江戸時代、日本は鎖国をしていました・・・

とは言っても完全に海外との関係を遮断していたわけではない。長崎の出島は外国への門戸が唯一開いていた場所であり、オランダと中国から様々な物や技術、さらには日本には生息しない動物がもたらされた。


人々が初めて見る動物たちの姿は当時の浮世絵にも描かれ人気を博しただけでなく、中にはその絵自体にご利益があると謳われたものまで登場している。

■大きな体に長い鼻!将軍と天皇にも謁見したVIP待遇のゾウ

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『享保14年渡来象之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代までにゾウが日本へ来たのは7回で、室町時代に南蛮船に乗っていたインドゾウが最初と言われている。今回紹介するのは享保13年 (1728)に、将軍 徳川吉宗に献上されるため日本へやって来た5頭目のアジアゾウ。

長崎から歩いて江戸へと向かうこととなるが、将軍様のゾウに不手際があってはならぬと、街道沿いの宿場町では道の石やゴミ拾い、飲み水と食料の準備のほか、橋の補強や川に筏を組むといった作業が行われた。

江戸に異国の動物がやって来た!大フィーバー起こしたゾウと尿が薬とまで謳われたラクダ


『天竺渡り大象之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)※今回紹介のゾウとは別

京都では天皇に謁見するが、無官位の者は参内することができないため、「広南従四位白象」という位を与えられたとも言われている。まさにゾウ様である。


長崎から江戸までの道中、そして江戸の民衆の間でこのゾウは大人気となり、その姿を描いた浮世絵は即完売。双六やおもちゃなどのグッズにもなったほか、歌舞伎の演目にまで登場し、大フィーバーを巻き起こしたのだった。

■不思議な背中のコブ!その尿は救命薬とされたラクダ

江戸に異国の動物がやって来た!大フィーバー起こしたゾウと尿が薬とまで謳われたラクダ


『駱駝之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)

1800年代にはラクダが数回やって来て、浅草や両国などで行われた興行では江戸の人々を驚かせた。この絵には次のような説明が山東京伝によって書かれている。

身の丈9尺、頭は羊に似てうなじ長く、脚に3つ節があり、座るときは脚を3つに折る、ゆえに乗る時便利なり。草木類を食すが、特に大根が好みである。

重い荷物を背負っても1日100里の道を労せず。柔和にして人に馴れ易し。
さらには霊獣としての効能もあり、ラクダの尿は救命の霊薬なる。
この錦絵を貼っておくと、子供の疱瘡や麻疹を軽くし、また、雷をも避ける。

ラクダは霊獣で尿は救命の薬になると紹介されている上に、この絵自体に病気を治したり、雷除けの効果があるとまで謳われているのだ。

江戸に異国の動物がやって来た!大フィーバー起こしたゾウと尿が薬とまで謳われたラクダ


『象及駱駝之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)

ちなみに、絵に描かれている唐風の衣装を纏った人物たちは全員日本人。
「西方の霊獣」「天竺舶来の霊獣」という売り出しイメージに合わせ、唐人っぽい衣装で笛やトライアングル、太鼓を囃していた。

江戸の人々はそのエキゾチックな雰囲気に心を奪われたのではないだろうか。

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