「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
vol.15:「Be-1、パオ、フィガロ」
1987年~
かつて、国産の1Lクラスのコンパクトカーは「予算のない若者や、初めて車に乗る人向け」の各自動車メーカーの廉価版であり、そこにはメーカーごとにヒエラルキーが存在していた。
例えばトヨタならクラウンを頂点に、マークII>コロナ>カローラ>スターレット、といった具合。「上司より上のクラスの車を買ったら睨まれる」といった漫画のようなことがリアルにあったのだ。
そんなヒエラルキーに一石を投じたのが、通称「パイクカー」と呼ばれる日産の車たちだ。本記事のタイトルの“答え”である。
■Be-1(1987年~)
ヒエラルキーの底辺たる1Lクラスのコンパクトカーでありながら世代を問わず絶大な人気をえ得た最初の車が、1981年に登場したホンダ「シティ」と言われている。
すると「シティ」に続くように日産が1985年の東京モーターショーで「Be-1」のコンセプトカーを発表。これが当時の若者に大いに受けたため、2年後の1987年に限定で1万台が販売されることが決まった。
ところが注文が殺到し、結局購入者を抽選で決めるという異例の事態に発展。以降、「パオ」と「フィガロ」が生まれるきっかけとなった。
また「Be-1」と「パオ」、「フィガロ」は、コンセプトが尖ったレトロ調な車であることを表すため、昔の歩兵が持っていた槍を指す「pike」を用いた「パイクカー(pike car)」と呼ばれるようになった。
「Be-1」のベースは、当時の日産車の最廉価版として1982年に登場した初代「マーチ」。
この車を使って「シティ」の対抗モデルを作ろうと、社内外のチームによるコンペが行われたのだが、そこで採用されたのが、服飾デザイナーの坂井直樹氏のいるチームの案だった。ちなみに彼は以後「コンセプター」として活躍することになる。
■パオ(1989年)
「Be-1」の大反響を受け、再び坂井氏が中心となって次なるパイクカーを発表する。それが「パオ」だ。
「Be-1」の、ミニのようなレトロなイギリス車という雰囲気とは異なり、「パオ」は砂漠を探検するような作りだけど、街中にピッタリなデザインが採用された。
今度は台数を限定せず、1989年1月から3カ月間限定で約5万台が販売された。
■フィガロ(1991年~)
さらに1991年にはパイクカーの第3弾として「フィガロ」が登場する。
この時は開発スタッフに多くの女性が加わったこともあり、先の2台とはまた違う、古いヨーロッパの街並みを優雅に走りそうなオープンカースタイルとなった。
こちらも限定車となり、2万台があっという間に完売した。しかしバブルの崩壊にともない、パイクカーシリーズはこの「フィガロ」で幕を閉じてしまった。
実は今、これらパイクカーの人気が、特に海外で高まっている。
いずれも全長4mにも満たない、小さくて愛くるしく、他人とは違うスタイルが約30年経った今も、国籍を問わず人々を惹きつけるようだ。
もちろん日本でも人気は高く、30年も前の車にも関わらず、中古車で最も高いものは「Be-1」なら約160万円、「パオ」は約180万円、「フィガロ」に至っては約360万円もする(編集部調べ)。
いずれも中古車の流通台数はかなり少ないが、確かに今見ても我々の心をくすぐる。当時のヒエラルキーを打破するパイクカーは、タイムレスな価値を持つ車だと言えるだろう。
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
“今”を手軽に楽しむのが中古。
籠島康弘=文