「13~14歳のある日、ジャニーズ事務所から電話がかかってきたことで僕の人生はひっくり返りました。デビュー後は、家族も親戚も、田舎の町中が大騒ぎに(笑)。
17年12月、本誌にこう語っていたのは近藤真彦(56)。事務所の創業者である故・ジャニー喜多川さん(享年87)に才能を見出され、いまやジャニーズの“長男”に。しかし、4月30日、40年以上連れ添ったジャニーズ事務所を退所することを決断した。
退所に際し、「思えば金八先生から始まり、新人賞、レコード大賞、紅白歌合戦、映画と数々の貴重なお仕事をさせていただき感謝しかございません」と事務所への思いを寄せた近藤。そして、「ありがとうジャニーズ ありがとう素敵な後輩達 ありがとうジャニーさん」と結んでいる。
「マッチさんは79年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒・星野清役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦さん(60)や野村義男(56)さんと共に『たのきんトリオ』として活躍し、80年12月に『スニーカーぶる~す』でソロ歌手としてデビューを果たしました」(芸能関係者)
そんな近藤は、これまで本誌でジャニーさんとの思い出をいくつも語ってきた。
デビュー以降、ヒット曲にも恵まれ、瞬く間にスター街道を駆け上がった近藤。そして87年に発表した楽曲『愚か者』でレコード大賞を受賞した。その当時、ジャニーさんも大喜びだったという。
「あの年はすべての賞レースをとってきたのに、レコード大賞だけは無理だと言われていて、ものすごいプレッシャーでした。だから、初めてうちの事務所でレコード大賞が取れたときは、ジャニーさんとメリーさんもとっても喜んでくれましたね。
■「僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな」
近藤は、84年からレーサーとしての活動もスタート。アーティスト活動との兼業は当時かなり異例のことであったが、そこにはジャニーさんの“教育術”もあったようだ。
「(ジャニーさんには)とにかく臨機応変というのを教わりましたね。形にとらわれず、マニュアルにあえて従わず、という柔軟性が大事だと。1、2、3だけが正解じゃなくて、1、2、5もいいじゃない。いまは自然にそう思えるようになりましたね」(20年12月1日・8日合併号)
さらに彼は17年12月、ジャニーさんが命名した楽曲『軌跡』をリリース。その当時、彼は本誌でジャニーさんからの言葉を明かしていた。
「ジャニーさんからは『年齢的にも、一度人生を振り返ってもいい時期。これまで歌手とレースの二足のわらじを履いて走ってきたマッチだから、車偏の付く“軌跡”をテーマにしたらいいよ』と言ってもらいました」
そして「今回ジャニーさんから『軌跡』というテーマをもらえたことで、少し僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな、とうれしく感じました」と、“師”から認められた喜びも明かしていた。
ジャニーさんに支えられてきた近藤。貴重な思い出を胸に旅立った彼の次なる道はいったい――。