* * *
「歌人、この一軒」というテーマで、歌人ゆかりの飲食店のエピソードと、毎月の歌題にちなんだ秀歌を紹介していきたいと思います。戦後の代表的歌人の一人である宮柊二には、中国の戦地での作品を中心にまとめた『山西省(さんしいしょう)』という歌集がありますが、この歌集の中に、次の一首が収められています。
掌(てのひら)の熱きいくつを握りしめ別れか去らむ数寄屋橋町(すきやばしちやう)
宮 柊二『山西省』
昭和14年10月、中国への出征を控えた柊二は、軍から一時帰休を許され、師の北原白秋(きたはら・はくしゅう)のもとを訪れます。その夜、所属する「多磨(たま)」の有志が壮行会を開いてくれたのが、数寄屋橋のビアホール「ニユートーキヨー」でした。会には十数人が集まり、白秋の息子の北原隆太郎(きたはら・りゅうたろう)と弟子の巽聖歌(たつみ・せいか)が、宴席の回りを木曽節(きそぶし)を歌いながら踊り始めると、皆がそれに唱和するなど、盛り上がりを見せたそうです。会のあと、柊二は参加者ひとりひとりと握手を交わしたとのことで、引用歌は、そのときのことを詠んだものと思われます。
ちなみに、3年後の昭和17年2月の雪の日には、斎藤茂吉(さいとう・もきち)と佐藤佐太郎(さとう・さたろう)、山口茂吉(やまぐち・もきち)がこの店を訪れ、魚のすき焼きを食べたという記録も残っています。歌人たちが通ったこのビアホールは、近くのビルに移転し、今も営業を続けています。昭和の歌人たちが飲んだビールの味に、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
■『NHK短歌』2021年4月号より