息子も生まれ、芸能活動やスーパーのパートとかをしながら育てました。息子は少し俳優をやったよ。もう25歳。横浜の会社に勤め、横浜で1人暮らし。ちょくちょく会いに行って、フィリピンの定番料理の酸っぱいシニガンスープやカレーを作ったりしているので、うざがられています(笑)」
ルビーさんは都内の自宅で、夫と2人暮らしだ。
「毎朝4時半に起きて、パパと犬の散歩をしています。一緒にガーデニングも。
女優業にも意欲はある。
「素子さんがいつも『もう1回いい作品に出て、賞を取ろうね』と言っていました。『月──』で共演した岸谷五朗さん、『愛という名のもとに』の鈴木保奈美さん、唐沢寿明さん……今もテレビで活躍していますね。私もテングにならず、素子さんの言う通りに真面目にしていれば、あそこにいたのに……と残念な気持ちは正直ある。でも、あのときがあって今がある。いい思い出です」
「月はどっちに出ている」の崔洋一監督も3年前に亡くなった。
「日本で再出発してからは、ずっと会っていませんでした。ただ、うちのパパが偶然、パーティーで会ったことがあり、挨拶したら『ルビーは元気?』と聞いてくれたとか。実は崔監督は、『月──』の私の役をもっとポッチャリしてて髪の長い子にしたかったんですよ。素子さんが私を推してくれたんです。
10月1日、東京オペラシティコンサートホールで「稲川素子を偲ぶ会」が開催される。
(取材・文=中野裕子)
▽1965年フィリピン生まれ。18歳で来日。22歳のとき、稲川素子さんにスカウトされ女優デビュー。人気ドラマ「愛という名のもとに」(フジテレビ系)で一気に注目され、93年の映画「月はどっちに出ている」でブルーリボン賞主演女優賞など各賞受賞。