2020年に話題を振りまいたテレビドラマのひとつが、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」です。昭和という激動の時代、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古山裕一(窪田正孝)と、その妻・音(二階堂ふみ)が織りなす「音楽が奏でる 人生の物語」。
写真提供/日本コロムビア
裕一の妻であり、声楽家でもある古山音役を演じる二階堂ふみの歌のシーンがたびたび登場しますが、その他の出演者も歌の名手たちが集結。森山直太朗、山崎育三郎、薬師丸ひろ子、森七菜、柴咲コウ、RADWIMPSの野田洋次郎などが素晴らしい歌を披露し、ドラマに釘付けにさせられました。ほかにもミュージカル界や声楽界で活躍するシンガーやミュージカル俳優が続々登場、当時の実在した人物に扮した歌唱シーンはどれもが貴重でした。
出典元:YouTube(NHK)
コロナ禍の中でドラマ撮影が中断、番組は2ヶ月半もの間放送休止を余儀なくされました。また朝ドラ出演で話題になった志村けんが、コロナウイルスに感染して亡くなるという衝撃的な出来事もありました。日本中、そして世界中が重苦しい空気で充満する中でも、ドラマ「エール」は毎朝たくさんの人に元気を与えてくれたのではないでしょうか。今回はドラマ「エール」の中でも欠かすことのできない名シーンで使用された、古関裕而の名曲を厳選ピックアップしてお届けします。
暁に祈る(1940年)
戦意高揚のために陸軍が監修する映画「暁に祈る」制作にあたり、裕一に主題歌を作る話が舞い込みます。裕一はこの依頼を、幼なじみの鉄男(中村蒼)が作詞、久志(山崎育三郎)が歌を担当することを条件に引き受けます。
「暁に祈る」は、望郷の念にかられる兵士達の思いが見事に表現され、それが人々の胸を打ち大ヒットとなりました。戦時歌謡曲の歌詞やメロディを紐解くと、単なる戦意高揚させる作品ではなく、様々な人々の心情に寄り添った歌があったことが理解できます。
そして10月14日放送回では、兵士たちが死への恐怖を吐露し気持ちが沈んでいく中で、藤堂先生は「必ず日本に帰ろう」と勇気づけ「暁に祈る」を皆で歌います。その歌は、戦意を煽るものではなく、寂しく切なく兵士たちは振り絞るような声のハーモニーでした。そしてその翌日、敵からの急襲を受け部隊は全滅、藤堂先生も命を落とします。
出典元:YouTube(西尾 薫 ソプラノ歌手-Kaoru Nishio-Soprano Singer)
※動画はソプラノ歌手の西尾薫さんによるものです。
視聴者からは「朝からここまでしなくても・・」という声もたくさんあったようです。これに対してドラマ制作統括の土屋勝裕さんは「エール全編のなかでも特にご覧いただきたい週です。
とんがり帽子(1947年)
戦争が終わり、日本は復興に向かって大きく動きはじめます。しかし裕一は自分の作った音楽が人々を戦うことに駆り立て、その結果若い人の命を奪ってきたことを自分のせいだと悔やんで曲を書くことができなくなっていました。そんな状態が続く中で、劇作家の池田(北村有起哉)が子供たちを励ましたいと手がけるラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を裕一に依頼します。
裕一はその主題歌の心強い歌詞を見て、ようやく曲を作ることができるようになります。1947年(昭和22年)7月5日からスタートした「鐘の鳴る丘」は、復員した青年が戦争孤児のために居場所を作ろうとする話で、戦争に傷ついた人たちの心を励まし、勇気づけました。
長崎の鐘(1949年)
「鐘の鳴る丘」に続き池田は、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から壊れずに掘り出された鐘をモチーフにした映画「長崎の鐘」の主題歌を作って欲しいと裕一に声をかけます。戦争体験に苦しんだ裕一でしたが、前に一歩進むために自ら進んでこの依頼を受けます。裕一は「長崎の鐘」の原作者である永田医師(吉岡秀隆)の住む長崎をおとずれます。
永田は自分が書いた物語のテーマである「どん底に大地あり」という意味がわかるかと裕一に尋ねます。ようやくその真意が「希望」だと気づいた裕一に、永田は「希望を持って頑張る人にエールを送って欲しい」と伝えます。「長崎の鐘」は憂いをもったマイナー調のメロディーから始まるのですが、途中から転調しキラキラした希望を抱くメロディーになっていくのがわかります。この曲は大ヒットし、裕一の代表曲となっていったのです。実際に歌ったのは藤山一郎で、1951年(昭和26年)に放送されたNHK『第1回NHK紅白歌合戦』で白組トリとして「長崎の鐘」を歌っています。
栄冠は君に輝く(1948年)
100回を超える夏の全国高校野球甲子園大会。大会歌である「栄冠は君に輝く」の誕生にはこんなストーリーがあったようです。
戦争体験は幼なじみの久志にも大きな影を残していました。戦争に加担した歌手として周りからバッシングされ、久志の心は乱れ、生活はすさみ、歌うことへの情熱は全くなくなっていました。そんな久志を見た裕一は、久志の歌手としての才能を信じ「栄冠は君に輝く」を歌って欲しいと何度も懇願します。10月30日の放送では、心を動かされた久志が甲子園球場で「栄冠は君に輝く」を独唱します。山崎育三郎の歌声が青空に響き、いまの時代でも多くの人が口ずさみ勇気をもらえる名曲が誕生する名シーンです。
君の名は(1952年)
新海誠の映画で有名ですが、元祖としての「君の名は」は1952年から2年間も放送されたラジオドラマです。主人公の二人が「会えそうで会えない」というシーンが何度も起こり、リスナーをやきもきさせつつも、熱狂させていきました。当時は「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれたり、映画化されると主人公の女性が巻くストールを真似たファッションが大流行しました。
新海誠の「君の名は」もすれ違いの物語、そして最近のさまざまな恋愛ドラマもやきもきした恋愛ストーリーが人気です。現代に通じる恋愛トレンディドラマの原型でもある「君の名は」のメロディーで、裕一の名前はさらに知名度が上がっていきます。
オリンピック・マーチ(1964年)
裕一はこれまでにも「栄冠は君に輝く」はもちろん、大阪(現・阪神)タイガース応援歌である「六甲おろし」や、早稲田大学応援部の「紺碧の空」など数々のスポーツ関連曲を手掛けています。そんな裕一に訪れた最大のサプライズが、1964年に開催された東京オリンピックのテーマ曲の制作でした。戦時歌謡曲の作家である裕一が、オリンピック・マーチを手がけるのは相応しくないという声もあがる中、「不幸な時代を経験したからこそ 人の心をひとつにする 唯一無二の力がある」という情熱をもった大会関係者の力でついに実現することになります。
裕一の人生を掛けた最大の応援歌「オリンピック・マーチ」。戦前・戦中、そして戦後と、時には苦しみながらも、音楽を通じて人々へ元気や勇気を与えてきた裕一だからこその運命だったのかもしれません。
古関裕而の作品とともに「エール」の名場面を飾った劇中の音楽は、作曲家/編曲家の瀬川英史が担当。サウンドトラックはCDで聴くことができるので、こちらもあわせて聴いてみてください。
今年の「NHK紅白歌合戦」の紅組司会は「エール」で音役を演じた二階堂ふみが担当、主題歌を歌うGReeeeNの初出場も決定。「エール」ロスにならずに大晦日の日までまだまだ楽しめそうです。懐メロは古臭いということで敬遠せずに、ぜひ古関裕而の音楽を深掘りしてみてください。素晴らしい発見があるはずです。
(KKBOXライター:山本雅美)