■一夫多妻制ではない

大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部ですが、彼女が生きていた平安時代について、よく誤解されている事柄があります。

それは「平安時代の結婚は一夫多妻制だった」というものです。


確かに平安貴族は多くの女性と関係を持ち、それが公認のものだったというパターンが多いですね。しかし平安時代の結婚制度は、あくまでも一夫多妻制ではなく夫一人に妻一人という、現在と同じ「一夫一妻制」でした。

今回は、このことについて解説します。

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実は「内縁の妻」だった紫式部!平安時代は一夫多妻制…は誤解。平安貴族の婚姻制度について解説


平安貴族の夫婦(イメージ)

■婚姻に関する法律

平安時代の結婚は、天平宝字元(757)年に施行された『養老律令』の「戸令」によって定められています。戸令とは、戸籍や相続にまつわる法令のことです。

実はそこには重婚に対する刑罰として、男は懲役一年、女は杖刑一百(杖で尻を100回打つ刑)と明記されていました。
男性が二人以上の妻を持つことはれっきとした犯罪だったのです。

しかし、それならなぜ『源氏物語』の光源氏には、あんなにたくさんの妻がいたのでしょうか。彼女たちが妻でないのなら、彼女たちの立場は何だったのでしょうか。

実は「内縁の妻」だった紫式部!平安時代は一夫多妻制…は誤解。平安貴族の婚姻制度について解説


源氏物語『宇治十帖』モニュメント

答えを先に言えば、確かに光源氏はたくさんの女性を愛しましたが正妻は常にたった一人でした。正妻以外の女性たちは「妾(しょう)」、あるいは「妾妻」と呼ばれる存在だったのです。

物語の内容に即して解説すると、光源氏の正妻は「葵上」一人で、葵上の死後、源氏は正妻を持ちませんでした。


よってその後は「紫上」が正妻のような立場となりますが、彼女はあくまでも上記のような妾の立場でした。

しかし源氏が「女三宮」と結婚してしまったので、紫上は悲嘆に暮れることになるのです。

当時は、制度としては、平安貴族が正妻以外に内縁の妻を持つことは普通のことでした。しかし女性の側としては、嫉妬や悲嘆などの複雑な感情からは逃れられなかったのでしょう。



■紫式部も妾だった

ではそもそも「妾」はどんな立場なのかというと、現代で言うところの内縁の妻に近いと考えて間違いないでしょう。

実質的に夫婦の生活をしていて世間でも夫婦として捉えられていますが、婚姻届を出していないため法律上の夫婦とは言えない。
そういう関係にあたるわけです。

とはいえ現代でも、内縁の妻が複数いる男性というのはちょっと稀です。平安貴族たちは複数の妾を持つことも珍しくなく、やはりこういった点は現代とは大きく異なると言えるでしょう。

実は「内縁の妻」だった紫式部!平安時代は一夫多妻制…は誤解。平安貴族の婚姻制度について解説


『源氏物語』石像

正妻と妾の大きな違いは、法律上の位置づけのみならず、婚姻形態にも認められます。

平安時代の結婚形態としては通い婚が有名で、これはしばしば「夫婦が同居せず、夫が妻の住まいを訪ねる婚姻形態」と説明されます。しかし、通い婚における「妻」は正妻のことではなく、あくまでも妾のことです。
正妻は夫と同居しているものです。

では、藤原宣孝と結婚した紫式部はどうだったのかというと、彼女はあくまでも「通い婚」で夫を待ちわびる妾の立場でした。

妾の立場は非常に弱く、通ってくる夫が寄り付かなくなれば、関係はそれで終わります。

一方、正妻と離縁するためには、以下の6つの条件のいずれかに該当する必要がありました。

 ①男子が生まれない
 ②姦通
 ③夫の両親に仕えない
 ④多言(夫の仕事に口出ししたり、人を陥れるようなおしゃべり)
 ⑤盗み
 ⑥嫉妬、悪疾(たちの悪い病気)のいずれかに該当していなければならない

このように見ていくと、正妻はそれなりに法的にも守られていたことが分かります。もちろん現代の視点で見れば、当時の女性はつくづく不利な立場だったんだな…と思いますが。


ただし現代では、内縁の妻も法的にかなりしっかり守られるようになっており、こうした点に平安時代と現代の大きな違いがありますね。

平安貴族の男性は決してハーレムのような一夫多妻制を謳歌していたわけではなく、同居する正妻との関係を第一義としながら妾を持っていたのです。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

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