【あの頃、テレビドラマは熱かった】


 「ママはアイドル」(1987年/TBS系)


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 世の中が全力で“バブル”に向かって突き進んでいた1987年の夜。町中華では隅の上のほうに14インチのブラウン管テレビがあって、客はナイターをチラ見しながら、500円の半チャンラーメンや600円のレバニラ炒め定食なんか食べていた。

瓶ビールを注文したら小皿に塩豆が出てきたっけ。そして家庭のリビングでも、テレビは主役。大河ドラマ「独眼竜政宗」の視聴率が毎回40%前後だった年の話だ。


 87年は、小中学生が夢中になって見るドラマがまだまだあった。フジテレビは木曜夜7時半に浅香唯、大西結花、中村由真の「スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇」、8時台には南野陽子佐倉しおりの「アリエスの乙女たち」とか。アイドル主演の「月曜ドラマランド」はこの年で終わってしまったけれど。


 そんな87年の伝説的ドラマが、TBS火曜夜8時「ママはアイドル!」。中山美穂(当時17)と後藤久美子(当時13)が共演したホームコメディーは、同じ時間に放送された巨人戦の裏で平均20%以上、最終回は30%近い数字を叩き出した。


 プロデューサーは八木康夫氏。中山美穂をこのドラマで“ミポリン”と名付けた人。84年の「うちの子にかぎって…」で“ニヒルな二枚目”イメージの田村正和をコメディーに引っ張り出した敏腕Pだ。


 当時のTBSでは珍しい、メインの演出経験が少ないプロデューサー。

90年代に連ドラ界をリードしたフジテレビの“プロデューサーシステム”とは違い、“叩き上げ”とか“作家性”重視のイメージがあったTBS(それはそれで好きですが)では異質の存在だった。


 このあと、88年に田村正和の「パパは年中苦労する」、中山美穂の「若奥さまは腕まくり!」とヒットを連発した八木Pに、聞いたことがある。


「テレビの技術はどんどん進化していくと思うんですが、ドラマ作りに影響ありますか?」


 生意気な質問に、八木Pは答えた。


「正直、技術の進化はよく分からないんです。でも、画角が16:9になっても画質が高精細になっても、僕がやることは変わらないでしょうね。見たことない景色を見たいし、視聴者の方にも見せたいってだけ」


 アホな質問をしたと耳を赤くした僕に、「たぶんずっとそうやってるから、また取材してよ」と笑った八木P。その顔が正視できなかった……。


 当時は、テレホンカードが番宣グッズとしてよく使われていた。ミポリンとゴクミの2ショットのテレカは、額面500円が一時期4万円ぐらいに高騰。実は2枚もらったんだけど、飲み屋で知らない人にあげちゃった。今は2000円ぐらいらしいけど、悔しい。


(テレビコラムニスト・亀井徳明)


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