ソ連海軍の誇りとして、1985年に進水したアドミラル・クズネツォフ。現在ロシアが保有する唯一の空母だが、度重なる事故と修理費の高騰、そしてウクライナ戦争の影響により、改修を断念した模様だと海外の複数のメディアが報道。
「恥の船」とまで呼ばれた40年の歴史を経て、ロシアは最後の空母を手放そうとしている――。
■ソ連が建造した最後の一艦、栄光からの転落
1985年、ソ連が超大国としての最後の威信をかけて建造した巨艦があった。全長300メートル、排水量5万9000トンのアドミラル・クズネツォフだ。
アメリカの空母機動部隊に対抗する算段のもと、26機の固定翼機と24機のヘリコプターを搭載可能な空母として1991年に就役。ソ連を真の海洋国家に押し上げる切り札として期待された。現在ではロシアが保有する最後の空母となっており、独立系ロシアメディアのメドゥーザは、ソ連が建造した7隻の空母のうち最後まで残った艦だと伝えている。
だが、現在では改修を断念し、退役へ向かっているとの報道が出ている。その軌跡はまさに、栄光からロシアの恥への転落の歴史でもあった。
2016年秋、地中海に展開したクズネツォフの艦載機が、シリアのアサド政権を支援する軍事作戦に参加した。ロイターによると艦載機は、シリア反政府勢力を空爆。1991年のソ連崩壊以来、ロシア空母が実戦に投入された初の事例となった。
■相次ぐ着艦失敗で実用上の問題が露呈
メドゥーザによると艦載機の出撃は400回以上に及んでおり、遠洋で軍事作戦を展開できる能力がまだロシアにあることを国際社会に示す上で、絶好の機会となるはずだった。

だが、華々しい活躍が期待されたのとは正反対に、クズネツォフは次々と深刻な問題を露呈する。まず、英タイムズ紙は、クズネツォフの推進システムが慢性的な故障に悩まされており、地中海への航海ではタグボートの随伴を要したと指摘。機関部の不調を理由として空母がタグボートに頼るという、屈辱的な事態となった。
タグボートの随伴は、不祥事の幕開けに過ぎなかった。作戦開始から間もなく、最初の事故が発生した。MiG-29K戦闘機が着艦に失敗し、地中海に墜落。パイロットは救助されたが、ロシアは最新鋭機を失った。数日後、今度はSu-33戦闘機が同じく、着艦の失敗で墜落した。
軍事専門メディアのナショナル・セキュリティー・ジャーナルは、わずか12機の艦載戦闘爆撃機のうち相次いで2機を失ったことで、シリアでの作戦遂行能力に深刻な影響を与えたと分析。事故率の高さが露呈したことで、ロシア海軍は航空隊を陸上基地に移す措置を余儀なくされた。
■世界の笑い者となった「恥の船」
華々しい成果を期待されたクズネツォフは、こうしてシリア作戦で何ら顕著な実績を残さないまま帰還する。ロシアへ戻るその道のりでさえ、恥の上塗りであった。

2017年、シリア作戦を終えて地中海から帰還するため、イギリス沿岸を航行するクズネツォフ。もうもうと黒煙を吐き出す姿が報じられると、イギリスだけでなく世界から嘲笑の的となった。ロイター通信によると、イギリスのマイケル・ファロン国防相(当時)は、クズネツォフを「恥の船(ship of shame)」と呼んだ。かつてソ連海軍の威信を体現するはずだった巨艦は、今や物笑いの種と化していた。
米海軍分析センターのドミトリー・ゴレンバーグ上級研究員は、米ビジネス・インサイダーの取材に応じ、老朽化した推進システムが原因だとの見方を示している。「この艦の主な問題は、非常に問題の多い推進システムを抱えていることなのです。単純に言って、信頼性がない」。クズネツォフは8基のターボ加圧ボイラーで推進されているが、30年以上前に搭載されたこれら旧式のシステムが、2017年当時すでに多くの問題を引き起こしていたという。
当時のインターネットでは、空母への容赦ない悪評が駆け巡った。メドゥーザは、絶え間なく吐き出される黒煙を重度の喫煙に重ね、「チェーンスモーキング空母」とのミーム(ジョーク画像)が生まれたと振り返る。
アメリカの軍事専門誌は、クズネツォフを「世界最悪の空母リスト」に挙げた。この頃までにはすでに、軍艦としての威厳はもはやなかった。
ナショナル・セキュリティー・ジャーナルは、「世界で最も悲しい空母」だったと語る。
■デッキに5mの大穴が開き、トイレの半分は使えない
翌2018年の10月、クズネツォフをさらに重大な事故が襲う。
ロシア東部、フィンランド国境付近ムルマンスクの第35修理工場で定期修理を受けていたクズネツォフ。米CNNによると、ロシア最大の浮きドックPD-50に係留されており、これは全長330メートル、重量8万トン以上の規模のドックだった。しかしその日、PD-50が意図に反して水面下へと沈下を始めた。
タイムズ紙によると、沈みゆくドックの上で、2基の巨大なクレーンが傾き始めた。そのうちの1基、重さ70トンのクレーンが支えを失って倒壊。クズネツォフの飛行甲板に激突した。当時CNNは、4m×5mの大穴を開けたと報じている。もう1基のクレーンも海中に没した。
米軍事サイトのウォー・ゾーンによると、新しいドックの完成は2022年まで待たなければならなかった。4年間、クズネツォフは適切な修理施設もないまま係留されることになった。

修理のままならない艦内は、ひどい有様であった。設計上欠陥だらけの配管システムの影響で、冬になると艦内の水道管が凍結する。そこでパイプの破裂を防ぐため、ほとんどの船室への給水が止められるのだ。テレグラフ紙は2016年の記事で、全トイレのおよそ半数で給水が滞り、使用できないほどの状態に陥ると伝えている。
英海軍関係者の証言も生々しい。同紙によると、ある英海軍筋は「過去10年ほどの間にロシア艦艇に乗船した人がいるが、いつもちょっとしたショックを受ける」と明かした。「艦内の状態はかなり不潔だ。彼らの艦艇は外見こそ立派かもしれないが、内部は相当にひどい」
■火災で作業員2人死亡の悲劇
ドック沈没から1年後の2019年、クズネツォフに新たな悲劇が起きた。2016年の地中海派遣から4年連続で、毎年何らかの不祥事を起こしている形だ。
2019年12月、ムルマンスクの施設で整備中だったクズネツォフ艦内で、大規模な火災が発生。モスクワ・タイムズによると、第一動力区画での溶接作業中に引火した炎は、瞬く間に600平方メートルに広がった。この火災で2人が死亡、14人が負傷した。

タイムズ紙は、犠牲者の1人は契約作業員だったと報じている。負傷者も相次ぎ、重度の火傷を負った作業員や、一酸化炭素中毒で集中治療室に運ばれた者もいた。火災は12時間以上燃え続け、消火活動には400人以上の消防士が動員された。
被害は甚大だった。モスクワ・タイムズによると、エンジンや発電機、配電盤などの重要機器が深刻な被害を受けた。前年のドック沈没で損傷していたクズネツォフは、かえってさらなる修理を要する状態に。当初200億ルーブル(現在のレートで約370億円)と見積もられていた修理費用は、この時点で3倍の600億ルーブル(約1100億円)まで跳ね上がった。
クズネツォフはこれだけでなく、度々問題を起こしている。タイムズ紙によると、2009年にはアイルランド南部沖で推定1000トンの重油が流出する事故を起こしていた。ウォー・ゾーンは、2022年にも別の火災が発生したと報じている。
■ついに乗組員たちは空母を去った
ロシアとしては老朽化した艦体を修繕し、あくまで運用を続ける腹づもりだった。だが、2017年に始まった改修は、8年経った現在も完了の兆しが見えない。

ウォー・ゾーンによると、当初2021年の完了を目指していた改修は、2023年、さらに2024年へと延期された。事故が続いたことに加え、資金不足と技術的困難が重なった。
2021年初頭頃になると、もはや修理が停滞している事実が覆い隠せなくなってくる。衛星写真の分析から、過去12カ月間で作業がほとんど進んでいないことが、諸外国の目にも明らかになったのだ。
そして2024年9月、ロシアのプーチン大統領がもはやクズネツォフを見限ったと示唆する、大きな動きがあった。クズネツォフを常に活動の場としていた乗組員たちが、ウクライナの前線送りとなったのだ。
ナショナル・セキュリティー・ジャーナルによると、空母は運用に1500人から2000人の乗組員を必要とする。空母専門の技術を磨いてきた彼らは、ついに海ではなく、勝手の知れぬ陸の戦場へ送られることとなった。
同誌はこの配置転換をもって、クズネツォフに事実上の「死刑宣告」が出されたと分析している。熟練の乗組員たちを喪失したクズネツォフに、将来の道は完全に断たれた。
■造船会社トップ「売却か廃棄処分になるだろう」
関係者でさえ、修理の費用対効果に疑念を呈している。ロイターによると今年7月、ロシア国営造船会社のアンドレイ・コスチン会長は、新型原子力潜水艦の進水式で記者団に「もう(クズネツォフの)修理を続ける意味はないと考えている。40年以上経過しており、(修理費用は)極めて高額だ」と明言した。
モスクワ・タイムズによると、海軍司令部と国営造船会社が運用復帰の実現可能性について協議しているが、修理作業は事実上中断されている。
ウクライナ戦争に人員や資金を大きく割かなければならないことも、修理断念の一因となった。皮肉なことにクズネツォフは、そのウクライナのミコライウで建造された経緯がある。ミコライウは当時、ソ連領であった。
ウクライナ戦争が始まったことで、財政上の優先順位は一変。元ロシア海軍少将のミハイル・チェクマソフ氏は、モスクワ・タイムズに、明らかにウクライナ戦争が影響したと漏らしている。「資金調達が大きな問題になっている。特にウクライナでの特別軍事作戦が続いている現在は」。前線に莫大な資金が必要とされる中、動かない空母への投資は、もはや正当化できない。
修理を断念し、仮に新しい空母を建造するならば、どれほどの費用がかかるのか。メドゥーザによると、各国の空母の建造費は次のようになる。インドのINSヴィクラントは約31億ドル(約4600億円)、イギリスのHMSクイーン・エリザベスは約40億ドル(約5900億円)、アメリカの最新鋭空母USSジェラルド・R・フォードは130億ドル(約1兆9000億円)以上。いずれもロシアの地方予算に匹敵する規模だ。修理は進まず、新造も容易でないという板挟みが続いていた。
■常任理事国で空母なしはロシアだけ
クズネツォフが廃艦に追い込まれた場合、ロシアにとって何を意味するのか。
まず失われるのは、遠洋での作戦能力だ。地上基地からの航空機の行動半径には限界がある。シリアのような遠隔地で軍事作戦を行う際、空母は移動する航空基地として重要な役割を担う。
国際的な地位の低下も避けられない。タイムズ紙によると、クズネツォフが廃棄されれば、ロシアは今年7月時点で、安保理常任理事国で唯一空母を持たない国となる。アメリカは11隻、中国は2隻(3隻目が建造中)の空母を保有し、イギリスは2隻、フランスは1隻の空母を運用している。
さらに痛手となるのが、中国との格差だ。ナショナル・セキュリティー・ジャーナルによると、クズネツォフの姉妹艦である「遼寧」は、3隻目を建造中の中国海軍において、現役艦として問題なく運用されている。一方ロシアは新造はおろか、今ある空母すら維持できていない。
■水面下で進む無視できない動き
老朽した空母を見限ることは、ロシア海軍の衰退を意味するのか。実は水面下で、無視できない別の動きがある。
2013年から2025年にかけて、ロシアは太平洋艦隊に新型潜水艦を13隻導入した。外交専門誌の米フォーリン・ポリシーによると、このうち5隻は最新鋭のボレイ級原子力潜水艦だ。今年7月、プーチン氏は北極圏のセヴェロドヴィンスクで行われた新型潜水艦の就役式で、潜水艦戦力の拡充を「極めて重要」と強調し、さらに4隻のボレイ級の建造を命じた。
元太平洋艦隊司令官のセルゲイ・アヴァキャンツ提督は、モスクワ・タイムズに語った。「空母は巨大かつ高価な構造物であり、数分のうちに現代兵器に破壊される」。空母に代わり、「未来はロボットシステムと無人航空機にある」と断言した。
このような戦略の転換には、他国による成功例がある。フォーリン・ポリシー誌は、2度の世界大戦におけるドイツ海軍の行動を例に挙げる。イギリス艦隊に対抗できなかったドイツ軍は、潜水艦による通商破壊戦(海運を妨害し人や商品の往来を妨げる行為)に切り替え、大きな打撃を与えた。
■空母時代が終わり、無人機の時代へ
同様に現代のロシアも、アメリカの空母戦闘群に正面から対抗する路線から転換し、ステルス性の高い潜水艦による非対称戦略を取ろうとしている。西側諸国は対応を急ぐ。イギリスは現在の9隻から12隻へ潜水艦を増強すると発表。ドイツとノルウェーは共同で6隻の新型潜水艦を発注した。
空母の時代は終わりつつあるのかもしれない。ナショナル・インタレスト誌は、アメリカの空母はイエメンのフーシ派相手にさえ苦戦し、中国のA2/AD網(空母などの接近自体を阻むための、無人機を含む複合システム)を前にして無力だと分析している。探知が困難な潜水艦は、洋上を進む空母よりはるかに有利な一面がある。
日本にとっても、ロシアの戦術の変化は新たな安全保障の課題となりかねない。神出鬼没、静かに接近する潜水艦は、目に見える空母とは別種の警戒が必要だ。クズネツォフが退役を迎えようとも、必ずしも安堵できない現状がある。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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