住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に衝撃を受けたアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「先日、『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)で、フミヤ(藤井郁弥)さんが『Song for U.S.A.』(’86年)と『ギザギザハートの子守唄』(’83年)を歌っているのを見たのですが、デビュー当時とキーが変わっておらず、声のハリもそのまま。“声フェチ”の私としては、感動するしかありませんでした!」
そう話すのは、フリーアナウンサーの魚住りえさん(49)。’80年代は“音楽好き”として過ごしたという。
「3歳から、いずれは音大のピアノ科へという夢を持って、1日2、3時間は自宅、週に1回は先生のところでレッスンを受けていました。ピアノ中心の生活でしたね」
両親は、ともに厳しかったそうでーー。
「テレビはNHKが中心でした。夜9時からの『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)は“子どもは寝る時間だから”と禁止。でも『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)は、夜8時からの放送だから見せてもらえたんです。音楽好きの両親と一緒になって『声に伸びがあって迫力あるね』『こぶしがきいててうまいねぇ』などと、いろいろ評論したりしていました(笑)」
■フミヤさんのルックスのファンに
歌番組があった翌日は、クラスの女子の間で(松田)聖子派vs.(中森)明菜派の勢力争いも激化。
「キラキラしている聖子さんもすてきでしたが、明菜さんの少しはにかんだ姿がアイドルっぽくなくて、私は好きでした。初めて親に買ってもらったレコードも『少女A』(’82年)で、それからデビュー曲の『スローモーション』(’82年)に遡って。来生たかおさんの曲はメロディアスですごく好き。
7歳上の姉の影響で、洋楽もよく聴いた。
「姉がほぼすべてのLPを持っていたデュラン・デュランに私もハマって。全盛期のメンバー5人で来日公演をした’05年に、インタビューすることができたのですが、感激しすぎて、何を話したのか覚えていないくらい。このときに、もらった全員のサインは、いまでも宝物です」
’80年代の音楽全般が好きだったが、なかでも衝撃を受けたのはチェッカーズだった。
「中学に入ったころ、仲よしのクラスメートから『チェッカーズって知ってる?』って言われて、すぐに見た『ザ・トップテン』で『涙のリクエスト』(’84年)を聴きました。“コレか! カッコいい”って。まずベビーフェースでおしょうゆ顔のフミヤさんのルックスのファンになりました」
親にせがんで『絶対チェッカーズ!!』『もっと!チェッカーズ』(ともに’84年)などLP盤のアルバムも買ってもらった。とくに思い出に残っているのは、『FLOWER』(’86年)に収録されている『Long Road』だという。
「ナオユキ(藤井尚之)さん作曲で、フミヤさん作詞。この兄弟にラブソングを作らせたら右に出る者はいないと思うくらい、すごくロマンチックな曲なんです。前奏がオルガンで始まって、“君を迎えに行く”“一緒に歩いてほしい”と歌う、結婚式のバージンロードを連想させる曲。“彼女に向けて作ったのかな”なんて、勝手に妄想していました」