「りとむ」会員で「太郎と花子」同人の歌人、田村 元(たむら・はじめ)さんは、ライフワークとして歌人ゆかりの飲食店や温泉宿などを訪ね歩いているといいます。『NHK短歌』では、4月にスタートした講座「歌人、この一軒」の講師を務めます。


* * *

「歌人、この一軒」というテーマで、歌人ゆかりの飲食店のエピソードと、毎月の歌題にちなんだ秀歌を紹介していきたいと思います。戦後の代表的歌人の一人である宮柊二には、中国の戦地での作品を中心にまとめた『山西省(さんしいしょう)』という歌集がありますが、この歌集の中に、次の一首が収められています。
掌(てのひら)の熱きいくつを握りしめ別れか去らむ数寄屋橋町(すきやばしちやう)
宮 柊二『山西省』

昭和14年10月、中国への出征を控えた柊二は、軍から一時帰休を許され、師の北原白秋(きたはら・はくしゅう)のもとを訪れます。その夜、所属する「多磨(たま)」の有志が壮行会を開いてくれたのが、数寄屋橋のビアホール「ニユートーキヨー」でした。会には十数人が集まり、白秋の息子の北原隆太郎(きたはら・りゅうたろう)と弟子の巽聖歌(たつみ・せいか)が、宴席の回りを木曽節(きそぶし)を歌いながら踊り始めると、皆がそれに唱和するなど、盛り上がりを見せたそうです。会のあと、柊二は参加者ひとりひとりと握手を交わしたとのことで、引用歌は、そのときのことを詠んだものと思われます。
友の熱い掌を握りしめ、別れを惜しんだ柊二の胸の内には、どんな思いが去来していたのでしょう。引用歌の結句には、「数寄屋橋町」という具体的な地名が詠み込まれています。戦地への旅立ちを控え、親しい友への思いや、短歌という文芸への思いを「数寄屋橋町」という地名とともに、深く心に刻んでいたのではないかと思います。
ちなみに、3年後の昭和17年2月の雪の日には、斎藤茂吉(さいとう・もきち)と佐藤佐太郎(さとう・さたろう)、山口茂吉(やまぐち・もきち)がこの店を訪れ、魚のすき焼きを食べたという記録も残っています。歌人たちが通ったこのビアホールは、近くのビルに移転し、今も営業を続けています。昭和の歌人たちが飲んだビールの味に、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

■『NHK短歌』2021年4月号より