「先生がお住まいの寂庵で、おそらく6回か7回、先生と2人きりで新年を迎えたことがあります。寂庵のまわりにはたくさんの寺院があるので、それは見事な除夜の鐘の合奏が聞こえるそうなのですが、実は私は一度も聞いたことがないんです。

いつも日中から先生とお酒を飲んで、早い時間に寝てしまったから……」

そう語るのは、ドキュメンタリー監督の中村裕さん(62)だ。昨年11月に99歳で逝去した瀬戸内寂聴さんの晩年に、中村さんは17年にわたって密着してきた。その集大成となるドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(配給:KADOKAWA/制作スローハンド)がいま公開され、好評を博している。

7月9日にはシネモンド(石川県金沢市)と福井メトロ劇場(福井県福井市)で、10日にはCINEX(岐阜県岐阜市)で、中村監督の舞台挨拶が予定されている。

寂聴さんに“裕さん”と呼ばれていた中村さん。中村さんは寂聴さんのことを“先生”と呼ぶ。出会いのきっかけは、2004年に寂聴さんに密着した『情熱大陸』(MBS)の担当になったことだ。

「最初は緊張でカメラを回せないときもありました。先生がビールの大ジョッキをガーッと半分くらい飲んで、プワ~って言ってるところなんて、撮っていいのかわからなかった(笑)。しかし、密着しているうちに打ち解けていって」

番組放送後も交流は続いた。テレビの取材で、ときにはプライベートで、中村さんは寂聴さんを訪ね、旅行にも同行した。2011年には、東日本大震災の被災地を慰問する寂聴さんに付き添った。

2015年には、NHKスペシャル『いのち 瀬戸内寂聴 密着500日』のディレクターを中村さんが務め、同番組はATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞も受賞している。

■元夫の墓前で涙を流して……

映画では、ほかでは見たことのない寂聴さんの“喜怒哀楽”が描かれている。Tシャツ姿でお酒を飲み大いに笑い、手術や入院にもめげず、笑顔でリハビリに励み、真剣なまなざしで原稿に向かい、ときに裕さんに厳しい言葉を投げかける。

「10年ほど前から年に5~6回、小さなカメラを持って、ひとりで寂庵にお邪魔していました。テーブルに本を重ね、即席のカメラ台を作って、先生とお酒を飲み食事をしながらカメラを回すんです」

だが、撮った映像の使い道を明確に決めていたわけではなかった。

「100歳の誕生日にでも、映画を先生に見てもらって、怒られよう」と漠然と思っていたという。だから、映画の中の寂聴さんと中村さんはどこまでも自然体だ。

「僕がお酒を飲んで寝てしまって、気づいたら先生が台所で洗い物をしていることもありました。僕の中で、先生は常に笑っていて、誰に対しても偉そうにすることはありませんでしたね」

いつも明るく「人前では絶対に泣かない」と言っていたが、映画ではその涙が映されている。1948年、夫と3歳の娘を残して、「小説家になりたい」といって家を飛び出した寂聴さん。長年、元夫の墓参は許されなかった。

「娘さんからも許され、いい節目だと思われたのでしょう。

2006年11月、文化勲章を受章した翌日に元夫の墓を参る先生を撮らせてもらいました。墓前で先生は『私は小説家にならなきゃいけなかったんです』と泣きだされて……。家族を捨てた以上、必ず小説家に、それも半端な物書きではダメだという覚悟があったのでしょう。文化勲章受章で報われたというか、墓前で自分が背負ってきたものをもう一度見つめなおされているようでした」

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