住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。

「医学部生だった’80年代は、必修科目も多く忙しかったけれど、他大学との交流やファッション、遊びにも夢中になりました。空き時間に渋谷に行けばパルコやマルイをウインドーショッピング。ファッションのバイブルともいえる『JJ』(光文社)のモデルだった賀来千香子さんが大好きで、その賀来さんが出演したドラマ『男女7人夏物語』(’86年・TBS系)は欠かさず見ていました」

こう語るのは、コメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵さん(57)。高校時代、医大生だったころ、そして研修医として忙しく過ごした’80年代を振り返る。

「“子どもはあまりテレビを見ないほうがいい”というのが母の教育方針だったのですが、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)だけは、なぜか見せてもらえたんです」

そんな小学校時代を過ごした、おおたわさんは、高校生になると、日曜夜に日本テレビで放送されていた海外ドラマに夢中になる。

「テレビに厳しい母がお風呂に入る時間と重なっていたため、安心して見られたんです。『アメリカン・ヒーロー』や『チャーリーズ・エンジェル』『史上最強の美女バイオニック・ジェミー』など、好きな作品がたくさんありますね。ドラマの中で描かれる、プール付きの豪邸やかっこいい車、若者たちのパーティなど、豊かでキラキラした生活ぶりにあこがれて“いつか私もアメリカに行ってみたいなー”って夢を抱いていました」

■鶴光さんの下品なラジオでおなかを抱えて笑った

テレビは見る時間が限られていたため、親から干渉されず、自分の部屋でこっそりと聞けるラジオが、至福の時間をくれたという。

「『欽ドン!』もテレビ(’75~’87年・フジテレビ系)で見た記憶より、ラジオ(’72~’79年・ニッポン放送)で聞いていたときのほうがより印象に残っているし、とくに高校時代は(笑福亭)鶴光さんの『オールナイトニッポン』(’67年~・ニッポン放送)が鉄板でした。果てしなく下品で、おなかを抱えるくらい笑えて。番組の放送内容が書籍化されると、放課後に友達と一緒に読んで、Y談を楽しんだりもしました(笑)」

その高校時代に打ち込んだのは、中学から始めたダンス。

「ダンスの授業があって、顧問の先生がすごく熱心だったんです。

創作ダンスに取り組み、衣装も生徒たちで作って、学内コンクールに参加したりしました」

ただ、楽しみといえばそのくらいで、大学受験の勉強に追われる毎日。おおたわさんは父親が自宅で内科を開業していたこともあり、幼いころから“将来は医師になる”と決めていたという。

「“親戚に医者と弁護士がいるといい”なんて言われていた時代で、そういった周囲の期待もあったから、ほかの道を考えたことはありませんでした」

真摯に医学に向き合う父の姿からも、大きな影響を受けた。

「すごく勤勉で努力家。朝の5時から起きて医学書を読んでいたり、夜中でも日曜でも『具合が悪い』と患者さんから電話がかかってくると、往診に出かけたりしていました。そんな父を見ていると、遊びたいし、怠けたいと思っている、こんな私に医者が務まるのかという不安もありました」

だが父親は“人生の幅を広げるためにも、医学以外のことも経験すべき”と、さまざまなチャレンジを応援してくれた。

「なんとか医大に進学できたのですが、真面目な女子が多い医科大学ということもあり、大学生活は決して華々しくはありませんでしたね(笑)。朝から夕方まで学校にいて、想像していたのとは真逆でした」

■ナンパも経験!ディスコに通った大学生時代

そんな大学生活のなかで印象に残っているのが、高校時代にドラマで見てあこがれたアメリカへの、短期留学だった。

「大学2年時の夏休みを利用して、1カ月間、ホームステイしました。ホストファミリーがすごくお金持ちで、ロサンゼルスの郊外にあるプール付きの一軒家のほかに、ベニスビーチにコンテナハウスを持っていて、そこにも遊びに行きました。ホスト先には同年代のブロンドの女のコがいて、毎日、私を遊びに連れ出しては、たくさんのボーイフレンドを紹介してくれたんです」

かつて夢見たアメリカ西海岸での生活を満喫した、おおたわさんが、大学4年のときに夢中になったのが『男女7人夏物語』だ。

「主役の(明石家)さんまさんも魅力的でしたが、賀来千香子さん目当てでした。

ドラマの脚本や設定も時代を象徴していて、男女がくっついたり離れたり、面倒くさいことをしているんですが、気持ちの揺れや不安、人に寄り添ってほしくなる気持ちなど、すごく細かく心情が描写されていて、共感できたんです」

脇を固めた片岡鶴太郎の存在も大きかったという。

「三枚目だけど、すごく友達思いの男性を好演。鶴太郎さんはこの後、主役を務めた単発ドラマ『季節はずれの海岸物語』(’88~’94年・フジテレビ系)も含めて、一気に“いい男感”が増してきたように思います」

続編の『男女7人秋物語』(’87年・TBS系)での手塚理美のワンレングスヘアには、おおたわさんも影響を受けたという。

「医学生時代は、ワンレン、ボディコンでディスコにも行きました」

中高時代、ダンスが好きだったことから、踊るのが目的だったが、ナンパも経験。

「どんな仕事かわからない、けれどもやたらと羽振りのいい男性陣に、ごちそうしてもらったり、みんなで湖畔のコテージへキャンプに連れて行ってもらったり(笑)。いったい、どこからお金が出ていたのかわかりませんが、男性にとって、女子大生のグループを呼べることがステータスだった時代なんでしょうね」

医学部を卒業するとともに研修医となり、遊ぶ時間もない“暗黒時代”に。だが、バブル景気も手伝い、さまざまな経験ができた’80年代は、その後の人生に彩りを与えてくれたという。

「“医者とはこうあるべき”などと小さくまとまらず、自分を型にはめない生き方ができている気がします。ラジオ番組に挑戦することもできたし、それがきっかけで『ホンマでっか!?TV』(’09年~・フジテレビ系)ではさんまさんとの共演もかないました。『男女7 人~』を見ていた当時は、夢にも思わなかったこと。今、矯正施設の受刑者への医療という、新たな医療活動に挑戦できているのも、さまざまな経験を積み重ねたからだと思います」

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