この10月より、全都道府県の最低賃金が時給1000円を超え、全国平均は1118円となる予定だ。しかし、ジャーナリストの溝上憲文さんは「物価の高さと最賃の乖離の大きい地域が日本全国いたるところにある」という――。

■なぜ茨城県取手市の住民は“2駅先”の千葉県我孫子市で働くのか
この10月から引き上げられる都道府県の最低賃金(以下、最賃)の基準となる中央最低賃金審議会の「目安」が8月4日に示された。
2024年度の全国平均は51円アップの1055円(前年度比5.1%増)だったが、今年は63円アップの1118円(6.0%増)となり、63円は1978年以降、最高額となった。
目安額は最低賃金が高い都市部の6県のAランク、中位のBランク、低いCランクの3つに分けられ、AとBランクが63円、Cランクが64円の引き上げとなっている。ちなみにAランクの東京などは以下の引き上げとなる。
東京 1163円→1226円

神奈川 1162円→1225円

大阪 1114円→1177円

埼玉 1078円→1141円

愛知 1077円→1140円

千葉 1076円→1139円

この目安をもとに都道府県の最低賃金審議会で議論し、最終的な引き上げ額が決定する。昨年は徳島県が目安の50円を大幅に上回る84円に引き上げるなど、計27県が目安を上回っただけに、今年もさらなる上乗せが予想される。
とくに昨今は隣県に人材を奪われるとの危機感から上乗せする県も増えている。すでに茨城県は6月25日、国の目安額に5~7円を独自に上乗せする共通目標を設定することで経済団体と労働団体と合意している。
茨城県と隣接する千葉県はJR常磐線で接続している。たとえば茨城県取手市の住民が時給の高い千葉県我孫子市でバイトをする人も少なくないといわれる(取手駅から常磐線快速で2駅先が我孫子駅)。茨城県の最賃は目安額通りだと1068円になるが、それでも千葉県とは71円の開きがある。平日8時間勤務なら1日+568円、月1万円強、年12万円以上も収入を増やすことができる。

こうした地域ギャップを少しでも縮めようとする動きは他の県でも出てくるだろう。
実際に東京都と神奈川県に接している山梨県の経済団体の幹部は「山梨は大企業が少なく、中小企業が多い。学校を卒業すると東京や神奈川に就職する人も多く、東京の大学に進学した学生は卒業しても山梨に戻ってこない。賃金が低いことも原因の一つだが、最賃の差も大きい」と語る。山梨の最賃は目安通りだと1051円。東京と神奈川とは170円強という大きな開きがある。
■もっと最賃が上がってもよい県
実は今年の全国平均63円アップ(前年度比6.0%増)の根拠から推測すると、もっと最賃が上がってもよいと思われる県もある。
最低賃金法第9条2項では、地域別最賃は、
① 労働者の生計費

② 世間一般の賃金水準

③ 企業の支払い能力

の3要素を考慮して定めることになっている。もちろん個々の要素について公益委員、労働者側委員、使用者側委員の3者の間で審議するが、今年は石破茂政権が掲げる「2020年代に全国平均1500円の実現」の目標にこだわる政府の意向が強く働いたとされる。1500円にするには年平均7.3%の大幅な引き上げが必要になる。
ただし、数字の根拠は乏しい。②の賃金水準では労働組合の中央組織の連合の春闘の最終結果は5.25%だったが、それでも目標に届かない。

重視されたのが①の生計費であり、中でも物価高を踏まえた消費者物価指数だった。昨年の最賃改定の10月から2025年6月までの平均は3.9%(持家の帰属家賃を除く総合)であるが、そのうち総合指数を構成する「食料」の平均6.4%が注目された。
中央最低賃金審議会も以下のような見解を述べている。
「最低賃金に近い賃金水準の労働者の生活に密接に関連する『食料』について見ると、2024(令和6)年10月から2025(令和7)年6月までの期間は平均6.4%で、前年同期の2023(令和5)年10月から2024(令和6)年6月までの平均5.5%に続き、高い水準となっている」
「(最終的に)これらを総合的に勘案し、昨(2024)年度に引き続き、消費者物価の上昇が続いていることから労働者の生計費を重視」

令和7年度地域別最低賃金額改定の目安に関する公益委員見解:2025年8月4日)。

その上で今後本格化する都道府県最低賃金審議会に対して「今年度の目安額は、最低賃金が消費者物価を一定程度上回る水準である必要があることや、賃金上昇率が増加傾向にあること、地域間格差の是正を引き続き諮ること等を特に考慮して検討されたものであることにもご配意いただきたい」と要望している(同上)。
つまり、目安額の6.0%増の決定要因となった消費者物価指数や、その中の「食料」に着目して決めてほしいとも受け取れる。実はその観点からすると、都道府県の最賃はアンバランスな状況にある。
総務省の「消費者物価地域差指数」(2024年)によると、消費者物価指数(家賃を除く総合)のトップ、つまり物価が最も高いのは北海道であり、2位に神奈川県、3位に東京都と続く。4位以下は、4位山形県、5位沖縄県、6位京都府、7位千葉県、8位宮城県、9位高知県、10位岩手県。
また「食料」に関しては以下の順位となる。
1位沖縄県、2位東京都、3位福井県・島根県、5位鳥取県、6位北海道、7位神奈川県・石川県・熊本県、10位山口県
最賃トップランクの東京都と神奈川県は、物価ランキングも上位で数字のバランスに違和感はない。
しかし、北海道の最賃1073円は全国13位であり、物価との乖離が大きい。
さらに引き上げる余地は十分にある。
■食料品の物価が日本一高いのに、最低賃金が最下位級の県
驚くのは物価総合5位、食料1位の沖縄県の最賃は全国最下位グループの1016円であることだ。
今年の最賃の基準に照らせば当然引き上げるべきだろう。
そのほかにも総合4位の山形県は、食料でも11位だが、最賃は最下位グループの1019円。
宮城県の最賃も全国30位の1036円であり、福井(1047円)、石川(1047円)、高知(1016円)、島根(1025円)、鳥取(1021円)、山口(1042円)、熊本(1016円)も物価ランクよりも低い水準となっている。以上の県以外に物価水準と乖離した最賃となっているところも多い。
ちなみに前述の茨城県が6月25日に最賃引き上げで労使合意した根拠が「経済実態を示す総合指数は全国9位だが、最低賃金の全国9位相当額(1040円)と35円の差がある」からとされている(『朝日新聞デジタル』6月26日)。
今年の中央最低賃金審議会の基準に照らせば最賃を引き上げるべき県は多い。最賃近くで働く労働者は700万人いる。その中には、学生バイトや女性パート、中小企業の社員だけではなく、60歳定年後に再雇用されている大企業の社員も一部含まれている。最賃引き上げの帰趨は多くの働く人の生活に直結する。
中央最低賃金審議会が示した目安額によって、昨年まで1000円以下だった31県が1000円を超えることになった。

しかしそれでも諸外国に比べて日本はまだ低い水準にある。ドイツの最低賃金委員会は今年6月27日、最賃の時給を2026年と27年の2段階で、それぞれ13.90ユーロ(2386円)と14.60ユーロ(2506円)に引き上げるように連邦政府に勧告した。
韓国の最低賃金委員会も同7月10日、2026年1月から適用される最賃を時給1万320ウォンとすることを決定した。日本円にすれば約1100円で、日本の今回の全国平均1118円を下回るが、韓国の場合は全国一律の最賃だ。
それに引き換えわが国ではその1100円を下回るのは39道県もある。“安いニッポン”と言われて久しいが、最賃の引き上げによって日本の“安い給料”を少しでも底上げすることが期待されている。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)

人事ジャーナリスト

1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。

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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)
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