沖縄県那覇市に本社を置く沖縄ファミリーマートは、1987年に那覇市に1号店をオープンして以来、セルフ式コーヒーやゴーヤーチャンプルーなど、アメリカと沖縄の食文化を取り入れた商品開発で県内シェア1位のコンビニに成長した。本部直轄の他社とは違う強みはどこにあるのか。
糸数剛一社長に、ジャーナリストの座安あきのさんが聞いた――。(後編)
■「ココストア」の前身を買収したことが転機に
ローソンとの競争激化をきっかけに、沖縄ファミリーマートはそれまでの均質的な商品展開を改め、地域色を打ち出す方向に大きく転換していくことになる。その方向性を強力に牽引したのは、アメリカ帰りの糸数剛一さんが持ち込んだ判断のスピード感、そして特定分野に強い「凄腕の仕事人」を発掘し、やる気に“点火”し続ける要求の高さと緻密さだった。
アメリカのコンビニをヒントに「セルフ式コーヒー」を全店導入した2012年度、沖縄ファミマの売上高は約432億円(212店)だったのに対し、24年度は約825億円(337店)となり、12年間でほぼ倍増している。
「沖縄人が好むものは、観光客が好むので、ダブルで売り上げが伸びていったわけです。あくまで地元向けが先にあり、そこに観光客がついてきたという流れ。沖縄の人が好む味、入りやすい店をどう作るかは、実はファミリーマートが買収したホットスパー(後のココストア)時代にさかのぼる」と打ち明ける。
ホットスパーは1980年代以降、地域に根差したコンビニとして各地に広がった。特に沖縄県では「ホッパー」の愛称で親しまれ、2007年にココストア、15年にファミリーマートに吸収されるまでその原型を残していた。
■あえて「くたっとした弁当」を出したら大ヒット
「ホットスパーが自社で作っていたフーチャンプルーやゴーヤーチャンプルーの弁当がまさに沖縄の家庭の味でした。沖縄の人はゴーヤーも麺もやわいのを好む。くたっとしていて、味は少し甘辛が好み。
そのホットスパーの責任者が作る沖縄の弁当がやたらうまかった。ファミリーマートはそんなのバカにして取り入れなかったんですが、僕は絶対必要だと思って。何回も通って説得して、彼を引き抜いた。その彼が今の沖縄ファミマの商品開発のトップなんです」
沖縄ファミリーマート専務・平良良勝さん(62)だ。沖縄に進出して5年ほどたったホットスパーに入社し、店舗運営から商品開発、物流改革に至るまであらゆる業務に携わっていた。茨城の本社管轄だったが、実質的に運営の大部分が地元スタッフの裁量に委ねられていた。
「ファミマと違って本社から入るレシピや商品がほとんどなかったので、食材や包装資材の仕入れ、製造、配送まで自分たちで起こしていくしかなかった。沖縄のリウボウが運営するファミマなのに、茨城の会社のホッパーのほうが県民から沖縄の会社だと見られていて利用者が多かった」と平良さんはいう。
■ローカライズの前に、島のインフラとして
休日に、糸数さんからポケベルで呼び出された何度目かのスカウトの席で、「やりたいようにやらせてもらえるなら」と応じた平良さん。強力な同志を得た沖縄ファミマは、その後、地元の製パン企業「第一パン」と合弁で専用のパン工場を設立、問屋を集約して共同配送のセンターをつくり、物流改革にも乗り出した。
平良さんが常に意識していたのは、「コンビニは島に必要なインフラを整える手段だ」ということだ。「今ある設備の範囲でできることをやるのではなく、目標を定めて必要な設備を整えていく。
今までのやり方をいったん壊して仕組みを作り変えていく。ローカライズは、そのインフラの上で初めて生きるものだと思っています」(平良さん)
物流や製造工場のインフラ構築を意識した店舗展開は、コンビニ業界にとっては最もハードルの高い、宮古・石垣・伊江島・久米島の離島4島への出店に挑んだ沖縄ファミマの覚悟にも、はっきりと表れている。
■「糸数さんはやりたいようにやらせてくれる」
競争環境が激化する中で、商品開発と同じくらいに力を注いだのが、店舗の立地戦略だ。特に2000年代前半に、出店と閉店を繰り返してより良い立地に移転する方法で1店舗あたりの売り上げ拡大に注力した時期があった。その経験が今になって、セブンのドミナント攻勢に足場を奪われない底力を発揮しているという。移転によって空き店舗となるところに競合しない別の店をつなぐなど、きめ細かな対策で商圏を守ってきた経緯がある。その「一番立地」の確保に実力を発揮したのも実は、糸数さんがホットスパーから引き抜いたもう一人の人材の貢献が大きいという。
「いい立地がいつもホットスパーに先に抑えられていた。その背後に常にいたのが、奥間さんだった」(糸数さん)
沖縄ファミマ常務の奥間直人さん(61)は、先の平良専務と同じ時期に糸数さんから熱烈なアプローチを受けて中途入社した一人だ。
「離島県で、車社会、米軍基地の周辺に街があって、他県とは一番立地の条件が異なる。生活者にしかわからない視点がある」と奥間さんはいう。
「糸数さんは基本的にこちらの提案を断ることはなく、やりたいようにやらせてくれる。
その代わり、なぜ必要だと思うのか、考えの中身を細かく尋ねてくる。だからこちらも毎回(説明に耐えうるだけの)予測と検証のデータを細かく提供する。抜けがあったら糸数さんは絶対見逃しません。みんなといつも目線を合わせ、発想も豊か。優しさもあり怖さもある、ついていきたくなるリーダーで、だから入社して20年以上ずっと仕事がおもしろい」と語る。
■地方コンビニとして「数千万円規模の協賛」を決意
そしてもう一つ、地元民が「沖縄ファミマといえば」で想起することがある。地域のイベントやスポーツチームなどとの密接な関わりだ。Bリーグ所属プロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」や、安室奈美恵などを輩出したタレント育成スクール「沖縄アクターズスクール」、映画祭や学校部活動、中学校バレーボール大会など、数々の協賛協力を通した看板の露出でも、県内トップクラスにある。
「地元還元」にこだわる背景には、糸数さんが関わったある成功体験がある。2001年の沖縄サミット開催を記念して開かれた音楽イベント「PEACE OF RYUKYU」に、同社では初めて数千万円規模の協賛を決めた時のことだ。当時絶頂にあった安室奈美恵やDA PUMPなど沖縄出身アーティストが多数登壇する初の沖縄コンサート。売上高がまだ200億円台だった当時、「数千万円規模の協賛はあり得なかった」(広報)が、糸数さんは「このメンバーなら億は下らない、安いくらいだ」と直感、メインスポンサーに名乗りを上げるべきだと主張した。

「冗談じゃない」「こんなの当たるはずがない」――。沖縄ファミマの経営幹部はこぞって、箸にも棒にもかからないといった反応を示した。諦めきれない糸数さんは、少し角度を変えて突破口を探った。東京から本社役員が出席する沖縄ファミマの取締役会後に開かれた懇親会の席。本社幹部の集まる席に移動し、「こんなイベントがあってチャンスだと思うんですが、社内では断られてしまって……」と水を向けた。幹部らはすぐさま「すごいじゃないか、絶対に引き受けるべきだ」と大盛り上がり。その場で一気に形勢逆転に持ち込んだのだ。
■大事な企画を絶対に通したいときの“奥の手”とは
前例のない企画、協賛、投資案件の持ち込みは、糸数さんにとって肩書きのない「ヒラ」の頃から日常茶飯事だ。縦割りの会社組織の中で、どのように上司や経営幹部を口説いてきたのだろうか。
「大事な話、どうしても通したい重たい案件は、会議のピリピリした中では絶対しないことです。相手がゆったりとリラックスしている時に伝えて、通すという方法がいい。昼飯に誘っておいしいものを食べているとき、店舗巡回の車の中、上司が助手席でくつろいでいる隙に。

『あぁ、そういえば部長あれ、こうしておきますから』『こんな話があるんですけど、こう対応しておきますね』など。一対一になって、愚痴を聞いたりしながら、お互いの人間がわかる、そんな自然体になれるときが狙い目です」と笑う。
さて、沖縄ファミマで初めて“高額協賛”にゴーサインが出された前代未聞の音楽イベント。なんとしてでも金額以上の成果を出さなければならない糸数さんは、秘策を仕込んだ。
■「会社の歴史に残る」一大勝負だった
沖縄ファミマのレシートを貼り付けた応募券の中から抽選で「1万人をコンサートに無料招待する」という、完全クローズドのキャンペーンを発表。すると、各店舗に連日、怒涛のように客が押し寄せ、最終的に応募総数16万枚を超える話題の一大イベントと化したのだ。
「若い子たちが家族や親戚中に頼んで、買い物は何でもファミマでしてもらう。完全に店が目的地化したわけです。すると意外にも便利でいろんなものが買えるとわかって、キャンペーンが終わった後も店の売り上げが底上げされた状態が続いた。あの反響の大きさは会社の歴史に残る。地元の店として認知度が高まる大きなきっかけになったことは間違いありません」(糸数さん)
全国の中で平均所得は最下位、物流コストが重く物価は高い。購買力においていくつもの壁が立ちはだかる沖縄で、沖縄ファミマが単なるコンビニという一般化された業態システムに埋没せず、支持を集めていることの意義は決して小さくない。
離島をまたいで食や物資の供給網をつなぐ地元企業の経営が盤石でなければ、コミュニティーの存続、有事・災害時の救助拠点の維持が、途端に立ち行かなくなる未来を容易に想像できるからだ。
糸数さんは、何によって突き動かされているのか。
■沖縄は日本一豊かな県でないとおかしい
「東京や海外に出て沖縄に戻って来たとき、ここはなんてすごいところなんだと驚いた。俯瞰して見えるので、沖縄のポテンシャルというのがイヤというほどわかる。本来なら、沖縄は日本一豊かなところにならなきゃおかしい。世界平和も含めて貢献できる地位にあるのに、それが十分発揮されていないことに怒りがある。沖縄の人たちがその可能性に気づいていない、自覚していないことに対する憤りも相当あって、それが、(何よりも先立つべき)経済的な成長にこだわる原動力と言えるかもしれません」
沖縄ファミマは社員の98%を沖縄出身者が占めている。組織における「肩書き」の属性よりも、「どの市町村、どこの学校の出身」「だれが親で、親戚か」が対話のとっかかりになるような、共同体特有のコミュニケーションをベースにしたチームビルディングがあり、それが「ド密着」戦略を強固に裏支えしていることはいうまでもない。
さらに幸運なことに、沖縄ファミマには、地元企業に認められた決裁権・人事権という「自己決定権」がある。そこを起点に「グローバルスタンダードな沖縄」を地でいく糸数さんの求心力によって多彩な人と情報が集まっている。その土台の上に、思い描く構想がコンビニの売り場を通して具現化され、全国区へと価値が引き上げられている点は注目に値する。
■地方の若手にいかに経験を積ませるか
一方で、課題もある。糸数さんに備わる「国際感覚=経営感覚」の承継に耐えうる人材をどのように育成していくか、ということだ。
「僕はもともと好奇心が旺盛という性質が先にあって、そこにたまたま上司やチャンスに恵まれ、アメリカも含めいろんなところで経験を積むことができた。自分の能力というより、経験の数が多い分、発想できることの幅が違うのだと思っています。だから好奇心旺盛な社員にはできるだけ、経験を積ませたい。どこに行っても常に意欲のある人を探している」
多様性の交差点に立つ沖縄の人たちは元来、自ら「サバニ(小舟)」を漕いで海を渡り、魚と共に未知の情報を獲得し、持ち帰ってきた。そうやって広い相対の上に俯瞰の目を養うことで、小さな島で大きく稼ぎ、分かち合い、自力と繁栄ある琉球の大交易時代を謳歌した歴史がある。
糸数さんはまさに、沖縄の先人「レキオス(琉球人)」のようだ。外に出たことで水を得た魚のように「自己認識がアップデート」されたという自身の経験を、いかに広く共有できるものにするか。好奇心の芽をもつ若者に県境、国境を超えた経験の機会を与え、成長実感の獲得につなげていけるのか。糸数さんは引き続き、これらの難関に向き合うことになる。沖縄の経済的自立と成長の要となる「独自性の発揮」、その鍵を握る核心部分そのものでもある。

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糸数 剛一(いとかず・ごういち)

沖縄ファミリーマート代表取締役社長

1959年沖縄県生まれ。1985年早稲田大学政治経済学部卒業後、同年沖縄銀行入行。1988年沖縄ファミリーマート入社。取締役営業部長、常務、専務を経て、2007年ファミリーマートに出向し、米ファミリーマート社長兼CEO。2010年沖縄ファミリーマート社長。2013年リウボウホールディングス社長。2016年会長就任。

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座安 あきの(ざやす・あきの)

Polestar Communications取締役社長

1978年、沖縄県生まれ。2006年沖縄タイムス社入社。編集局政経部経済班、社会部などを担当。09年から1年間、朝日新聞福岡本部・経済部出向。16年からくらし班で保育や学童、労働、障がい者雇用問題などを追った企画を多数。連載「『働く』を考える」が「貧困ジャーナリズム大賞2017」特別賞を受賞。2020年4月からPolestar Okinawa Gateway取締役広報戦略支援室長として洋菓子メーカーやIT企業などの広報支援、経済リポートなどを執筆。同10月から現職兼務。朝日新聞デジタル「コメントプラス」コメンテーターを務める。

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(沖縄ファミリーマート代表取締役社長 糸数 剛一、Polestar Communications取締役社長 座安 あきの)
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