■旧幕臣たちの「転職」

明治維新で江戸城が明け渡された後、幕府に仕えていた幕臣たちはどうなったのでしょうか。

明治時代、敗れた旧幕臣たちはどう「転職」した?実は新政府は彼...の画像はこちら >>


邨田丹陵による「大政奉還図」(Wikipediaより)

幕臣たちは新政府と敵対していたため、その後も冷遇されて落ちぶれたり、経済的に困窮したというイメージを持っている人も多いと思います。


実際、徳川慶喜とともに静岡に移住した旧幕臣たちが生活苦に陥り、また幕府に味方した会津藩などが冷遇されたのも事実です。

しかし明治新政府は、彼ら旧幕臣たちをないがしろにするわけにはいきませんでした。なぜなら、薩長土肥を中心とする新政府の面々は全国規模の統治ノウハウを持っておらず、せいぜいが藩政規模の統治経験しかなかったからです。

そこで、全国規模の統治体制を整備するために必要とされたのが、江戸幕府の実務官僚だった旗本や御家人たちでした。

新政府は国会開設までの間、全国の奉行所と人材を統治機関として機能させ、旧幕臣が希望すれば「朝臣」として召し抱えたりもしています。

そして3万人いた幕臣のうち、5000人がこれに応えました。
彼らはこうして「転職」を果たしたわけです。

出仕を拒んだ旧幕臣も少なくありませんが、それでも明治7年(1874)の官員録によれば、政府官員の3割近くが旧幕臣だったことが分かります。

初期の明治新政府は、彼ら旧幕臣によって支えられていたことが伺えますね。



■活躍し続けた旧幕府関係者たち

元々徳川幕府は、幕末の激動期に対処するべく優秀な人材を囲い込み、責任ある地位に置いていました。

また、徳川家は移封された静岡でも教育に力を入れ、人材育成にも熱心だったのです。この人材を使って幕府の支配機構を受け継いだことで、新政府は全国統治の術を学ぶことができたのでした。


では、旧幕臣で明治時代になっても活躍した人たちの中には、どのような人がいたのでしょうか。

まず、薩長が政治の要職に就くなかでも、能力を買われて高官として出仕した代表例が榎本武揚です。

明治時代、敗れた旧幕臣たちはどう「転職」した?実は新政府は彼らの統治ノウハウを有効活用していた


晩年の榎本武揚(Wikipediaより)

榎本は箱館戦争を主導して新政府に抵抗し続けた過去がありましたが、終戦後は北海道の開拓使として仕官しました。

その後、蝦夷地開拓や対露交渉で功績を残し、海軍中将にも就任。明治18年(1885)12月に発足した第一次伊藤博文内閣では初の逓信大臣に登用され、その後も幾多の大臣職を歴任しています。

その他、「日本資本主義の父」 こと渋沢栄一も元は慶喜の側近ですし、勝海舟も外務大丞(省のナンバー4)や元老院議官などの役職を歴任しています。


このあたりは有名どころなので、日本史に詳しくない人でも、名前とその活躍ぶりは聞いたことがあるでしょう。



■ジャーナリスト、そして徳川慶喜

その一方で、政府に参加せず、言論界で活躍した旧幕臣も少なくありません。沼間守一のように自由民権運動に参加した者もいれば、『学問のすゝめ』の作者・福沢諭吉や「東京日日新聞(現毎日新聞)」を主筆した福地源一郎のような人物もいました。

明治時代は、政界に限らず、新しい時代の基礎づくりの中で旧幕臣が大きな影響を残したことが分かります。

ちなみに、かつては薩長から目の敵にされた徳川慶喜ですが、彼が静岡に隠遁したことは有名です。しかし明治35年(1902)に貴族院議員として政界に復帰している事実は意外と知られていません。


慶喜は最後まで一議員として過ごしており、大臣などの役職に就くことはありませんでした。しかし、徳川宗家次期当主である徳川家達(とくがわ・いえさと)は30年近く貴族院議長を務めました。大正時代には総理大臣の候補にも挙がったほどです(本人は辞退していますが)。

明治時代、敗れた旧幕臣たちはどう「転職」した?実は新政府は彼らの統治ノウハウを有効活用していた


1936年(昭和11年)の徳川家達(Wikipediaより)

明治~大正の時代になっても徳川の名前は忘れられてはいませんでした。当時の細かい状況は分かりませんが、慶喜が議員として復帰した時は、きっと議会も「おお、あの男が…!」という感じで沸いたと思うのですが、皆さんはどうイメージするでしょうか。

明治維新と言うと、どうしても維新三傑のような顔ぶれが真っ先に思い浮かぶので、かつて幕臣だった人たちのことは忘れられがちです。


しかし明治の新時代、彼ら旧幕臣たちは政治に関与できなかったどころか、逆に新政府は旧幕臣たちの統治ノウハウをフル活用したのでした。

こうして見ていくと、明治維新では政治体制が完全に刷新されたのではなく、江戸時代の統治体制がいわば「再編」されたのだと分かります。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

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