住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「バドミントンの練習が忙しくて、テレビを見る時間なんてほとんどなかったのですが、歌番組でマッチがマイクを持つ手を見ては“なんてキレイな指なんだろう。きっと繊細な人なんだろうな”って、勝手な想像をしていました」
マッチファンを公言するのは、元バドミントン日本代表選手で、現在『news every』(日本テレビ系)でキャスターを務める陣内貴美子さん(58)。
小学4年生のときに出合ったバドミントンに、青春時代のすべてを注ぎ込んだという。
「私が生まれ育った熊本県八代市では当時、男子は野球、女子はバドミントンをやるというのが一般的。私の通う小学校でもバドミントン部ができたので、そのタイミングで始めたんです」
そんな小学生時代にも、欠かさず見ていたのが『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)。
「舞台いっぱいにアパートのセットを組んで、大家のいかりやさんのもと、個性的な住人が登場するコントが大好きでした。エンディングでのカトちゃんの『歯、磨けよ!』『早く寝ろよ』の呼びかけどおり、番組終了とともに寝ていましたね(笑)」
■「天才だ」と調子にのってサボったら負けてしまった
一方、バドミントンの練習には最初のころ、なかなか熱が入らなかったという。
「家の手伝いをして親にもらったお小遣いでラムネやチロルチョコを買って、練習中に体育館の裏でサボって食べたりしていたし、練習が終わる前から準備して、誰よりも早く帰ったりしていました」
当然、初めて参加した大会では、2回戦負けと振るわず……。
「自分より体が大きな相手に負けたのですが、それが本当に悔しくて。小学生のころ、私は小さいことがコンプレックスだったので、“次は負けたくない”と、練習にも励むようになったんです」
すると、みるみる上達し、3カ月後の大会で優勝。
「それで“あ、私、天才だ”と調子に乗ってサボってしまったら、次にまた負けてしまった。“同じこと繰り返すのはバカだな”って学習して、それからは真剣に打ち込むようになったんです」
中学に進学してからは、地域の有望選手を集めた強化クラブに所属。
「平日は14キロ、土日は30キロ走ってから練習を始めるという厳しさで、それが嫌で、嫌で……。夕方、ちょうど練習に向かう時間に再放送していた『水戸黄門』(’64~’11年・TBS系)のオープニング曲を聴きながら、『行きたくないけど、人生は楽もあれば、苦もあるから』って思いながら、練習に出かけていました」
高校に入ってからもバドミントン漬け。まさにスポ根漫画のような生活だった。
「ボクシング漫画の『がんばれ元気』に、動体視力を鍛えるため、走る電車を線路脇に立って凝視し、乗客の顔を見分ける練習のシーンがあったんです。現役時代、私もそれをマネして、新幹線で移動中、駅のホームを通過するとき、駅名を読む練習をしていました。『ひかり』ならしっかり見分けることができたのですが、さすがに『のぞみ』は無理でした(笑)」
■「マッチに会えるかも…」と期待してTBSで出待ちを…
練習に明け暮れた高校時代に出会ったのが、マッチだ。
「家に帰るのは夜遅くで、しかもクタクタ。だから『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)は見ていなくて、マッチの存在を知ったのは、学校でたのきんトリオが話題になっていたからなんです。“トシちゃんがいい”“マッチのほうが不良っぽくてカッコいい”というクラスメートのやりとりを聞き、大きなスニーカーのセットの前で『スニーカーぶる~す』(’80年)を歌うマッチをテレビで見て、すっかりファンになりました」
それを知った友達や後輩が、アイドル雑誌の『平凡』や『明星』のマッチのページを切り抜き、透明の下敷きに挟んでプレゼントしてくれた。
「ウォークマンはめちゃくちゃ高価だったので、小さいラジカセを買ってもらい、マッチの曲を入れたカセットテープ4~5本と一緒に旅行カバンに入れて、遠征先で聴いたりしていました。テープにはラジオの歌番組から録音するんですけど、リクエストハガキや曲の紹介が長くて、イントロ部分にかかってしまうと、もうがっかり(笑)。
ちょうどこのころ、16歳にして初めて日本代表入りを果たした陣内さん。
「マッチのセカンドシングル『ヨコハマ・チーク』(’81年)が私の誕生日にリリースされたときには、“お祝いしてくれてる”と勝手に思い込んでいました」
そんな“プレゼント”のおかげか、陣内さんは海外の大会のジュニアの部で優勝、シニアの部のダブルスでも準優勝した。
「『ギンギラギンにさりげなく』(’81年)もそうですが、その次のシングル『情熱☆熱風せれなーで』(’82年)はかなり印象が強かったですね。歌詞に出てくる『ポニーテール』に影響されて、よくポニーテールにしていた時期もあったくらい(笑)」
練習でどんどん忙しくなり、マッチが常連だった『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)も、後半の5位から1位までしか見られなかったという。
「高校最後の東京での大会は、顧問の先生が来られなくて、同級生2人と私だけで上京したんです。それで、『ベストテン』を生放送していた木曜の夜、『マッチに会えるかも』って、3人で赤坂のTBSに“出待ち”しに行って。すごい数のファンが集まっている出口で待ったのですが、守衛さんに『ここからは出ないよ』と言われて、あきらめて帰りました。でも、マッチの近くに行くことができただけで満足でしたね」
そんな思い出を語る陣内さんは、’92年にバルセロナオリンピックへの出場を果たし、引退後はスポーツニュース番組など、テレビに出演するように。
「あるバラエティ番組で、マッチファンの北斗晶さんたちと、“マッチのことを誰がいちばん知っているか”をクイズで競ったんです。そこで私、なんと優勝することができて、マッチ手作りのお好み焼きをごちそうになれたんですよ!」
そんな夢のような体験ができたのも、’80年代から真摯にバドミントンと向き合ってきたからなのだ。
【PROFILE】
陣内貴美子
’64年、熊本県八代市生まれ。16歳でバドミントンの日本代表メンバーに選ばれ、’92年にはバルセロナオリンピックに出場。