「バンドを長く続けようとも、すぐ辞めようとも考えていませんでした。バンドをやっているのは、面白いし楽しいからです。
こう語ったのは、ロックバンド・少年ナイフのなおこだ。
少年ナイフはなおこが中心となり、妹のあつこ、そして友人のみちえとともに1981年12月に結成されたバンド。お菓子や動物をモチーフにした歌など、ユニークな音楽性は当初から海外で高く評価されることに。そして海外進出が珍しかった80年代後半から、すでにアメリカやイギリスで大活躍。さらに伝説のミュージシャン・Nirvanaのカート・コバーンやラモーンズからもラブコールを受け、共演を果たしている。
そんな“生きる伝説”ともいえる少年ナイフは昨年、結成40周年を迎えた。なおこは結成当初をこう振り返る。
「両親の世代、特に母親は『女の子がバンドするなんて!』という気持ちが強かったみたいです。だからバンドの練習に行く時も、見つからないようにしていました。ギターだけ家の門の外に置いて、『行ってきまーす!』と普通に出て行って、親の見えないところでギターを担いで出かけていました。
ただ海外ライブをたくさんしたり、色々な媒体に載せてもらったりしたら喜んでいましたね。
少年ナイフは何度かメンバーチェンジを経ながらも、“女性オンリー”で40年を駆け抜けてきた。そもそもなおこは、当初から女性だけのバンドがしたかったのだという。
「少年ナイフを妹や女友達と始めたのは、『そのほうが楽しくできるだろうな』と思ったから。女性同士だと、居心地がいいですしね。カラフルな衣装も着られるし、一緒の部屋に泊まることもできる。全員女性のバンドって目立ちますし、いいことばっかりです。デメリットといえば、力がないので“荷物運びが大変”ってことくらいかなぁ」
■音楽活動と育児の両立!体力の源はテニス
40年の間で、様々な経験をしてきたなおこ。「楽しい思い出ばっかり」といい、こう続ける。
「アメリカにイギリス、ヨーロッパに北米、オーストラリアにインドなど世界各国をツアーで回りました。フィリピンでは朝のワイドショーに出演したのですが、共演者が大統領候補やったりして(笑)。
なおこはもう一つ、大きな経験をしている。それは出産だ。一児の母でもある彼女は、少年ナイフでの活動と子育てを両立させてきた。
「出産して数ヵ月後、子供がまだミルクを飲んでいる時にレコーディングがありました。スタジオに子供を連れて行って、別室で寝かして録音して(笑)。その後もテレビかラジオの収録があったり、ライブもあったりで育休期間みたいなのはあんまりなかったんですよ。
子供が小さい頃、お守りを頼める人もいなかったので、国内のライブ会場は全部連れて行きましたね。ただ、その影響なのか、子供はあんまりロックが好きじゃないみたいです(笑)」
母としてミュージシャンとして、二足のわらじを履いてきたなおこ。海外ツアーでは「毎日、移動してはライブ。それが5日か6日続いて、やっと1日休み。もしくは移動日です」と話す。
「出産して3ヵ月くらいした時、妹に誘われてテニスを習い始めました。すると、それまでライブで一曲終わるたびに『ありがとうございます、ハァハァ』と息切れしていたのに、ライブが終わっても息切れしなくなったんです。テニスのお陰で、体力がつきましたね。あと『肩凝ったな』と思っても、なぜか一回テニスやったら治ったり(笑)」
■「少年ナイフは楽しいから飽きないんです」
いっぽう少年ナイフは世界的に活躍しているにもかかわらず、日本のメディアで取り上げられる機会は少ない。そのことについて、なおこはどう思うのだろうか?
「自分は60年代や70年代の、アメリカやイギリスの音楽が好きで多大な影響を受けています。英語で歌うし、メロディも日本っぽくない。だから少年ナイフの音楽は、日本のロックより英米のロックに近いんじゃないかなと考えています。
日本のロックは心情をテーマにした歌が多いのですが、少年ナイフは食べ物や動物の歌ばっかりですしね。でも誰にでもわかる歌の内容だからこそ、ユニバーサルな音楽なんじゃないかなとも思います。
スポーツじゃないので、『評価されなくて悔しい』っていう感覚はないんです。もちろん日本にファンがもっといたらいいなとは思いますが、これからも楽しく活動していきたいですね」
最後に、結成40年目の目標を語ってもらった。
「いつか大御所ミュージシャンみたいにプライベートジェットが欲しいなぁと思います(笑)。荷物を誰かに運んでもらって、自分だけラクな方法で移動したりね。
でも、一番の目標はお客さんが喜んでくれることです。作品やライブで、ハッピーになってもらえたら嬉しい。『歳をとってもやるぞ!』とか気負いはないし、飽きたらいつか辞めるかもしれません(笑)。でも、少年ナイフは楽しいから飽きないんです」
少年ナイフの音楽は、これからも鳴りやまない――。