高台に位置する東京郊外の緑豊かな住宅街。なかでも、とりわけ目を引くのはアメリカ西海岸を思わせる白い壁に囲まれた木造風の一軒家。

そこから現れたのは両手に大きなごみ袋を提げた長谷川博己(44)。

朝から大粒の雨が降りしきるなか、傘もささず家から次々とごみを運び出す長谷川。髪には寝ぐせの跡があり、前日から泊まり込んでいたのだろう。

長谷川が一人で黙々と片づけにいそしむこの家は、彼が生まれ育った実家。本誌が彼を目撃した4月17日は長谷川の父・堯さん(享年81)が逝去してから2年を迎えた三回忌当日だった――。ある近隣住民は言う。

「堯さんが亡くなってからは、70代と高齢ということもありお母さんの恵子さんは長谷川さんの妹さんと一緒に都内で生活しているそうです。博己さんが実家から荷物を運び出す姿を見かけるようになったのは4月上旬ごろですね。庭木の剪定業者も呼んで、集中的に整理していると聞きました。長谷川さんはお父さんの命日の後も2日ほど来ていました」

確かにこの日以外にも、長谷川はジャージ姿で汗だくになりながら実家を整理していた。実家の前には長谷川が運び出したであろう椅子やテーブルといった大型家具もあった。

連日、誰もいない実家の大整理に励む長谷川。

俳優としての“大仕事”を終え、私生活の課題に取り組んでいるようだ。

「主演を務めた大河ドラマ麒麟がくる』(NHK)の放送終了後は、拘束時間の短い仕事以外は入れず、長期間撮影の疲れを癒しているそうです。恋人の鈴木京香さん(52)が今年2月下旬に引っ越した新居で一緒に過ごすこともあると聞いています」(テレビ局関係者)

■親友に漏らした父の不安『役者で失敗したら潰しがきかない…』

実は長谷川、大河最終回が放映された数日後、重大な決断も下していた。冒頭の実家を“相続”していたのだ。

「長谷川さんの実家はお父さんの死後、お母さんが相続していましたが、今年2月に長谷川さんが代表取締役を務める個人事務所名義で購入しています」(不動産関係者)

武蔵野美術大学の名誉教授も務めた建築史家の父・堯さんがこの家を建てたのは’79年6月。長谷川が誕生してから2年後のことだ。堯さんと50年近く交流があった親友は本誌にこう明かす。

「堯さんは自然に囲まれた島根県松江市で育ったこともあり『住むなら郊外がいい』とよく言っていました。堯さんの飲み仲間だった友人の建築家に設計を依頼したと聞いています」

厳格な堯さんの教育のもと、地元でも評判の好青年へと成長した長谷川。しかし、大学卒業後の進路をめぐって両親と対立することとなる。

「映画好きだった長谷川さんは、大学卒業後に会社勤めをするも1年で退職し、俳優になるため文学座に入りました。

しかし、両親は猛反対したそうです。

1月放送の『ファミリーヒストリー』(NHK)では恵子さんから『役者なんかやらないで医者とかを目指してほしかった』と言われたことを長谷川さんは明かしていました」(長谷川家の知人)

前出の親友もいう。

「不安定な仕事だし、文学座時代の博己くんは売れていませんでしたから、堯さんもよく『役者で失敗したら潰しがきかないよ……』と心配していました」

それだけに、過去に一部では長谷川と堯さんの不仲説が報じられたことも。しかし、実際は“似た者親子”だったのだ。

「堯さんも大学卒業後、定職につかずライター活動で食いつなぎ、大学の講師になったのは30代になってからでした。好きなことで稼ぐ大変さを知っているからこそ、同じ苦労をさせたくなかったのでしょう」(前出・知人)

■「あの家だけは博己に残してやりたい」

そして、遠くから見守り続けた堯さんが息子に遺そうとしていたのがこだわりの実家だった。

「博己くんが売れなかったころは、『舞台のチケットを買ってやってくれ』とよく頼まれました。ブレークしてからは、『最近は売り切れて取れないんだよ』ってうれしそうに話していましたよ。また博己くんが俳優になりたてのころ、堯さんは『あの家だけは博己に残してやりたい』と話していました。そんな思いのこもった家を博己くんが引き継いでくれるのであれば堯さんも本望だと思います」(前出・親友)

堯さんの思いを背に、日本を代表する俳優となった長谷川。しかし、’17年秋ごろから堯さんはがんによる闘病生活に入り、大河主演という息子の晴れ舞台を見ることなく息を引き取った。

「免疫療法を行ったことで余命が2年ほど延び、伊豆へ家族旅行にも行ったと聞きました。堯さんが亡くなった際、博己くんは『おじさん、俺頑張ったよ』って連絡をくれたんです。

堯さんを偲ぶ会の挨拶で博己くんは、堯さんに大河の主役をやるから見てくれと言ったら、“そんなに長生きできないよ”って笑いながら言われたことを明かしていました」(前出・親友)

長谷川は『麒麟がくる』で堯さんとの“長年の約束”を果たすはずだった。

「正親町天皇役として出演した坂東玉三郎さん(71)は、雑誌の対談をきっかけに堯さんと50年近く親交がありました。堯さんは博己さんによく“いつか玉三郎さんと共演する姿が見たい”と話していたそうです。それだけに玉三郎さんとの共演が決まった際、長谷川さんはとても喜んだといいます」(前出・知人)

そして、今回の“相続”には、天国の堯さんへのメッセージが秘められているという。

「堯さんが亡くなる半年ほど前に創立した博己さんの個人事務所名は堯さんの名前にちなんだもの。博己さんとしては堯さんが“形見”として遺そうとしてくれた実家を受け継ぎ、父との思い出を守っていきたいと考えているのでしょう」(前出・知人)

“いつか玉三郎と共演するような俳優になる”という約束を果たし、託したかった家の維持もつとめる息子の姿に、天国の堯さんも目を細めていることだろう――。

「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載

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