財務省をはじめとする官僚組織への風当たりがこれだけ強くなっていることに気が付かないのだろうか。人事院の川本裕子総裁は民間出身のはずだが、霞が関住まいが長くなると、もはや民間の空気を読むことすらできなくなってしまったのか。
人事院は8月7日、2025年度の国家公務員の給与について、行政職で月給を1万5014円引き上げるよう勧告した。率にして3.62%。引き上げが3%を超えるのはバブル期の1991年以来の高率の引き上げである。
1991年はバブル末期で様々な矛盾が表面化し始めていたとはいえ、好景気の余韻が色濃く残っていた。ところが今は物価上昇に賃金が追いつかず、国民の多くが生活に困窮し始めている。貧富の格差が広がり、弱者に皺寄せが行って、その不満が蓄積しているのだ。7月の参議院選挙の結果を見れば、それは明らかだ。
にもかかわらず、国民から見れば「勝ち組」に見える国家公務員の給与を真っ先に大幅引き上げするという。自民党と結び付いた霞が関の官僚たちが、自分たちの利益を第一に考え、「役人天国」を再構築しようとしていると、国民の怒りを買うとは考えなかったのか。財務省解体デモなどどこ吹く風か。国民の減税は頑なに拒む一方、自分たちの給与は引き上げる。
国家財政も悪化を続け「国の借金」の増加は止まらない。
■比較対象の民間企業の規模を変えている
もちろん、公務員給与の引き上げは「民間並み」という“建前”がある。民間の給与が上がっているから、公務員も増やす、という理屈だ。
勧告では、人事院が「基準」とする民間企業の4月時点の月給水準を調査して決めるのだが、今年はここで姑息な細工を施した。比較対象の民間企業の規模を、従来の「従業員50人以上」から「100人以上」に変えたのだ。中央省庁の職員については、対象を「500人以上」の企業から「1000人以上」に変更した。霞が関の高級官僚の比較にする「大企業」の中から従業員500人以上1000人未満の会社を除けば、日本を代表するような優良企業が比較対象になり、当然、給与は上がる。
勧告通りに引き上げられれば、行政職の平均月給は42万9494円になり、定期昇給分を合わせた賃上げ幅は5.1%になるという。大幅な賃上げをするために、比較対象を変えたと言われても仕方がない話だ。さらに、ボーナスも、年間0.05カ月分引き上げて、4.65カ月分とした。
■国の財政赤字が膨らんでも自身の給与には関係がない
規模の大きな優良企業の給与が高いのは、当然、利益を上げているからだ。
ところが、国家公務員は基本的に降格がないので定年まで給与が増え続ける。また、国の財政赤字がいくら膨らんでも給与やボーナスのカットはない。民間企業なら黒字を出すために頑張って働くというインセンティブが機能するが、国家公務員はいくら財政赤字が膨らんでも自身の給与には関係がない。予算を大盤振る舞いして、赤字になっても関係ないのだ。逆に、財政赤字を減らそうと予算執行を厳格化して支出を減らしても何ら評価されることはない。予算を十分に執行できなかったと批判されることはあっても、褒められないのだ。つまり、財政再建に向けたインセンティブがないのである。
■赤字垂れ流しの組織になっている
一方、国にとって「収入(歳入)」を手っ取り早く増やす方法は、増税である。財務省官僚が必死に増税方法を考えるのは、収入を増やす道筋を付ければ官僚として高く評価されるからに他ならない。
財務省が発表する「国債及び借入金並びに政府保証債務の現在高」いわゆる「国の借金」のデータによると、川本総裁が就任する直前の2021年3月末時点で国債の残高は1000兆円を超え、「国の借金」は1200兆円を突破していた。コロナ対策に巨額の国家資金を投じたこともあり、財政赤字が一気に膨らんだためだ。それから4年。コロナ下という緊急事態は遠のいたにもかかわらず、財政赤字は膨らみ続け、「国の借金」は2025年3月末で1300兆円を突破した。
この間、税収は過去最高をバブル期以来、更新して税収は増えているにもかかわらず、政策的経費を税収内にとどめるプライマリーバランス(PB)は一向に実現できていない。借金返済分を外したPBですら黒字化できていない赤字垂れ流しの組織になっている。就任以降、すでに100兆円も借金を増やしているにもかかわらず、またここへ来て国家公務員の給与を大幅に増やすという川本総裁の見識を疑う。
■「給与の安さ」だけが霞が関離れの原因ではない
今回の大幅な賃金引き上げの大義名分は、公務員離れに対抗して優秀な人材を獲得するため、である。かつては霞が関の官僚が指定席だった東京大学法学部卒の人材の多くが外資系コンサルティングファームや外資系金融機関などに流れているのは事実だ。民間で好業績を上げている超大企業並みの給与を払わなければ、公務員になってくれない、という切実な思いがあるようだ。
逆に言えば、給与を上げたからといって超大企業を目指しているような人材が、霞が関に来るのだろうか。
また、川本総裁になって「働き方改革」に力を入れ残業時間の圧縮などを勧告してきたが、優秀な人材は「忙しい職場」を忌避しているのだろうか。
今から40年前の霞が関は、安月給で勤務時間が長いことで知られていたが、それでも優秀な人材が集まっていた。国家の命運を左右するような政策立案を担いたいという強い意思を持った人材が霞が関に多くいた。
■景気が回復してから給与を引き上げればよい
今の霞が関は、定年の延長などもあり、課長補佐や課長に昇格するのに時間がかかる。若手は雑用ばかりで大きな仕事を任されることが減った。降格人事が基本的にないために、働かない出来の悪い上司がいると、無駄な仕事ばかりが降ってくる。外資系コンサルに行った同級生は、大企業の大型プロジェクトのコンサルをひとりで任され、連日深夜までイキイキと働いている。だから数年で霞が関を去って民間に移っていくのだ。彼らが一義的に不満なのは給与水準ではない。
もちろん、国家公務員の給与が上がっていくこと自体に反対しているわけではない。
■国家財政の立て直しが評価につながる仕組みが必要
民間でも中小企業はまだまだ経営が安泰とは言えず、中小企業の従業員の給与はなかなか上昇しない。そんな中で、大企業が上がったからといって真っ先に国家公務員の給与を上げていては、多くの国民は霞が関に対する信頼を失ってしまう。要は順序の問題だ。
まずは国の予算の使い方を見直し、国家財政を立て直すことが官僚たちの評価につながるような、つまり、無駄遣いを排除することが課長の評価になるようなインセンティブを与える仕組みを作ることが第一歩だ。
現状では、赤字を垂れ流してでも、どんどん予算を膨らませれば、官僚としての権限も大きくなるし、族議員もばらまきができる原資が増える。つまり、ダメ官僚とダメ政治家の利益は一致しているのだ。この仕組みを変えない限り、財政はどんどん悪化する。そして公務員給与だけは上がり続けるのだろう。
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磯山 友幸(いそやま・ともゆき)
経済ジャーナリスト
千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。
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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)