■大会途中の「辞退」という異例の結果に
第107回全国高校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園に出場中の広島県代表・広陵高校をめぐり、議論が沸騰している。
広陵高校は、8月6日付で「令和7年1月に本校で発生した不適切事案について」という「重要なお知らせ」をウェブサイトに明らかにした。SNS上では、7月末ごろから「被害生徒」の保護者を名乗るアカウントが、この事案についてポストを続けていた。
広陵高校によれば、今年1月、同校の寄宿舎の部屋で、2年生部員4名から1年生部員1名(学年はいずれも当時)に対して別々に、胸を叩いたり、頬を叩いたりといった暴行を加えた。後日、加害生徒4名は謝罪したものの、被害生徒は3月末に転校している。
同校は、広島県高野連に報告し、日本高野連会長名による厳重注意を受け、加害生徒は1カ月の対外試合出場禁止処分となった。
広陵高校の「重要なお知らせ」でも触れられているように、被害生徒の保護者が「学校が確認した事実関係に誤りがある」と指摘しており、SNS上では、いかにひどい暴行だったのか、非難が続いている。
その結果、広陵高校は甲子園2回戦からの出場を辞退することになった。なぜ、最初から出場を辞退しなかったのか。なぜ、日本高野連は広陵高校の出場を禁止しなかったのか。
同校の校長が、広島県高野連の副会長を務めていることから、処分に忖度があったのではないか、とも取り沙汰されている。
ただ、ここでは、広陵高校を糾弾したり、あるいは逆に、加害していない部員は悪くないと庇ったりするのではなく、日本高野連の対応の理由を考えなければならない。
■なぜタバコはNGなのに、暴力はOKなのか
私をふくめて、多くの人が疑問を抱いているのは、処分の「基準」である。広陵高校の事案は、部員が、それも複数で、学校施設(寄宿舎)で起きている以上、硬式野球部の活動のなかでの暴力といえよう。それなのに、なぜ、部全体に処分が及ばないのか。
いわゆる「不祥事」への対応としては、高野連による「対外試合禁止」と、当該高校による「出場辞退」の2つがある。今回の広陵高校に当てはめれば、日本高野連は野球部全体へは「対外試合禁止」ではなく「厳重注意」をおこない、加害生徒のみを「対外試合出場禁止」にしている。かたや同校は、今年3月時点では、「出場辞退」はしなかった。
スポニチアネックスがまとめた「学生野球の不祥事」によれば、たとえば、今年3月に群馬県の常磐高校が、部員の喫煙で1カ月の「対外試合禁止」処分を受けている。喫煙はNGなのに、暴力は認められるのか。そんな疑念が生じるのは当然だろう。
■今年、「高野連の対応」が大きく変わっていた
実際、日本高野連の対応は、これまで大きく揺れてきた。村上信夫・矢口彩香両氏による共著論文(「スポーツにおける不祥事報道に関する一考察:高校野球の不祥事報道をてがかりにして」)によれば、高校野球における責任の取り方では「連帯責任」が見られてきたが、1979~1983年にかけて「連帯責任のくくりが野球部単位へと縮小する」(同論文135ページ)。
それまでは、野球部以外の同じ高校の生徒による事件でさえ、「対外試合禁止」などの「連帯責任」が課されてきたものの、会長の交代等により変化したのである。重要なのは、竹村直樹氏が指摘するように「実際には、処分の決定は審査室にありながらも、日本高野連による判断に委ねられている」点である(竹村直樹「高校野球における処分規約と運用の変遷 連帯責任を伴う処分が維持される背景」『スポーツ社会学研究』26-2、2018年、72ページ)。
どんな事案(喫煙、飲酒、暴力)で、いかなる処分(対外試合禁止、謹慎)を下すのか。高野連は、ポジティブに見れば臨機応変であり、ネガティブに言えば行き当たりばったりだったのである。
そんな場当たり的な状況が、大きく変わったのが今年だった。まさに、広陵高校が広島県高野連に事案についての報告書を提出した2月14日の直後、25日だった。
■「処分基準」を初めて明確化にしたが…
日本高野連の上部組織・日本学生野球協会(以下、「協会」)は、今年2月、ウェブサイトで、「日本学生野球憲章違反行為に関する処分基準」(以下、「処分基準」)を公表する。裏を返せば、それまで基準がなかったのである。「これまでは過去の事案の集積に基づき先例に従い適正な処分等を実施してきました」と同協会は述べているものの、前例踏襲とも言い切れず、かといって、明確な目印もなかったのである。
今回初めて、その基準を具体化し、「対外試合禁止」は、違反行為に関係した部員が「10人以上または部員早々の50パーセント以上」を判断基準とした(「部員の憲章違反行為と野球部への措置の運用内規」)。
たしかに、この基準に照らせば広陵高校の「不適切事案」は、部員数が4名以上であるものの、10名には達していないため、「注意・厳重注意」に当てはまる。何より、この「処分基準」は今年4月1日以降に適用されるため、広陵高校に対しては、「過去の事案の集積」に基づいた処分だった。
では、先に述べた「先例に従い適正な処分」とは、何だったのか。
■「教育的配慮」という謎ルール
「協会」は、その原則を「平等原則と比例原則」だったとしている。前者は前例踏襲であり、後者は事案の軽重を重視する姿勢だった。その上で、「教育機関において教育を受ける対象である生徒・学生の憲章違反行為と日本学生野球協会としての制裁の必要性」という項目で、「教育的配慮が求められます」と記載している。
この「教育的配慮」こそ、これまでの処分の基準であり、今回の「処分基準」の根幹をなしている。そして、日本高野連関係者以外には、なかなか理解しがたくなっている要因なのではないか。
「処分基準」は、生徒・学生の行為が、法、条例および学校等の規則違反となる場合について、次のように明記している。
全てを(日本学生野球)憲章違反行為として日本学生野球協会が制裁を科さないで、学校等の規則に照らした指導または制裁による更生や、家庭での教育に任せる運用をすることが相当と評価されます。前項と同様の教育的配慮に基づき、一次的には、教育機関の判断に委ね、憲章違反としての制裁を謙抑的に運用することが相当です(強調は引用者による。「処分基準」5ページ)
■「美名」のもとに、責任を放棄している
初めて基準を明確にしたにもかかわらず、「協会」は反対に、学校や家庭に「任せる」との美名のもとに、みずからの責任を放棄しているのではないか。ここでの名目が「教育的配慮」であり、「謙抑的」すなわち、謙(へりくだ)り、抑えた、運用である。
「平等原則と比例原則」を終えたかと思いきや、今度は、「教育的配慮」を全面に押し出し、処分は「謙抑的」(控え目)にしなければならない、という。
そしてなぜ、日本高野連や「協会」は、ここまで「教育的配慮」を重視するのだろうか。
■「教育」というタテマエ
甲子園は、教育というタテマエに無理がある、と、しばしば批判される。たとえば、ジャーナリストの小林信也氏は、次のように疑義を呈している。
高校野球の指導者たちは、「甲子園」を印籠代わりにして、「チームのため」とか「教育的意義」を語るけれど、結局、監督自身が「勝ちたい」「名声を得たい」その欲求を満たす目的が勝っているのではないか(小林信也「「野球は二〇歳になってから⁉」 私が真剣に高校野球改革を叫ぶ理由」玉木正之・小林信也編『真夏の甲子園はいらない 問題だらけの高校野球』岩波ブックレットNo.1077、岩波書店、2023年)
この小林氏による「甲子園廃止論」について、ライターの中野慧氏は、労作『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)で、「まだまだ優しいところがある」と述べており、「甲子園」の問題点は枚挙に暇がない。
そうした数々の課題を論じる前に、今回の広陵高校の事案の、そして、「処分基準」の根本となっている「教育的配慮」について注目しなければならないのではないか。なぜなら、この「教育的配慮」は、2010年の「日本学生野球憲章」(以下、「憲章」)の全面的な見直しで打ち出された、新しい視点だからである。
■「教育を受ける権利」のためなら、甘い処分でいいのか
この「憲章」は、79年前の昭和21年(1946年)に制定され、6回の改正を経ている。2010年には、その前文を大きく書き換え、「国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる」と明記した。
オリックス、楽天などプロ野球チームでのトレーナー活動をしてきた金崎泰英氏は、新潟大学大学院現代社会文化研究科に提出した博士学位論文で、この改訂について、「学生野球の健全な発展へと結び付くとも言えよう(※1)」と前向きに評価している。
しかし、本当にそうだろうか。「教育を受ける権利」を実現する教育の一環だから、たとえ違反行為があったとしても、処分は「謙抑的」という、その理屈は、どこまで通じるのだろうか。
『学生野球憲章とはなにか 自治から見る日本野球史』(青弓社ライブラリー65、2010年)で中村哲也氏がたどっているように、この「憲章」の歴史そのものが、戦前から戦中、そして戦後の日本社会を色濃く反映している。
■「日本学生野球憲章」の異質さ
何より、たとえば、サッカーやバレーボールといった他の競技には、この「憲章」と同じものはない。管見の限りでは、関東学生陸上競技連盟義連盟の「学生競技者憲章」が目にとまったものの、「教育」の文字は見当たらない。
それほどまでに異質というか、異例の「憲章」に基づく「処分」が、今回の広陵高校に科されたものなのだから、納得しがたいのは当然なのである。何より、「教育的配慮」や「教育の一環」であるならば、なおさら、暴力に対しては厳罰で臨まなければならない。
それなのに、教育をタテマエに、うやむやにやり過ごそうとする。そんな日本高野連にこそ、コンプライアンスやアカウンタビリティーについての「教育」が必要なのではないか。
参考文献
※1:「学生野球創生期から現代にいたるまでの行動規範の検討:学生野球憲章の制定・改正の歴史的経緯を辿って」2015年3月、新潟大学大学院 現代社会文化研究科
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)