同団体は、Xを通じて「橋本友彦が2025年8月5日、午前7時55分、永眠いたしました。これまで応援してくださったすべての皆さま、心より感謝申し上げます。今後につきましては、追ってご報告いたしますが、まずはこのようなご報告をさせていただくことをお許しください」と訃報を伝えた。
橋本さんは、昨年2月に体調の異変を覚え、病院を受診したところ、肝臓に異常が見つかった。それでも、試合に出場していたが、精密検査の結果、同9月9日に肝臓がんステージ2と告知。しかし、念願だった藤田和之との一騎打ち(同10月13日、東京・新木場1stRING)が控えていたため、同大会に強行出場。過去の藤田とのシングルでの対戦成績は2戦2敗。雪辱を期した一戦は両者リングアウトの末、再試合となり無効試合となった。
同11月19日には、都内の病院でラジオ波焼灼術による治療を受けた。体調は万全ではなかったが、藤田とのシングルでの再戦を目標に、同12月に復帰。その後の定期検査でいったんはがんが消えたこともあった。
今年4月20日、東京・ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)での「A-TEAM旗揚げ8周年記念興行」ではタッグマッチながら、藤田との再戦が実現。橋本は石坂ブライアンと組み、橋本、ケンドー・カシン組と対戦し、STOで藤田からピンフォールを奪い、雪辱を果たした。試合後には藤田とシングルでのリマッチを約束し、固い握手を交わした。
そんな折、5月の定期検査の結果がかんばしくなかったため、同中旬に精密検査を受けたところ、肝臓の難しい部位にがんが再発していることが判明。主治医から、抗がん剤など西洋医学での治療は困難との宣告を受けた。別の病院を回ったが医師から伝えられた答えは同じだった。
その後治療に専念するべく、プロレス活動を休業する一方、6月22日の浦安大会には強行参戦し、区切りをつけた。8月24日には「橋本友彦AID大会」(新木場 1stRING)が開かれる予定となっていた。
橋本さんは、1977年8月16日生まれ、奈良県出身。JPWAでプロデビューし、DDTプロレスリングなどで活躍。また、PRIDEの登竜門的大会「THE BEST Vol.2」ではジャイアント落合、「INOKI BOM-BA-YE 2003」ではアリスター・オーフレイムと激闘を繰り広げた。2017年にプロレスリングA-TEAMを立ち上げ、エースを担ってきた。