川村会長について、片岡は「すてきな笑顔で、いつも元気だったから信じられない」とし、「昔から歌舞伎が好きで、よく歌舞伎の話とかしてくださいました」と述懐。「先日も私の怪我のことをすごく心配してくださいまして。笑顔でお話してたんですけどね」と振り返り、「本当に信じられないです」と悔やんだ。
「長らくお世話になった」という藤原は、「6月にも舞台に足を運んでくださって」と最近の川村会長とのエピソードを振り返った。「本当に感謝しております」とし、「頑張っていきます」と涙を目にためながら天国の川村会長に伝えていた。
川村会長は1941年1月20日生まれ、東京都出身。市川高等学校の同級生である歌手・鹿内孝に誘われ芸能界入り。「鹿内タカシとブルー・コメッツ」のマネージャーとして活動を始め、後に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のマネージャーとして活躍。その後、田辺エージェンシー副社長、バーニングプロダクション取締役を兼任し、1993年に芸能事務所「ケイダッシュ」を設立した。
川村会長の遺影には、2016年6月に千葉・浦安の三社祭にて撮影された写真が採用された。会場は白を基調としたシンプルかつスタイリッシュな設えに。祭壇は、ダリア・バラ・ユリ・胡蝶蘭を中心に用い、落ち着きの中にも華やかさを感じられる、洗練された雰囲気が重視された。
川村会長は、俳優の渡辺謙の海外進出をバックアップし、プロレスラーのアントニオ猪木さんの支援者としても知られた。通夜の開始前には、猪木さんのテーマ曲「イノキボンバイエ」が参列者を出迎え、式中には川村会長が生前関わったミュージシャンの楽曲の一部や、川村会長が大好きだったフランク・シナトラやトニー・ベネットの楽曲が流れた。