前回の記事はこちら

江戸の家康、仙台の政宗の鬼門封じ:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【1】

伊達政宗は徳川家康の作った城に住まわされ…:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【2】

仙台開府は伊達政宗と徳川家康のまさかの共同事業!?:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【3】

静岡方面では観光資源にもなっている【東照宮を巡る聖なる3本のライン】。

久能山東照宮のある日本平ロープウェイ乗り場の看板やパンフレットでも紹介されています。


徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地...の画像はこちら >>


徳川家康の遺命で、死後の墓と、御霊を祀る東照宮の場所が決められた。

遺体は久能山に葬られ、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国(愛知県岡崎市)の大樹寺に位牌を納め、一周忌を経て日光東照宮に分霊された。

家康公の神号は「東照大権現」。側近の天海、崇伝らの間で”権現”と”明神”のいずれかでもめたが、豊臣秀吉が「豊国大明神」のため不吉とされ、薬師如来を本地とする”権現”に決まった。

徳川家康の遺言は東照宮をレイライン上に置くこと:江戸時代の地理風水を駆使した都市設計【4】


■①右のライン-江戸城と日光東照宮を結ぶ

家康公は死んで宇宙の中心・天帝(北極星)になるべく江戸のほぼ真北に遷座された。そして陽明門の真後ろに北極星が現れ、宇宙エネルギーを吸収し江戸へと流れるように設計されているそうだ。


ちなみに、日光東照宮の標高と東京スカイツリーの高さは同じ634mである。

■②真ん中のライン-久能山東照宮と日光東照宮を結ぶ

途中に、富士山を通過し、世良田東照宮が置かれている。

富士山を起点としたレイラインは他にも出雲大社をつなぐ「ご来光の道」がある。中間には近畿の五芒星の2か所(伊吹山と元伊勢)を通る。

江戸時代、富士山は家康のものだったが、家康から富士山本宮浅間大社に寄進された。しかし明治維新後、神社は国家管理となったため国有地化されるも、国と神社の間で法廷闘争が行われ、2004年、8合目から上の土地の権利が浅間大社に戻った。


■③左の東西のライン-久能山東照宮から岡崎城を結ぶ

途中に駿府城、鳳来山東照宮がある。岡崎城(家康が生まれた城)の真北には大樹寺。仏教では東西ラインは生と死、輪廻転生を象徴する。

現代のデジタルマップで確認しても、これほどまでに正確なレイラインを描くのは、当時の天文観測の技術とはいえ、本当にすごい。

天文学者の渋川春海が活躍したのは、家康公没後半世紀ほど後である。さらに後の伊能忠敬が日本全国を測量したのは、1800~1816年にかけてだ。


家康公にちなんだ聖地は、レイライン上に置かれている、ということがわかってきたが、それが仙台までつながっていることを発見したのは、レイラインという概念を知ってからの、ここ2~3年のことである。

【3】にも書いたが、伊達政宗と徳川家康の間で、都市計画に関する相互の情報交換が行われていたことは、想像に難くない。

参照:星の街仙台

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan