
忘れられない過去
報徳学園では高校日本代表に選ばれ、明治大学に進学。1年生からメンバー入りを果たし、3年生では日本一。卒業後はリコーブラックラムズに入団。輝かしい軌跡の一方で、山村には忘れられない過去がある。
高校時代、冒頭の準決勝で私たちを下し、報徳学園は決勝に上がった。相手は関西学院高等部。キャプテンを務めていた山村を筆頭にスキルの高い選手が多く、県大会4連覇も懸かっていた。周囲の期待は高かった。
ところが、試合はジリジリとした接戦になる。前半こそ、報徳学園が先制してペースを掴むものの、逆転を許す。
「どうしようもなかった。虚無感というか、不甲斐なさすぎて。この負けをどうにかいいように捉えるにはどうしたらいいんやろうって、自分でめちゃくちゃ考えて。『この負けがあって今がある』って、将来言えるようにするっていう結果に辿り着いた」。
山村には、2つ上に兄がいる。兄も報徳学園のラグビー部出身で、花園に出場した。
どうにかして、この出来事を肯定したかった。「あれがあったから」と言えるような過去にしたい。負けず嫌いが、山村の心を一層燃やす。周りが引退する中、高校日本代表入りに全力を懸け、選出。そして、U19スコットランド代表を撃破する。U19テストマッチ史上、初勝利の快挙で、山村はトライを挙げて勝利に貢献した。
「ここで関学に負けたってことをこれだけで終わらしたらあかんなって。受け入れたくなかったし、どうにかして、この負けを勝ちみたいにできひんかなって思ってた。でも、『この負けがあったから今の自分がある』って言える負けにせんと、自分のラグビー人生が負けやなと思った。そこが、グッと成長できたところやと思う」。

(U19スコットランド撃破後、ロッカールームで・本人提供)
「当たり前」が崩れるとき
そして、リコーで迎えた初めてのシーズン。山村の中にあった、もう一つの「当たり前」が崩れる。
ジャージがもらえない。ラグビーを始めた吹田ラグビースクール、中学から所属した伊丹ラグビースクール、報徳学園、明治大学。いつもジャージを着て、試合に出ていた。試合に出続けるために、良いパフォーマンスをする。そうやって、今までプレーしてきた。
「初めてジャージを着られずにスタンドで応援するっていう経験をして。フィジカルの部分でまだまだ通用できてないとコーチに言われた。そこで初めて、本気でフィジカルを強化しないとあかんって思えた」。
大学時代、コーチからフィジカルについて指摘されたことはあった。けれど、持ち前のスピードで通用していた。
フィジカルが基準に達していなければ、フィールドに立つことすら許されない。1年目でその壁に直面して、詰めの甘さに初めて気付いた。そこから、フィジカル強化に本格的に取り組み、トレーニングの回数を増やした。食事にも気を遣う。来シーズンこそ、結果を残す。そのための準備は怠らない。

未来は過去を変えていく
高校時代、連覇を止めてしまった。大学最後の年には、日本一をあと一歩で逃した。そして、リコーでは初めて試合に出られず、壁にぶち当たった。勝敗の結果、試合のメンバー。
平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』。物語の冒頭、主人公であるヴァイオリニストは、こんな一節を口にする。
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
記録は変わらない。けれど、未来を変えれば、過去の解釈も変えられる。「あの負けがあったから」受け入れたくなかった過去は、この言葉を掛けることで肯定できる。逃げなかった山村だからこそ、その重みが分かる。
現在、山村は北海道・定山渓で行われている代表合宿に参加している。今後、代表入りする可能性を見込まれた選手たちが招集されており、東京オリンピック最終スコッドとのトレーニングマッチが予定されている。
スコッド入りはできなかった。でも、まずはリコーで試合に出る。そして、7人制の世界大会であるワールドシリーズのメンバーに選ばれる。山村は、前を見ている。
「負けず嫌いやから」。
取材中、何度も繰り返したこの言葉。勝負事は、絶対に勝ち切りたい。その気持ちが、一歩を加速させる。あの1年目があったから。いつかきっと、こう言ってくれるだろう。

写真提供:リコーブラックラムズ
文:中矢健太