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投資には「損切りは早く、利食いはゆっくり」という格言があります。人は得てして、自分の資産が減っている局面では「いつか逆転が起きるかも」とあきらめきれず、損切り(株などを売却して損失を確定する)が遅くなるもの。

反対に、資産が増えている局面では早く利益を確定しようと利食い(売却)を急ぎやすい。この格言は、そうした心理を戒めるものです。

投資は人の心理が多分に関わります。そこで参考になるのが、経済学に心理学の要素を取り込んだ「行動ファイナンス(あるいは行動経済学)」です。取材を通してお金にまつわる学問を深掘りする本連載。今回は行動ファイナンスについて、同志社大学 経済学部経済学科の新関三希代教授に聞きました。

経済学に一石を投じた「プロスペクト理論」

人間の「心理」を知って投資スキルを上げる? 不思議の多い市場の本質を可視化する行動ファイナンス


――投資をしている中で、行動ファイナンスという言葉を耳にしたことがある人もいると思います。「経済学と心理学を組み合わせた学問」とは、一体どういうものでしょうか?

新関:いわゆる伝統的な経済学では、「人は合理的である」という前提のもとに理論が構築されてきました。たとえば投資家が何かの意思決定をする時、リターンやリスク、各指標など、さまざまな要素を見ながら合理的に判断するのだと。

ですが、私たち人間には非合理な部分がたくさんありますよね。その非合理な部分を心理学によって補完し、伝統的な経済学の理論を修正する。そうして、より現実的な経済の動きを解明するのが行動ファイナンスです。

――非合理な部分を心理学で補完する。



新関:例を挙げましょう。投資ではよく「ボラティリティ」という言葉が聞かれますよね。株価などがどれだけ変動するかを表すものです。実は古くから、株価が上昇トレンドにある時よりも、下落トレンドの時の方がボラティリティは極端に大きくなることがわかっていました。実際に市場の動きを見ても、ブラックマンデーやリーマンショック、新型コロナなどで大きな急落がありました。ですが、同じ勢いで上昇することはほとんどありません。

こうした現象は「負の歪み」とも言われます。1970年代まで、多くの経済学者が「負の歪み」の原因を追究してきましたが、伝統的な経済学では説明がつきませんでした。実は私も、もともと行動ファイナンスとは相反するような金融工学を専門にしており、負の歪みにつながる研究もしていたのですが、やはり解明できなかったのです。

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――合理的な経済学では「負の歪み」の原因がわからなかったと。

新関:はい。そこに登場したのが、行動ファイナンスの基礎になる「プロスペクト理論」です。

まさしく経済学に心理学を応用した理論で、これを用いると負の歪みを説明できることがわかりました。

プロスペクト理論は、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱したもので、カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。

「塩漬け」のメカニズムも、心理を知ることで明らかに

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――どうしてこの理論で「負の歪み」を説明できたのでしょうか。

新関: 順を追って説明しましょう。まずプロスペクト理論では、「人は得した時の喜びよりも、損した時の悲しみを強く感じる」と考えています。自分の保有する銘柄Aが1%値上がりした時と1%値下がりした時を比べた場合、変動幅は同じでも、人間が受ける感情の揺れは後者の方が大きくなる。こうした心理から、人は「損失を強く回避する傾向にある」としています。

これによって起きるのが「塩漬け」です。保有銘柄に損失が出ていると、どうにかそれを回避したくて損切りできない。逆転を待って放置してしまう。もっと下がる可能性があるにもかかわらず……です。

たとえばこんな実験があります。「100%の確率で1万円がもらえる」「50%の確率で2万円がもらえる」という2つの選択肢があった場合、どちらを選びますか。

両方とも「得られる金額×確率」から算出した“期待値”は一緒ですよね。しかし、多くの人が選ぶのは前者。確実に1万円が手に入る方です。

しかし、これが損失局面になると変わります。「100%の確率で1万円を失う」「50%の確率で2万円を失う」という選択肢になると、多くが後者を選ぶのです。

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――少しでも「損をしない可能性に賭ける」ということですか。

新関:これが先ほど話した損失回避の傾向です。たとえ損失が倍になるリスクがあっても、まったく損をしない可能性を追い求める。損失局面では、人は不確実な方を選ぶ、つまりリスクを取りに行くんですね。

すると、株価の下落局面ではリスクを選ぶ投資家が増えることに。市場の不確実性は高くなります。その結果、ボラティリティの上昇につながるのです。



一方、利益が出ている時は、確実にその利益を得たいので、多くの投資家は早めに利食いをします。不確実性は高まりにくいでしょう。行動ファイナンスやプロスペクト理論は、こうしたことを明らかにしていきました。

――確かに損失が出ると、少しでもダメージを少なくしようと塩漬けしてしまうことも。かたや、保有銘柄の株価が上がり始めると、すぐに売却してしまうことがありますね。

新関:古くから「損切りは早く、利食いはゆっくり」という格言がありますが、それはまさに投資家の心理に対する戒めの言葉なのです。

好調な投資家ほど「都合のよい情報だけ集める」可能性

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――行動ファイナンスを学ぶことで、個人投資家の役に立つ部分もあるのでしょうか。

新関:たくさんあると思います。たとえばプロスペクト理論では、「人はヒューリスティックな行動を取る」とされています。ヒューリスティックとは、広く情報を収集して論理的に分析・計算をすることなく、経験や直感で判断や意思決定を行うこと。

人は、自分の近くにある情報や手に取りやすい情報、もっと言えば自分にとって都合の良い情報に頼って意思決定してしまうことがありますよね。これもヒューリスティックのひとつです。

株式投資でも、自分の保有銘柄の良い情報しか聞き入れなくなる。悪い情報を耳にしても、何かしら理由をつけて信用しない。そんな場面があるのではないでしょうか。

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――耳の痛い話です……

新関:こうした傾向は、社会的地位の高い人や、一定の実績を積んで権限のある人ほど強くなります。詳しい説明は省きますが、それらの人は「認知的不協和」が強いためです。

これを投資家に当てはめると、投資経験が長い人や、直近の運用成績が良い人ほど認知的不協和が強くなり、自分好みの情報ばかり選ぶ可能性も。こういったことをふまえて、意識的に広くさまざまな情報を集めることが大切ではないでしょうか。

――投資で成果が出てきた時こそ要注意、ですね。

新関:そうですね。もうひとつ、確率についての理解を深めることも重要だと思います。高度な理論を学ぶのは難しいとしても、「余事象の確率」だけでも考えられるようになると良いのではないでしょうか。

――余事象の確率。



新関:仮に「90%の確率で手術が成功する」と言われた場合と、「10%の確率で手術が失敗する」と言われた場合、ふたつとも同じ事象の確認を前提にしているのに、印象は大きく異なりますよね。このように、ある事象に対して「それが起こらない事象」を余事象といいます。

確率の見せ方で騙される人は少なくありません。フレーミング効果とも言われますが、ある確率をどのようなフレームで見せるかで印象は大きく変わります。この銘柄は「80%の確率で上がる」と言われるか「20%の確率で下がる」と言われるか。同じことを言っているはずなのに、受け取り方は変わり、判断も異なります。

投資詐欺にフレーミング効果が使われることもありますし、こうした視点を身につけるだけでも自分の資産を守ることにつながるのではないでしょうか。行動ファイナンスの知識は、さまざまな点で役立つと思います。

(取材・文/有井太郎 撮影/森カズシゲ)

※記事の内容は2025年7月現在の情報です

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