今月8日、ピースの綾部祐二が記者会見を開き、来年4月から拠点をニューヨークに移すことを発表。又吉直樹とのコンビの仕事はいったん休止し、今後はハリウッド俳優を目指して活動していくことになるという。
一部報道では、現在の年収4000万を投げ捨ててのハリウッド挑戦とも言われているが、それだけのリスクを背負ってまで彼が日本の芸能界から離れるのは、やはり『火花』(文藝春秋)が芥川賞を受賞して以降、コンビ間のパワーバランスが逆転してしまったからなのではないかとの見方が強い。
「女性セブン」(小学館)2016年10月27日号でも、「よしもと男前ランキング」で3連覇の末に殿堂入りしたり、「熟女大好き芸人」などの豊富な話題性を武器にコンビを引っ張っていた綾部が、又吉の芥川賞受賞以降、その立場が逆転したことことで〈ギクシャクが生じてしまった〉と報じている。
お笑いコンビにとって、そのような急激なパワーバランスの変化は深刻な影響を及ぼすようだ。ダイノジの大谷ノブ彦は、平野啓一郎との対談本『生きる理由を探してる人へ』(角川新書)のなかで、急激な変化に耐えられず自殺未遂を起こしたとの衝撃的な告白をしている。
それは、いまから10年前。相方の大地洋輔が「世界エアギター選手権2006」で優勝したのがきっかけだった。
〈大地がエアギターの世界チャンピオンになったのが二〇〇六年で、ちょうどうちには子供ができた頃だったんですけど、ダイノジとして急にメディアに出られるようになったんです。ただ、僕のほうは大地の添え物みたいな感じになっていたんですね。もともとコンビの中では僕がイニシアチブをとっていたのに、そういう評価を受けてたんです〉
ダイノジはもともとネタづくりを大谷が担当してきたコンビだった。さらに、自らが主催となって音楽イベントを企画したり、DJとしてロックフェスに出演したりと、お笑い以外にも活動の幅を広げるダイノジの独自の芸風をかたちづくったのは、やはり、サブカル知識が豊富でなおかつ戦略家の大谷によるものが大きい。
しかし、「エアギター世界一」というキャッチーな肩書きが大地についたことにより、皆の視線は自分ではなく大地に集中するように。それ以降はコンビとしてではなく、相方にはピンの仕事の依頼まで来るようになっていった。
〈その少しあと、ちょっと先輩芸人に誤解されたことがあって......。こちらとしてはそれを誤解だと考えてますけど、悪い印象を持たれたことから、ある番組を干されちゃったんです。一週間前の台本には名前が入っていたのに、二日前になって急に名前がなくなったんですね。それはどうもその先輩が(中略)共演はNGだと言ったそうで。それを聞いたときには顔面蒼白になりました。「とりあえず何年かけてでも誤解を解いていきましょう」って当時のマネージャーが言ってくれたんですけど。家に帰っても心の中はザワザワしてました〉
この時の先輩芸人とのトラブルに関しては大谷側が一方的に悪いというものではなく、音楽イベントにおけるギャラに関して会社の人との連携がうまくいかず、後輩のギャラ未払いが生じていたことだったという。
そんななか、ついに事件は起きた。
〈次の日は劇場の出番があったんですね。妻に見送られて家を出て、そこから記憶がないんですよね。自分で記憶を変えてるところがあるのかもわかんないけど、ハッと気づいたら、いつもランニングしていたコースにある廃墟化していたビルの屋上に立ってたんです〉
そのときの心境について彼はこう続ける。
〈ハッと気づいた瞬間、これはいま、すごくヤバい状態だって理解したんでしょうね。吸い込まれていくような感じでしたから。目を閉じてその場でへたり込んだら、涙があふれてきて、止まらなくなったんです。
そのときは、とにかく楽しかったことを思いだそうとしました〉
彼の命を救った「楽しかったこと」はこんな他愛もないことだったという。
〈それこそ中学生のときだったかにテレビで見たようなことです。高田純次さんが清川虹子さんの指輪を口の中に入れてしまい、食べちゃったと思ったら、口の中に入れていたガムにくっついた状態で吐きだした場面なんかがそうですね。弟と一緒にそれを見たとき、おしっこちびりそうになるくらい笑い転げたのをよく覚えてたんで、そのときの原風景を思い出そうとしたんです。
思いださなきゃいけないと思った。
自分がすごく笑った楽しいことを、本棚から取り出すような感じで、「イメージしろ! イメージしろ! イメージしろ!」みたいな感じでやってたら、速くなっていた心臓の鼓動がちょっとずつおさまってきて、過呼吸のようになっていたのも落ち着いてきたんです。「俺はそっちのほう(現実の世界)に行く、そっちのほうに行く」って言って。
不思議なんですけど、その一時間後には舞台に立って漫才をやってたんです〉
大谷の命を救ったのは、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の名場面。清川虹子の家に行った高田純次が3000万円のダイヤの指輪を口に含んだシーンだった。
危うく命を落としかけた場面で思い浮かべたシーンとしてはあまりにもドラマ性に欠けるものにも思えるが、自死に追い込まれる直前はそんなに劇的なものではないようだ。ビルの屋上に立つ前も周囲からは何の違和感も持たれなかったと言う。
〈あとから妻に「俺が『行ってきます』って家を出たとき、様子がおかしくなかったか?」って聞いたら、「まったくおかしくなかった」って言うんです。誰かが亡くなったあと、周りの人はよく「そんなふうに亡くなるとは思わなかった」みたいなことを言うじゃないですか。僕の場合もそうだったようです。自分では家を出た頃からすげえ落ち込んでたんだろうなと思ってたんですけど、妻によれば、異変みたいなサインはまったく出てなかったっていうんです〉
この事件の後、時が経ち相方への思いを受け入れ前に進んだ結果、自身のラジオ番組のリスナーに自らのことを「ボス」と呼ばせ(東野幸治は大谷とリスナーの関係を「宗教」とまで揶揄している)、暑苦しい熱量で自分の好きなサブカル文化を語りまくる現在の彼が生まれた。
ウェブサイト「CONTRAST」のインタビューで彼は当時の心境について「もう嫉妬しかしなかった。大地がエアギターで世界一になったのに、俺が大地の足を引っ張って、俺のせいでダイノジは2006年に売れなかったと思う」と振り返っているが、このときに「嫉妬」という醜い感情を抱く自分を殺すことができたからこそいまの大谷がいるのかもしれない。
ピース綾部の渡米が成功するのかどうかは分からない。だが、いずれにせよ日本に帰ってくるころには、テレビにはまったく別の綾部祐二が映っているであろうことは間違いない。
(新田 樹)