報道陣の取材に応じた堺は「こんなことが起こるとは思わなかったので、みんなが混乱している状況」だといい、「電話かかってきたときには、相当重いものが頭から落っこちてきたような衝撃を受けました」と突然の別れに驚きと悲しみを明かした。
最後に会ったのは亡くなる1週間ほど前だそうで、あるレストランで偶然だったと話す。「ドアを開けたら座っていて、『おお堺!』っていう驚いた言い回しが今でも耳についています」と振り返り、「その時は全然元気です。彼は非常に張りのある人間でしたから弱みを見せるのもしない人間だったので、この世界でまだまだ元気でやってくれるんだろうなと思っていました」と語っていた。
川村会長の遺影には、2016年6月に千葉・浦安の三社祭にて撮影された写真が採用された。会場は白を基調としたシンプルかつスタイリッシュな設えに。祭壇は、ダリア・バラ・ユリ・胡蝶蘭を中心に用い、落ち着きの中にも華やかさを感じられる、洗練された雰囲気が重視された。
川村会長は1941年1月20日生まれ、東京都出身。市川高等学校の同級生である歌手・鹿内孝に誘われ芸能界入り。「鹿内タカシとブルー・コメッツ」のマネージャーとして活動を始め、後に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のマネージャーとして活躍。その後、田辺エージェンシー副社長、バーニングプロダクション取締役を兼任し、1993年に芸能事務所「ケイダッシュ」を設立した。