帽子を目深に被り、夕暮れどきの閑静な都内の住宅街を歩く男性。黒で統一したシックな装いで、足取りはどことなく早い。
ほどなくして男性は、とりわけ住宅街のなかでもとりわけ大きな一軒家に入っていく。その持ち主は俳優・佐藤浩市(60)。男性の正体は、佐藤の息子・寛一郎(23)だった。12月10日、その日は佐藤が還暦を迎えた記念すべき誕生日だった――。
「この日は自宅で、浩市さんの還暦祝いが行われていたそうです。芸歴は40年を超え、若手からベテラン俳優まで絶大な信頼を誇る浩市さんですから、本来なら盛大に還暦パーティをやりたかったはず。ですが、コロナ禍ということもあって、今年は家族とごく親しい人たちだけでお祝いしたと聞いています」(佐藤の知人)
93年に再婚した2人目の妻との間に誕生した寛一郎。17年には父・浩市の背中を追うように俳優デビューし、順調にキャリアを積み重ね、今年は4本の映画にも出演するなどまさに引っ張りだこ。今年7月に公開された映画『一度も撃ってません』では浩市との初の親子共演を果たしていた。一見、公私ともに仲のよい父子に見えるが、寛一郎には複雑な思いもあるという。
「幼少期から浩市さんに映画の撮影現場へ連れていかれていたこともあって、寛一郎さんはずっと役者業に憧れていました。
寛一郎は浩市への相反した思いをインタビューでこう打ち明けていた。
《僕にとって彼(佐藤浩市)は、一番好きで一番嫌いな存在でもあるわけです。そんな感情の中で対峙する。果たして僕の力は彼と対峙できるくらいのレベルに達しているのか? と。僕としては自分の未熟さと経験値の圧倒的な足りなさを自覚しているので》(『日刊SPA!』11月21日)
自身も名優・三國連太郎さん(享年90)のもとに生まれ、長きにわたる確執も経験してきた浩市。誰よりも“2世の苦しみ”がわかるだけに、日々悩みながら奮闘する息子のことはあたたかく見守っているようだ。
「寛一郎さんと初共演した『一度も撃ってません』の会見で浩市さんは、『NGを出して冷ややかな目で見られてしまった』と茶化していましたが、本心ではとても喜んでいたそうです。幼少期に寛一郎さんを撮影現場へ連れて行ったのも、浩市さんも同じように連太郎さんに連れていってもらった経験があるから。18年に寛一郎さんがデビュー映画で、キネマ旬報の賞を受賞した際は、すぐさまLINEで『おめでとう』と本人に伝えたそうです。寛一郎さんもそんな浩市さんの存在がとても刺激になっているといいます」(前出・佐藤の知人)
今年3月、本誌のインタビューで浩市は「役者になりたい」と打ち明けた寛一郎に投げかけた言葉をこう明かしていた。
「芸名に姓をつけたくない気持ちもわかる。
あたたかくも厳しい父の言葉を胸に、寛一郎の役者道はこれからも続いていく――。