■「ジェンダーロール」の違和感
2024年6月、電車に乗っていつものようにドア横の広告を確認すると、濃い水色の二つの画面が目にとまりました。
目立つ赤い文字で商品名の「リポビタンD」、白い文字でお馴染みのキャッチフレーズ「ファイト イッパーツ!」、女性(木南晴夏)が写っている方には「仕事、育児、家事。3人自分が欲しくないですか?」、男性(妻夫木聡)が写っている方には「時代が変わると疲れも変わりますからね。」と、それぞれ広告を見る人へ呼びかけるコピーが書かれています(図表1)。
広告全体の配色や画面のデザインが、ずいぶん前に見たリポビタンDの広告に重なって懐かしさを感じつつ、筆者はそれぞれの広告を撮影して、「ジェンダーロール」とコメントとともにX(旧Twitter)に投稿しました。
ほどなくしてその投稿にリポスト、引用リポスト、リプライがたくさんついて、バズった状態になりました。反応の多くは、広告の中で「仕事に加えて家事や育児は女性が担うべき」と女性には過重な役割を担わされているのに対して、男性はただ「疲れのあり方が変わった」とあたかも他人事のように語っているだけで、コピーの内容に男尊女卑的な価値観が反映されていて時代錯誤も甚(はなは)だしい、というものでした。
■広告表現への想像以上の「炎上」
筆者が「ジェンダーロール(性別役割分業)」という言葉で示唆したかったことは概(おおむ)ねそのような反応に沿うものですが、寄せられたリプライや引用リポストが、強い口調で広告に表現されたジェンダー観を否定したり、大正製薬の企業姿勢を糾弾したりするものが多いことに驚きました。
ソーシャルメディア上での広告表現をめぐる反応はしばしば「炎上」と呼ばれますが、電車内という公共空間で掲出される広告のメッセージが、いかに消費者の企業に対するイメージを下げ、信頼性を損ない得るかを、自分の投稿に対するさまざまな反応を目の当たりにして実感しました。
その後、筆者が投稿した写真はウェブニュース専門チャンネルABEMA NEWSの番組で紹介され、出演者たちは広告を見ながら、女性に添えられたキャッチコピーの何を課題と感じるのか、それぞれの観点から意見を述べあっていました。
出演者たちの視点と意見には噛みあわないものがあり、議論を通して表現への理解が深められたとは筆者には思えませんでしたが、広告表現をめぐって、ソーシャルメディア上での言葉の応酬にとどまらない対話の場の必要性は認識されつつあると感じました。
■「男らしさ」でブランドを築いたリポビタンD
先ほど「ずいぶん前に見たリポビタンDの広告に重なって懐かしさを感じつつ」と書きましたが、筆者の記憶にあるリポビタンDの広告は、1980年代から1990年代に放映されていたテレビCMです。屈強な男性俳優が二人組で登場し、全力疾走したり、跳び上がったり、崖をよじ登ったり、濁流に飲み込まれたりするハードなアクションを繰り広げる様子がドラマティックな映像で描き出され、締めくくりに「ファイトォーッ!」「イッパァーツ!」と勇ましく声をかけあうのがお決まりの展開でした。
CMの終わりには「肉体疲労時の栄養補給に、リポビタンD!」と男性の声でナレーションが流れるものの、映像で表現されているのは力みなぎる男性の強靭な身体であり、「肉体疲労」について伝えるものではありませんでした。
その後、2010年代以降のCMではアスリートやスポーツチームを起用し、ハードなアクションよりも、試合に挑むアスリートを応援する側面をより強調する内容になりました。錠剤タイプのリポビタンDXとともに「疲労回復」の効能を描くことに重点を置いた広告も制作されています(*1)。
しかし実際のところ、リポビタンDは「ファイト・一発!」というキャッチコピーとともに、長年男性を起用したCMを通して「男らしさ」を前面に押し出し、ブランドのイメージを築いた商品です。
■旧態依然とした意識が漏れ出るキャッチコピー
2000年代以降は女性向けにリポビタンファイン、リポビタンフィールといった商品も発売されていますが、今回の広告はリポビタンDをより幅広く女性の消費者にも訴求することを目指すものでした。その中で、女性が日々の生活に追われていることが「仕事、育児、家事。3人自分が欲しくないですか?」というコピーで表現されたのですが、消費者には女性の就労やケア役割の問題意識と著しく乖離(かいり)しているように映り、この広告に対する批判として噴出しました(*2)。
キャッチコピーが世の中の問題意識から乖離した表現のまま広告として公表された要因の一つには、クライアント企業・広告代理店・制作会社・メディアなど広告制作に関わる複数の組織の中で、消費者に訴求する表現方法が内包するジェンダー問題を認識して指摘する人がいない、もしくはいたとしても、その指摘を反映して問題の発生を事前に防げるような組織運営がなされていないことがあるのでしょう。
電車内という極めて公共性が高い空間に掲出される広告は、年齢や性別もさまざまな人が目にするもので、消費者への訴求手段である以上に、企業理念を表現するものとして強い影響力を持ちます。旧態依然としたジェンダー意識が漏れ出る広告は消費者から支持されるとは思えませんし、企業として成長意識に欠けていると受け止められます。
広告が「炎上」した場合、内容訂正・取り下げなどの場当たり的な対処に終始しがちですが、今後消費者と企業とのコミュニケーションを改善するためには、倫理・ジェンダー表現など多面的に照らし合わせて広告を分析し、表現のあり方を検証する必要があります。
■男性の装いから意識的に排除されたモノとは
問題視された文言の表現とは別に、筆者がこの広告を目にしたときに少し気になったのは男性の装いです。
女性は襟つきでターンナップ(折り返し)カフスの淡いピンクのブラウスを着ていて、ビジネスシーンに適した装いの印象を与えます。それに対して男性は丸首の白いTシャツの上にオフホワイトのカーディガンを羽織っており、カジュアルな印象を与える装いです。
女性と男性の間であまり年齢差はなく、同じ画面の中に捉えられると職場の同僚やカップルのような設定でも違和感ない組み合わせで、ビジネス向けの装いとカジュアルな装いを組み合わせることで、バランスを取ったスタイリングのように見えます。もし仮に、女性がカットソーとカーディガン、男性がワイシャツを着ていたら、女性の装いからはビジネス向けの印象は弱まり、男性にオフィスワーカーとしての印象が強くなっていたことでしょう。
装いの要素一つを取り上げても、ディテールから職業や社会的属性を読み取ることができますが、「丸首の白いTシャツの上にオフホワイトのカーディガン」という装いからは、男性の職業上の属性を表現するものが周到に排除されています。そのような装いを設定した上で、「時代が変わると疲れも変わりますからね。」というキャッチコピーが重ねられることで、その文言が具体性を欠き、表現としてより一層空疎さが強められているようでもあります。
■「疲労」を定義する“権力者”は誰か
リポビタンDのCMは、筋骨隆々とした男性俳優たちのアクションシーンや、野球やラグビーのようなチームスポーツの選手たちを通して、鍛え上げた肉体で困難を乗り越えて、目標達成に向けて挑戦することこそが「男らしさ」を証明する方法であるというメッセージを繰り返してきました。そういった長年にわたるCMの数々に照らし合わせても、男性に「時代が変わると疲れも変わりますからね。」という言葉が添えられるだけで、何かに取り組む姿勢が描かれていないことに、それまでリポビタンDが打ち出していた男性像とのギャップを感じ、驚かずにはいられませんでした。
さらに付け加えるならば、男性の「時代が変わると疲れも変わりますからね。」という言葉によって、「疲労(とその要因となる活動や労働)」を定義しようとしています。このような定義づけをする権限を持つことを、フランスの哲学者ミシェル・フーコーは「状況の定義権」と言い表しました。
「状況の定義権」とはすなわち権力そのものを指し、その場にいる人の中で最も決定権(支配力)を持っている人が、そこで起きていたことの意味を決めてしまうことであり、支配される側が行動の自由を奪われている状況において、支配される側の言動を支配する側が定義します。
その支配/被支配という関係の枠組みにおいて、男性が「疲労(とその原因になる活動や労働)」を定義する「権力」を持ち、女性が「仕事、育児、家事」の役割を担う存在として表されている、と読み取ることもできます。
*1 リポビタンDの広告の変遷については以下を参照。ダブルタレント時代の幕開けは1977年で、CM自体は1970年代から放映されていました。「リポビタン広告の歴史」大正製薬製品情報サイト
*2 「男らしさ」を打ち出してきたリポビタンDの広告の文脈に照らし合わせて、広告表現の問題が指摘されています。
千駄木雄大「『リポビタンD炎上』背後に“男らしさ”の負の遺産」東洋経済オンライン、2024年7月17日
千駄木雄大「リポビタンD『時代錯誤CMで炎上』に見る栄枯盛衰」東洋経済オンライン、2024年7月18日
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小林 美香(こばやし・みか)
写真・ジェンダー表象研究者
国内外の各種学校/機関、企業で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、ワークショップ、研修講座、展覧会を企画、雑誌やウェブメディアに寄稿するなど執筆や翻訳に取り組む。2007~2008年にアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。2010年から19年まで東京国立近代美術館客員研究員を務める。東京造形大学、九州大学非常勤講師。著作に『写真を〈読む〉視点』(単著/青弓社/2005)、『〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する』(共著/青弓社/2018)、『ジェンダー目線の広告観察』(単著/現代書館/2023)刊行。アメリカの漫画家マイア・コベイブの自伝作品『ジェンダー・クィア 私として生きてきた日々』(サウザンブックス社/2024)の翻訳を手がけた。
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(写真・ジェンダー表象研究者 小林 美香)